2004年6月アーカイブ

旅のきっかけ
9月に旅行に行こう。そこからはじまった。今回は久しぶりに時間的に余裕のある旅行ができそうだ。そうなるとあとは何処へいくかだった。ヨーロッパならポルトガルがいいと聞くし、イスタンブールにも一度は行きたい。

近所の旅行会社に通って10数冊のパンフレットを集めてきた。どれもカラー写真が豊富だからイメージがわきやすいし、おおよその予算もわかる。そうして、しばらく遺跡やらコバルトブルーの海の写真を見てはあっちもこっちも良く思えて大変だった。

そのうちの1冊はアフリカの紹介だった。ボツワナ、ガーナ、南アフリカ、ケニヤ、タンザニア、ウガンダ等々。めくってみると、まず海がとても奇麗だった。加えて山の写真もある。茶色の大地に蒼い空、山がバックの壮大な景色にジープが一台だけ走っている写真、象の親子が水浴びしている写真、メスライオンが群れでいる写真、どれもが印象的だった。

その後、料金表を見て再びびっくりした。イギリス用のパッケージツアーだから最低でも2週間から3週間が標準になっているのだが、南アフリカのツアーでは一人約4000ポンド(約80万)なんていうのがある!2週間3食付き海沿いのホリデーが数万円で見つかる事があるイギリスで、一体誰が4000ポンドもだすんだ?

しかし、動物の写真が心に残ってしまった。キリンが見たい、シマウマが見たい、アフリカ大陸に足を踏み入れてみたい。そして、すっかり行く気になっていた。インターネットで調べるとケニアに日本の旅行会社があるのを発見。しかもメールでやりとりしているうちに予算的にもこれなら行けそうな事が判明。よしよし。こうしてケニア行きが決定したのでありました。

ケニアってどこ?
ケニアは1963年に独立するまでイギリスの植民地だった。現在のエリザベス女王がまだ王女だった時、父王の訃報を聞いたものケニア訪問時だった。ケニアは赤道直下の国だが、中部は標高1700m前後の高原である為しのぎやすい気候。南半球のケニアは、日本とは逆で7月、8月が冬になる。3月から5月が大雨期、10月から11月が小雨期。

サファリとは元々ケニアの国語であるスワヒり語(公用語は英語)で「旅行」を意味し、植民地時代は「動物をハンティングする為の旅行」として使われていたが、現在は「動物を自然のまま観察する為の旅行」として使われている。



ケニアの地図
上記はケニアと周辺国の地図。水色は湖、青色はインド洋、緑色は国立公園(NP)と国立保護区(NR)、三角はキリマンジャロ山、茶色のナイロビはケニアの首都、モンバサはインド洋に面した都市。今回の旅で移動したように印をつけるとこうなる。キリマンジャロが見えるというアンボセリNPにも行きたかったのだけれども、日程の都合上今回は見送って、そのかわりインド洋沿いの街モンバサにも足をのばす事にした。

旅の準備
ロンドンからナイロビまでの航空券の値段を調べてみると一番安いのはアムステルダム乗り換えのKLM便だったのだが、2ヵ月前の時点ですでに満席だった。パリ経由のエアーフランスも安いようだが、直行便の英国航空がそれより安かったので即決。発着はガトウィック空港だが毎日便がでていて便利。

インターネットでケニアを調べてみて多くの方のお勧めである2冊のガイドブックを購入した。「地球の歩き方東アフリカ編」と「ヒサ版サファリマニアル」である。地球の歩き方を読んでいるとナイロビは治安があまり良くなさそうで少しびびる。確かにアメリカ大使館爆破事件も記憶に新しい。平和ボケしている日本人には人種の問題、国土の問題、宗教の問題は人事のように感じてしまうけれども、世界にはたくさん紛争の火種が残っていることを実感した。

人様のHPでケニア旅行記等を読ませてもらうと、皆さん動物の写真を上手にアップされている。そうか、でもうちにある普通のカメラ(しかも数年前のコンパクトでもない図体のでかいカメラ)では遠くの動物なんて撮れないぞ、さてどうしよう?同居人が今時の一眼レフは簡単に撮れるよ、と発言。せっかくの旅行だしここはひとつ一眼レフに挑戦だ!と鼻息荒くまたまたインターネットで今度はカメラの事を調べることにする。

とにかくカメラの事は何も知らないから片っ端からHPを読んでみた。そうして少しメーカーの名前を覚えたところで近所のカメラ屋を覗いてみた。んー、やはりイギリスは精密機器は値段が高いし種類も少ないみたいだった。それに加えて「もしもイギリスでカメラを買ったら、やはり説明書は英語?」という問題があった。せっかく日本が誇る精密機器を買うのに何も英語で説明されなくてもいいだろうという結論に達し、結局カメラは日本で買って送ってもらった。このカメラ購入に関してもある方に色々相談にのっていただき非常にお世話になった。多謝多謝。

日本からカメラを送ってもらう時に蚊取り線香と虫除けスプレーも送ってもらった。蚊が媒体となるマラリアや黄熱病対策には蚊取り線香と蚊に刺されないようにする事が一番らしい。日本製の蚊取り線香は良く効くというが、その原料となる除虫菊はケニアから輸入しているそうだ。

そうしてケニア行きの準備は着々とすすんでいくのでありました。
DAY1

いよいよアフリカに向けて出発だ。飛行機は22:25ガトウィック発英国航空、ガトウィック空港はロンドンから南に位置し、ビクトリア駅からガトウィックエクスプレスで30分程だ。車中で椎名誠の「あやしい探検隊アフリカ乱入」を読み始める。

午後8時頃空港に到着。お茶をしたりフィルムを買ったりして時間をつぶしてからゲートに向うが人だかりができている。おや、と思った途端、「テクニカルプロブレムの為出発が遅れます」という放送が流れる。きたぞお、9999問題勃発か。少し本を読みながら待っているととりあえず子供連れ家族から機内に向うようにと放送が流れるが、着席してからも待たされて、結局1時間以上遅れての出発となった。とにかく無事に着いてほしい。

深夜をすぎてから機内食の夕食がでるが、これがまずい。食べる時間があったらすこしでも睡眠がとりたいところだ。もうお酒を飲んで寝てしまおう。ナイロビには8:50到着予定。

DAY2

うとうと寝たかと思うともう朝食が配られる時間になった。ベーコンタマゴサンドイッチの朝食だが、昨日のステーキなんかよりおいしいぞ。結局ナイロビには1時間ほど遅れて到着。空港見学かなにかだろうか、たまたま小学生の団体が屋上にいて到着した飛行機をじーと見ていた。当たり前だが黒人の子供ばかりでアフリカに到着したんだ、と思った瞬間だった。空気は乾いているな、と感じた。

空港には旅行会社のバンでお迎えがあった。一旦市内の旅行会社に立ち寄ってそれからの出発だ。迎えに来てくれたのは日本語の上手な人で、車中では貴重品は特に気をつけるように、等日本語でいろいろ説明を受ける。ナイロビ市内に近づくと人も車も増える。信号待ちしている車に近づいて新聞を売る人、側道でただ座って車をぼーと眺めている人、たまにごみを燃やしているような煙があがったりしている。

旅行会社では旅程の説明と国内移動の飛行機のチケットを受け取る。ロッジで売っているお水は高いと言う事で途中スーパーに寄ってもらってミネラルウォーターを購入、ナイロビを11:30頃出発し一路ナクル湖に車で向う。ドライバーさんはなかなか運転の上手な人とみた。めちゃくちゃ飛ばすでもなく、かといってのろい訳でもなく、乗っていて安心できる運転をする人だ。無口でもないが無理に話しをしてくるタイプでもない。途中途中で「あそこに見えるのがコーヒー畑」などと説明してくれる。


途中までは非常に舗装状態のいい道路で快適だったが、突然でこぼこ道になってきた。パンクしても不思議ではない道路だと今まで予習してきた通りだ。しかしそのうち慣れて来て、しかも寝不足だったのでこくりこくり居眠りして、今日の宿サロバライオンヒルに到着したのは14:00頃。車を降りると「JAMBO!」(スワヒリ語で「こんにちは」)とポーターさんがにこにこしながら出迎えてくれる。チェックインの後、まずはお昼を食べて午後4時から初のゲームドライブだ。(写真:ナクルNPの入り口)


とにかく着いた!まずは冷たいビールで乾杯だ!
お昼はバイキング方式で色々な種類があったがお腹もそんなに空いてないしお豆のカレーと野菜とご飯をすこしとる。4時まで時間があるのでまずはお風呂にはいることにした。バスタブは広くてお湯もたっぷりでる。(イギリスよりもお湯の出はいいような気がする)ああ、さっぱり。ベットのまわりは蚊帳がひけるようになっている。インテリアも非常にシックにまとめられていて、へたなリゾートホテルよりも素敵だ。しばらくするとウエルカムフルーツが届けられた。すいかはそれなりだが、パイナップルが甘くておいしい。


ゲームサファリ用に動物ガイド、双眼鏡、一眼レフ、予備のフィルム等準備万端。午後4時にロッジ正面にいくと6,7台のバンが駐車されていて、それぞれにお客さんがのりこんでいる。どうもこの日は日本人団体観光客が泊まっているようで、女性のツアコンが「はーい、それじゃあ皆さん該当の車に乗り込んでクダサーイ!」と声をはりあげている。先程まで乗ってきたバンは天井が開けられていてサファリ用に大変身。車によっては5,6人乗っている場合もあったが、うちの車は先ほどのドライバーさんと私と連れの2人だけで広々だ。いざ初サファリ!

車はロッジをでて湖方面にはしる。もちろん道路は舗装なんてされてないからがたがた揺られながら砂埃をたちあげて進んでいく。ここナクル湖はフラミンゴで有名な湖で、最盛期には200万羽近くのフラミンゴが湖をピンクに染めていたそうだ。ドライバーさんとは英語でのやりとりだが動物の名前は日本語でも覚えているらしく動物を見つけると「キリン」等とぼそっと日本語で言ってくれて、その後の説明は英語になる。こちらは動物の英語名があまり頭に入っていないのでこれは非常に助かった。


一番最初に見た動物はバブーンだった。(写真のバブーンは見ての通りオス。アノ色はとても奇麗なピンク色だった。)人間にしたら車道でも動物にとっては何も関係ないから車の通るすぐ側でのほほんと歩いている。車になれきっている動物達は車が止まると一瞬こちらを見て逃げたりするのもいるが、大抵はそのまま気にもとめない。車の窓から見ても良し、車の椅子に立ち上がって開いている天井から身を乗り出して見ても良し。写真を撮ったり双眼鏡でやたらアップになる動物の顔を見ると皺までくっきり見えてびっくりする。カメラはニコンだがペンタックスの双眼鏡もなかなかクリアな視界で満足。

湖に到着するまでにイボイノシシ、インパラ、シマウマ、バッファローなどの群れを見る。シマウマは本当に顔から足の先、たてがみ、お尻までしま模様で、その白と黒のコントラストが非常に美しくて感動する。すぐ近くにシマウマがいてもドライバーさん特に車も止めずに先に進んでしまうのでちぇっどうして止まってくれないのだろう、といぶかしんだがなんて事はない、これから後シマウマを見ない日はないくらい頻繁に見かける動物だったのだ。でもこの時はとにかく初体験だから全てが一期一会状態で浮かれまくっていた。


シロサイの親子も見かけた。子供がいるだけで本当にあったかな情景になる。しばらく見ていると子供の方は餌を食べるのに飽きてあっちこっち飛んだり跳ねたりして親に甘えたりしている。こういう落ち着きのなさは動物の子供ってどこも同じなんだな、と思う。後でロッジに帰るとこの親子の写真が飾られていてロッジの名前をとって「サロバ」と命名されたと説明書きがあった。

湖に到着するとペリカンとフラミンゴが相当数いたが、フラミンゴは思ったほどの数ではない。ドライバーさんが言うにはこの時期のフラミンゴはボコリア湖に多いらしい。それでも一斉に湖を飛び立つフラミンゴは美しかった。

しかし、この日の目玉はロッジに向う帰路にあった。もう夕暮れが闇に変わろうとしていたその時、前方に他のバンが止まって皆木立を見ている。なんだなんだ、と木立に目をむけるとドライバーさんが静かに一言、ヒョウがいる、といった。よくよく見ると確かにヒョウ柄のでっかい猫みたいな動物が結構高い木の枝にじっとしていて、長い尻尾がだらんと下に垂れていた。大分暗かったのもあるが木の枝にいるヒョウは迷彩効果が増してまわりの風景と一体化していた。これから狩りにでかけるのだろうか。

午後7時頃ロッジに戻り、明朝は午前6時30分に集合、という事になった。昼間は暑いのでサファリは大抵早朝と夕方に行われるのだ。一旦部屋に荷物をおいて7時半から夕食を食べる。これがしっかりとしたフルコースで、前菜、スープは決まっていてメイン、デザートは幾つかの種類の中から選ぶようになっている。飲み物代だけが別だ。夕方から夜になると結構肌寒く、一日移動ばかりだったからか、この頃から連れは頭痛がひどくなってきてビールも飲まずに食事をする。しかし疲れた体で飲んだスープがおいしかった。


実は以前旅先で買った小さなボトルの初おろしに、シングルモルトを入れて今回のサファリツアーで乾杯しよう、というもくろみが我々にはあった。寒いスポーツ観戦などにもくっと一杯するのにちょうどいい高さ15cmほどのボトルだ。(しかもお猪口みたいなカップ付き)夕食から戻って部屋でそれぞれほんの少しづつカップにシングルモルト入れて連れと乾杯した。喉にぐっとモルトが流れて、これがなんとも言えず美味だった。このモルトが寝酒に効いたのか、疲れてもいたのだと思う、この夜は午後10時頃にはこてっと寝てしまった。
DAY3

6時にモーニングコールを頼んだ、といっても電話は部屋にないから従業員が直接部屋の窓兼ドアまで来て「JAMBO!」とこちらが起きるまで声をかけてくれる。こちらは2人とも睡眠十分、さっさと起きて身支度する。

午前6時30分から早朝サファリ。日の出直後の静けさのドライブもなかなかいい。ここで初めて走り去るライオンのお尻だけ見たが早すぎて何がなんだか状態だ。昨日と同じようにバッファロー、シマウマ、トムソンガゼルなどを見る。その後遠くにいるキリンを発見。森のなかを優雅に移動しながら首から上がひょっこり見えた。

午前8時頃ロッジに戻り朝食。これがまたビュッフェ式だが完璧なイングリッシュブレックファスト。トースト、ソーセージ、ベーコン、ベークドビーンズ、オムレツなどの卵料理。これから後も同じような朝食が続くのだが早起きしているからか、この手の朝食にはつい手がでてしまって体重増加の一端をになうのであった。


朝食後チェックアウトしてナクル湖をあとにする。今日の目的地はアバーディアだ。しばらく車で揺られて赤道の真上にあるお土産ものやで休憩する。ガイドブックにも書いてあったが、とにかく売り子さんがこれはどうだ、あれは買わないかと攻勢をかけてくる。値段もねぎって交渉しなければいけないので、いささか面倒だ。結局550シリングの買い物をして600シリング渡したらお釣がないからといって1ドル札を渡された。

今晩泊まるツリートップスというのは元々動物を観察する為の施設で一泊分の荷物しか持ち込めない。その為もよりのアウトスパンホテルにその他の荷物を預けてマイクロバスでツリートップスまで移動するのだ。このアウトスパンホテルに到着したのが丁度正午頃。ドライバーさんは明日会うまで御役御免となりちょっといつもよりにこっとしていた。アウトスパンホテルでの昼食は12時半からなので、それまでスイカジュースのカクテルみたいのを飲みながら散歩したりする。ここでの食事もビュッフェ形式で、大して運動していない割に食事の量がいつも多いのでこういう時にこそ量を減らさなければ、と思いつつついチョコレートがけのバナナとかプリンを食べてしまう。


午後1時45分からすぐ裏でキクユ族の踊りが見れるというので行くことにした。お客は合計で5人。マサイ族など写真を撮られるのを嫌悪する部族もいるというが、この催しでは家の中も見せてくれるし写真も撮り放題、全て入場料に含まれています、という。幾つかの家は実際住んでいるそうだが大体観光用として見せる事に慣れている感じで説明が始まった。(写真右:キクユ族の家。中はものすごく狭くて暗い。)そのうち顔に真っ白のペイントをしてビーズで飾り立てた若い男女が計12,3人でてきて踊りを始めた。太鼓でリズムをとりながら歌を歌いながら踊る、とてもシンプルな踊りだ。

20分ほどのダンスが終わるとお客を呼んで一緒に写真を撮ろう、という。はたして近くに引っ張られると彼女たちがつけていたビーズのアクセサリーを後から後からつけてくれる。結局それらを買わないか、という訳だ。さっきまでにこにこ笑いを絶やさなかった踊り子がここでトップセールスウーマンに早変わりだ。ここでまた値切ったり断ったりでおおわらわする。ふう。

午後2時30分にアウトスパンホテルを出発しツリートップスまで約30分で到着。バスを降りるとツリートップス宿泊にあたりの注意事項や午後のオプションツアーの説明を聞き、写真撮影したりしながらツリートップスにむかう。歩いている場所は視界がいいしまあ安全なのだろうが、どこから動物がでてきてもおかしくなく、ガイドさんはライフル銃を持っている。


このツリートップスは高床式の建物で目の前には池があって、そこに動物が表れるのをわざわざサファリカーに乗らなくても観察できる、というのがいい。外観は随分ぼろのような感じがしたが、中にはいると思ったよりしっかりした造りをしている。部屋は非常に狭い。鍵もついてないドアを開けると右左にベットがあるだけだ。トイレ、シャワーは廊下の先にある。


この日は午後4時からオプションのゲームドライブを申し込んだ。10数人の参加者が2台のサファリカーに分乗して緑濃い森の中をがたがた進む。ゾウの親子連れが木々の間から見え隠れしたり、白黒のコロバスモンキーが何匹も随分高い木の上から隣の木へとジャンプしているのを見る。しかし、この時のドライバーさん、車を止めている間中説明もそこそこに自分の爪を噛む事に熱中していて、おいおい、と思う。


午後7時前にツリートップスに戻りシャワーを浴びることにする。トイレが2つにシャワーが2つ洗面台1つだけで脱衣用の籠なんかもないところだけど、シャワーをひねるとお湯はたっぷりだし水圧も十分でびっくりする。十分にリフレッシュできて午後7時半から夕食に向う。食堂は長い長方形のテーブルに対面式に座るようになっていて、この晩我々の前はスペインのバルセロナ在住のご夫婦だった。このお二人結婚25年をむかえたお祝いで今回2週間ほどのサファリツアーをしているようで、ケニアの前はタンザニアをまわってきたとか。奥様は小児科医、旦那様は眼科医、2人の子供はジャーナリストと建築を勉強している学生、というかなりインテリジェントなご家族のようだ。

バルセロナを含むカタルーニャ地方は非常に独立心の強い地域で、公用語もカタルーニャ語であり一般にスペイン語として想像する言語とは単語等が全く異なるものがあるそうだ。「マドリッドからバルセロナに来るにはパスポートが必要なんだ」という旦那さんの言葉に一瞬びっくりしたが、まんまとひっかけられただけだった。連れの出身である九州は日本の中ではカタルーニャと同じで独立心が強くて、と連れが説明すると2人は非常に嬉しそうだった。彼らのお陰で夕食はとても楽しく過ぎて、気がつくと食堂に残っているのは我々のグループだけだった。

ちなみに夕食のメインメニューは野菜ラザニアとラムのグリルを選んだ。ラムはとても柔らかくて今まで食べたどのラムよりもおいしかったと連れは大喜びしていた。


部屋に戻って部屋着に着替えようとしていると、なにやら「どしん、どしん」と音がする。おや?と思ってカーテンをひくとなんと窓の外にはたくさんの数のゾウが歩いている!それと同時に「めぼしい動物が来たら音がする」ブザーがけたたましく鳴った。あわててカメラと双眼鏡をもってベランダのようになっている動物が観察できる場所に急ぐ。親子連れの総勢20頭ちかいゾウの群れが眼下にいた。まかれた塩を食べに来る、と予習はしていたのだが、見ていると長い鼻で地面を掘っては土自体を口に運んでいるようだ。人間側からはカメラフラッシュの嵐だけれどもゾウ達は一心不乱に穴を掘っている。途中でバッファローが一匹だけその群れに近づいてきたが「ばふぉーん!」とゾウに威嚇されてすぐに逃げ帰ってしまった。

しばらくゾウを見ていたがさすがに夜だし寒くなって来て一旦部屋に戻る。といっても部屋の窓からも見えるから布団にくるまって見ていたがゾウ達は相変わらず同じ動作を繰り返していて結局こちらはたまに聞こえるゾウの鳴き声をBGMに床についた。
DAY4

いつもと同じように従業員さんが各部屋にノックしてまわって朝は起こしてもらう。コーヒーを啜りながら昨晩ゾウを見たベランダから外を見ると、地面は穴がぼこぼことできていた。目の前はケニア山が丁度朝日を背後に受けながら輝いていた。

午前7時にツリートップスを出て、午前7時30分に昨日荷物を預けたアウトスパンホテルに到着、これまたいつも通りのビュッフェ方式のイングリッシュブレックファストが用意されている。今までのところ、お腹をこわしてはいないものの、毎回フルコースの夕食を頂いているので消化が追いつかずお腹が苦しい。初めて昨晩はピンクの小粒、コーラックを少量飲んだ。この日の朝食はできるだけ我慢してフルーツを沢山食べて油ものをひかえるようにする。

昨晩のスペイン人のご夫婦とはここでお別れだ。挨拶に行ったら「今度の君たちの旅行はバルセロナだね。」とにこっとされた。うーん、行きたいぞお^_^ 彼らは来年のホリディはアラスカに行くそうだ。聞くと奥様は暖かいところが好きで旦那様は寒いところが好きなので毎年交互に優先してるそうだ。これが25年続く秘訣かな?

午前9時少し前にいつものバンでいつものドライバーさんの安心できる運転でナイロビをめざす。今日はナイロビから飛行機でマサイマラに移動する予定なのだ。車窓からの風景に段々とアパートらしき建物が増えてきたところで「ナイロビに入ったよ。」とドライバーさんがつぶやく。人の数もばらばらと増えて来てストリートマーケットみたいなのが増えてきた。

お昼はRickshaw(この単語日本語の「力車」からきてる)という中華屋で旅行代理店の担当さんと一緒に食事。それまで洋食のこてこてが多かったので野菜炒めや麺類が食べたかったのだけど、野菜炒めはケチャップ味が濃くてちょっと想像と違った。しかし蟹の生姜風味がぴりからで美味しくてつい図にのってビールを1リットルも飲んでしまった^^;

午後2時頃国内空港に到着。担当さんとドライバーさんとはここでお別れ。お世話になりました。飛行機は小さいプロペラ機で総勢40人位が乗れるほどの大きさだが、乗ってきたお客さんは6,7人といったところ。離陸するとお昼のビールが効いてきてすっかり寝てしまった。最初に着陸した場所はセレナロッジに近いところのようで、この時初めて斜め向いの30代らしき男性が黒いビニールにもどしているのを発見。おやおや、と思ったが連れに聞いたら飛行中それはひどい揺れだったそうで、あの中で寝ていたのはラッキーだ、と言われた。飲み過ぎもたまには良いことがあるものだ


その後5分くらいの飛行時間で別のロッジ近くに離着陸を繰り返して、今日から泊まる予定のキチュワテンボー近くの滑走路に降り立ったのは午後4時頃だった。まわりは360度大草原、その中に舗装もされていない一本の滑走路があるだけの場所だ。飛行機から降りて迎えのサファリカーに乗り込む。「一旦ロッジに寄るか、それともこのままゲームドライブにでるか?」と聞かれたので「このまま直接ゲームドライブしたい。」と答えた。無線でやりとりしてアメリカ人3人が乗っていたサファリカーに途中で拾ってもらって合流した。

マサイマラでの風景は今までの2個所の風景と全く異なっていた。とにかく360度の大平原、しかも草はほとんど枯れた色でたまにはえている木が緑色なだけだ。草丈もかなり高い。乗った車は4WDのでっかいジープタイプで天井はあるが窓はないふきっさらしの車だった。ドライバーはスキンヘッドで優しそうな目がインテリっぽい雰囲気を醸し出している。


最初に見た動物はトピの親子連れだった。そしていつものシマウマ、バッファロー、イボイノシシ、ゾウ、インパラ等を見る。一緒のアメリカ人はそれぞれ一眼レフ、ビデオなど装備がきちんとしている上に、動物を見つけるのも早いし知識も豊富なようで次から次へとドライバーに質問をあびせている。そんなうちにお初のライオンとご対面!オス1匹にメス2匹がゴロンと横になって寝ている。じっとみてるとメスの1匹が起き上がってオスにじゃれようとしているがオスは無視したまま。結局そのうちまた寝てしまった。子供はいなかったけどこんなすぐに本物が間近で見れるとは思わなかったので感動。ライオンはネコ科というのが納得いく動作が見れてなんだか嬉しい。オスライオンのたてがみを撫でてみたいなー。ロッジに戻るとドライバーさんが「明日はヒョウを探そう。」と言うので、メンバー一同興奮する。


キチュワテンボーに戻ったのは午後6時半頃。緑色のテントのジッパーをあげると中は思ったより広い。夜は肌寒くて毎晩湯たんぽを持って来てくれた。奥のジッパーをあげるとトイレ、洗面台、シャワーがある。インテリアの色合いも素敵だ。これからここに3泊するのでまずは洗濯にとりかかる。乾燥しているから汗はかかないけれども砂埃でおもったより汚れていたようで洗濯の水がすぐににごった。

夕食は午後8時頃からとった。いつもと同じフルコースだ。大体メインは魚か肉から選ぶようになっているので、連れとそれぞれを頼んで食べることにした。魚はまあ普通の味だったが肉はなんと先程まで草原を走っていたインパラだった。デザートまでついていてどうしても全部食べきれない量だ。夕飯の間に明朝のモーニングコールの時間の確認がきたので午前6時にお願いした。


お腹が一杯になると眠くなってきて、またしてもぐっすり寝てしまうのであった。


DAY5

「JAMBO」の声と共にコーヒーとビスケットがテントに運ばれてきた。ケニアでサーブされるコーヒーについてくるミルクは油分が浮くほど濃くて、しかも温められているのでそのままホットミルクとして飲んでも非常に美味。眠い目をこすりながら着替えをする。朝は寒そうなのでシャツの上にセーターを着込む。砂埃対策にサングラスもかかせない。午前6時30分、ロッジ前に何台もサファリカーがとまっている。我々は昨日と同じドライバーさんでメンバーはイギリス人女性が一人増えて合計6人で出発だ。

我々2人以外は英語ネイティブばかりなので会話はもちろん生英語がとびかっているが、動物の英語名は随分覚えてきたので楽になってきた。とにかくアメリカ人3人は詳しいので色々ドライバーに鋭い質問してくれて、聞いているだけでもとてもためになった。アメリカ人の40代のご婦人が「昨日の夜はハイエナの鳴き声がよく聞こえたわね。」と興奮して話していたが、我々はとにかく毎日ぐっすり寝てしまっているのでまったく知らない世界の出来事だった。

クロサイ、シマウマ、ゾウ、インパラ、ハイエナ、グランドガゼル、ヌーなどをやりすごす。昨日まわった箇所とは全く別方向にきているらしいことは風景が違うのでなんとなくわかる。おっと、またしてもライオン発見!今度は岩の上の見晴らしのいい場所にメスライオンが一匹だけ佇んでいる。上半身おこして平原を見渡す様は、威厳あふれて感動ものだった。


午前8時半頃野原の真ん中で朝食となった。ソーセージ、ベーコン、卵などのサンドイッチとフルーツがはいったお弁当が配られ、ドライバーさんがコーヒーをきちんとしたカップに注いでくれる。バルーンサファリの後はシャンパン付きの朝食だというが、このお弁当だって負けない位においしい。

そのうち一台のとまっているサファリカーに近づいてドライバーさんは情報交換している。どうもチーターが先にいるようなのだ。車は言われた方向に走る。すると段々と車の数が増えてくるのが見えてきて、メンバー一同わくわくする。

確かにチーターがいた。ドライバーさんいわく兄弟の2匹のチーターで、なんと食事中であった。獲物はグレーの色の動物でチーターの噛み方によってあばら骨が見える。たまに回りをうかがうチーターの口のまわりは血で赤く染まっている。2匹が一心不乱に食事をしていると、血の匂いを嗅ぎ付けたのかハゲワシが一匹、二匹と大空をこちらに向って飛んでくるのがわかる。

最初は一匹のハゲワシがチーターの近くに着陸しただけでもシャッターをきっていたが、その数は時間とともに増え続け最後には30匹ちかいハゲワシがチーターの後ろに一列になって待ち構えていた。そしてついにその時がきた。兄弟チーター2匹は同時に食事を終え、獲物に背を向けた瞬間、ハゲワシの一団が我を争うように獲物に群がりあっという間にハゲワシの山が残った獲物をついばみ始めた。獲物の肉は全く見えなくなった。

2匹のチーターは悠然と歩き去っていく。お腹はぱんぱんに張っていて妊娠しているようだ。ドライバーさんが「チーターはきっとあの木陰に行く」と言うので車で先回りする。すると本当にやってきた。その近くで唯一一本生えている木の木陰に着くと2匹ともどかっと横になって顔の掃除なぞを始めた。望遠レンズでとるとドアップになるくらい近くに車がいるのに全く気にもとめず休憩している。一同弱肉強食の世界を目の当たりにして大満足。

次に見えてきたキリン4頭に連れは大感激して写真をとりまくっている。背の高いキリンがゆったりと歩く様はとても優雅だ。思い入れがある分連れはこの時以降、車のメンバー中誰よりも早くキリンを発見するようになった。


正午過ぎに川沿いに車を止めて休憩した。川の向こう側にはカバが何頭も休んでいて、少し向こうにはワニも双眼鏡で確認することができた。子供のカバがたまに動きまわっていたが、大多数はお昼寝中のようだった。帰路ではダチョウ、トピ、バブーン等を見た。

ロッジに戻ったのは午後1時頃だ。ビュッフェの昼食をとってからしばらくプールサイドで休憩することにした。昼間の日差しは相当強いが、プールの水はまだまだ冷たい。連れはそれでも根性で泳いでいた。今まで移動が多かったので、こうやってゆっくりできるのは本当に嬉しい。


午後のサファリは午後4時集合だ。ドライバーもメンバーも全く同じ。この日はまず近くのマサイ村を訪ねた。入場料は別途払うが(一人500シリング)そのお金で学校の先生を雇ったりしているそうで、使途不明になってしまう税金なんかより余程有効ではないだろうか。村のゲートの生け垣はすこし低めに作ってあり、「腰をかがめて通って敬意を表してください。」と言われる。説明係のお兄さんの後について家の中に入らせてもらうが、ここも直立できないくらい天井が低くて暗い。小さなかまどとその上にこれまた小さな通気口がある場所が台所だという。マサイ族は牛の血と牛乳を混ぜて飲むのだそうだが、この時はわざわざ牛を殺すのではなく生きたまま槍の先で血管だけを切って血をとるのだと聞かされて驚いた。(写真:棒をこすって火をおこす実演作業中)


村の真ん中に女達が集まって歓迎の歌を歌ってくれた後はいつもの通りビーズのアクセサリーの購入会だ。どこの国でも女性の商魂はたくましい。ちょっと距離を保ちながらアクセサリーを見ていたのだが、4歳くらいの子供も一緒になってにこにこしながらブレスレットを薦められてしまって、つい子供の笑顔につられて買ってしまった。

マサイ村を出発してからサファリに戻ったが、再びメスライオン発見!ここではメスが一匹でイボイノシシを食していた。車が何台かとりまくと奥の草むらに引っ込んでしまったが、ライオンには縁がある。

ふと小象が一頭だけ歩いているのを見つけた。まわりにファミリーはいないようだ。ドライバーさんの説明だとあれはファミリーの移動のペースについていけずに見捨てられた小象だという。メンバーのアメリカ人は「連れて帰ろう」と騒いでいるが、もう2,3歳になっているから独り立ちできるはずだ、というのでがんばって生きろよ、と願ってその場所を離れた。

ロッジに戻ったのは午後6時半頃。シャワーを浴びて夕食を頂く。今日のメニューは鶏肉と魚の揚げ物だった。さすがに和食のさっぱりしたのが食べたくなったのもこの頃だし、消化のペースが間に合わないので持参した消化剤とコーラックにお世話になる日々が続く。それでもコースの最初にでるスープはいつもおいしかったのでぺろりとたいらげていた。この日は午後10時頃には就寝。(全く早寝早起きの旅行だ。)
DAY6


運んでもらったコーヒーで午前6時起床。この日は起きた途端寒いと感じたのでティシャツやらセーターやらを着込んで午前6時半からのゲームサファリに備える。この時間は丁度朝日が山から顔を覗き出す時刻で、しばらく車を止めて朝日をゆっくり拝む。それにしてもふきっさらしの車だから走り出すと風が冷たい。連れは持参したカシミヤのセーターを着込んでいるが、それでも寒いという。

ずっとドライバーさんの予告通りのヒョウが見られないので、この日もヒョウを発見すべくヒョウのいそうな木をめぐるがなかなか出会えない。そのかわり奇麗な色の鳥を何匹も見かける。他は書くまでもなく、シマウマやインパラが食事中だ。

ふと無線がはいって、ドライバーさんはしばらく情報交換していたが、無線をおくとおもむろに「昨日見た小象が死んだ」と言うので一同唖然とする。やはり一人では生きぬけなかったのか、もしくは元々病気だったのか知る由もない。車はしばらくするとハゲワシのかたまりに近づいたが、それこそが小象の死体にむらがるハゲワシだった。小象といっても大きいからハゲワシの動きようでしわしわで灰色の小象が横たわっている様子がわかる。「誰かが死んでも別の人が利益を得る訳ね。」と若いアメリカ人の女性がつぶやいた。合掌。


ロッジに戻ったのは午前9時頃ですっかり太陽もあがって晴れ渡っているが、とにかく体が冷え切ってしまった。こういう時こそ暖かいスープが飲みたいが、朝食にスープはないので、コーヒーで我慢してとにかく体が温まるのを待つ。朝食後はセーターを着込んだままプールサイドのひだまりへ。本当に体の芯から冷えてしまっていたので、デッキに横たわって日光浴する。太陽はさんさんだが、今日は風が今までになく強いのでなかなか暖かくならない。

ようやくセーターやシャツを一枚ずつ脱げるようになって最後にはついに水着になった。正午頃にはロッジに泊まっている他の欧米人もプールサイドに集まって来て4,5人が泳いでいる。ちょっとこちらも、と水に足をつけたら、心臓まひをおこしそうに冷たいのなんの!とにかくケニアに来てから運動不足の割にがつがつ食べているのでちょっとは動かなくてはという切実な思いがあるので、えいや、と泳ぐ。


お昼の前にシャワーを浴びる為にテントに戻るが、昼間は電気が通じていないのでろうそくを点して目が慣れるのを待ってからシャワーをひねる。まわりは真っ暗にちかい暗さだが、お湯はたっぷりでるので暗さになれてしまえばなんともない。


午後のゲームドライブは午後3時半に集合。今までの恒例で出発と同時にアメリカ人メンバーのうちの誰かが必ず「今日は何が見れるの?」と聞くのだが、今回のドライバーの発言は強気だった。「EVERYTHING.」 うわお!

今まで通ったことのない道をぐんぐん山のほうに進む。途中日系のムパタクラブが山の上に見えてきたのでドライバーさんが教えてくれる。アメリカ人3人衆の唯一の男性(けむくじゃらで眉毛の茂みの深さが5cmはあるほどだった)が突然「そば!」と叫ぶ。彼が知っている日本語の単語の一つだったようだ。27歳の若い無邪気なアメリカ人女性は意味がわからないようだったので「noodle」(ヌードル)と教えたのだがどうも「nude」(ヌード)と聞こえたようで真っ赤になってしまった。

山を一つ越えるとそこは、見える範囲でシマウマ、バッファロー、インパラ、ヌー、ゾウ、バブーンがすべて大群でいる動物王国だった。しかもその後に見ることが出来たのはライオンのファミリーで総計16頭!木立の窪みに上手い具合に日陰ができていて、メスはそのあちこちにごろごろ寝ている。中心部で子供のライオンが3,4頭木片に噛み付いたり、お互いじゃれあって遊んでいる。これが猫そのもの、かわいいったらない。ちょっと動いてはシャッターを押していたのであっという間にフィルムがなくなる。予備はあるのか?うーん、でもそんな事考えてる場合ではない。とにかくかわいい。オスはと探してみると女子供からちょっと離れた所に寝そべっている。結局いつも寝ているオスライオンしか見られないな。

ライオンから離れてヒョウ探しにでる。いかにもヒョウが寝ていても良さそうな「レパードツリー」が幾つもあるので、一同きょろきょろと探すが見つからない。誰かがドライバーさんに「最後に見たのはいつ?」と尋ねると「4ヵ月前」との答え。毎日のお仕事であってもそんな頻度なのか、とおそらくメンバー一同ちょっとあきらめの心境になる。

午後6時半頃ロッジに戻る。結局ヒョウは発見できなかったが、その分ライオンにたっぷり会えたし、とにかく見た動物の量が多かったので大満足。キキュワテンボーでは一日おきにマサイ族のダンスが夜7時15分からあるので、この日はこの為に早目に席とりにむかう。食堂前の庭にたき火がたかれ、そのまわりに椅子が置かれている。飲み物を置くテーブルは木の切り株だ。


足が細くて無駄な肉なんてかけらもない筋肉質なマサイ族の男達が行進してきた。何人かの顔は昨日訪ねたマサイ村のメンバーだったので見覚えがあった。ペアになって裸足のままどちらが高く飛べるか、歌を歌いながらかわりばんこにジャンプしている。椅子に座って見ていてもかなりの跳躍なのがわかる。そのうち見学の観光客の手をとって大きな輪になって踊っている。隣にいたおじいさんは奥さんが輪に加わって踊っているので一生懸命写真を撮ろうとしているが、新しいフィルムと撮り終わったフィルムの区別がつかないで困っているようだった。「こっちのは新しいよ。」と教えてあげたら、一瞬こいつを信じていいんだろうか、という顔をされたが上手く装填できたようでその後はマサイと奥さんのツーショットを撮る為にあちこち移動していた。

ダンスが終わるといつもの恒例ビーズアクセサリー購入会だ。しかし、今回は売り手が全員男性なので、女性と違ってさばさばと初々しい売り方をする。昨日と違ってじっくり検討しながらお土産用のブレスレットを選んでいると、隣ではいつもサファリで一緒の27歳アメリカ人女性が、それまで飲んでいたワインが効いたのか、とろんとした目で首からいくつもネックレスを下げて値下げ交渉していた。

この日はテーブル全て庭に移動して、夕食はBBQだった。空は満点の星、風も気持ちよくて、ウエイターさんに聞いたら冬が終わって初めての外でのディナーだという。外で食べると食欲が刺激される。さっそく肉を焼いているコーナーに直行してこの肉は何?と聞いたら「これビーフ、これチキン、これはシマウマ」えっ?シマウマ?とりあえず全種お皿にのせてもらって食べてみたら、シマウマは柔らかくて非常に美味しかった。明日起きたら体が黒白のシマになってたらどうしよう、と心配しながらもおいしかったのでお代わりまでしてしまった。

キチュワテンボーでの最後の夜はこうして楽しく更けていった。

DAY7

キチュワテンボーでの、マサイマラでの最後のゲームドライブはいつものように午前6時30分集合だった。草原にでた途端サイが一匹で歩いていた。近くに寄る車の事は気にもとめず、ひたすら決めた場所に向かって一直線に歩いているようだった。向かいからハイエナが寄ってきたが、サイは自分のペースをくずさずひたすら歩くので、ハイエナが道を譲ったように見えた。ドライバーはまだヒョウを気にして探しているようだが結局見つからず、その代わりキリンやたくさんの綺麗な鳥を見て、マサイマラの景色を目に焼き付けてロッジに戻った。残りのアメリカ人メンバーはもう1泊マサイマラで過ごしてからセレンゲティに行って計3週間のサファリを予定している、というのでちょっと羨ましかった。


ナイロビーマサイマラ間の飛行機は一日2便、午前か午後便で、この日は午前11時頃の午前便に乗る予定で再び草原の中の滑走路へ向かう。あちらこちらのロッジからサファリカーでマサイマラを出発する予定のお客が集まってくる。この調子だと今日の飛行機は満席になりそうだ。飛行機は30分ほど遅れて到着、乗り込む前にドライバーさんに手を振ったけど、荷物を運ぶのに忙しかったようで気づいてもらえなかった。これからをマサイマラで過ごすお客が飛行機から降りてきてロッジのマネージャーらしき人物がにこにこ挨拶して出迎えていた。(写真:キチュワテンボーのテント)

今回はあまり揺られずナイロビに約1時間後に到着。3時間後には同じ空港からモンバサにむけて出発するので、空港の10席あまりしかない小さなカフェテリアで時間をつぶすことにする。相変わらずお腹がもたれているのでここではスープとホットドックを一つずつとって2人で分けて食べた。ウェイターとウェイトレスが一人ずつ働いているが、田舎のマサイマラから到着したばかりだと、やはり首都ナイロビで働く人たちには笑顔が少ない事に気づいた。田舎と都会の違いはどこの国でも同じのようだ。

午後3時過ぎ、マサイマラ行きのプロペラ機よりも座席が一列少ないプロペラ機に乗り込み、いざモンバサへ。モンバサはインド洋沿いのリゾートホテルが立ち並ぶ街で、気候もナイロビのように乾燥しているというよりは日本のように高温多湿らしい。今回もそこそこ飛行機は揺れて、10歳くらいの女の子が吐いていた。

午後5時前にモンバサ国際空港に到着、ホテルの迎えの車に乗ろうとして2人とも思わず「えっ???」と声をあげる。確かに到着した客は我々2名だけだが、それでこの車は。。。。車というのも名ばかりの、少なくとも20年以上は前のものであろう、車体はさびだらけ、シートはほつれだらけ、後部座席の三角窓はないし、ロックもこわれているプジョーのバンがお迎えの車だったのだ。確か泊るセレナホテルは一応名の通ったホテルだったよな、とは思いながらもまあ30分程の道のりを我慢すればいいんだからと、心落ち着かせるようにする。

通る道すがらバラックのマーケットが立ち並び、明らかに衛生上問題ありそうな食堂があったり、たくさんの人が車道と歩道の区別もないような道をわらわらと歩いている。その風景はナイロビともサファリとも違う、港町特有のすれたような、人間の気の荒さが前面にでているような雰囲気で、なんとなくカリブの海っぽい陽気なイメージを勝手に想像していた私はそのギャップに驚かされた。そんな時、


「ボンッ!!!」


と風船がつぶれたような音がしてフロントガラスは水で濡れていた。こちらは2人でそらきた、と顔を見合わせ、ドライバーは舌打ちして減速しはじめたが、突然後ろを走っていた車に合図をしながら側道に車を停めた。後ろを走っていた車は日本車のカローラで、中には男性が3人乗っていた。運転手同士が何か話しながらこちらのプジョーを見ている。そしてドライバーがやってきて「どうも車のラジエーターがおかしくなった(あの音はおかしいくらいじゃないぞ)。後ろに走っていたのは私の友達で彼の車でホテルに送ってもらうからノープロブレム(なんだとお??)。」と説明をはじめた。たまたま友達が後ろを走っていたというのもうさん臭いのでここでタクシーを拾って勝手にいこう、とも思ったのだが、明らかに場違いな人種2人がスーツケースを持ってタクシーを待つ、という雰囲気の道端でもなかったので、とりあえずカローラに近づくと、これもホテルの送迎車だったようで、後ろの座席にいた男性は白人の観光客で「ラジエーターやられたんでしょ。」とにこっとされてようやく安心した。

カローラには運転手と助手席に黒人さんが、後部座席には白人1人に日本人が2人乗ったものだから、もともとシャコタン気味だった車が一層低くなって何度も下をこすっているような音がする。白人さんとそれまでの運転手は街中のホテルで下りて、運転手が変わって一路我々のホテルに向かった。この運転手というのがハナ肇をやくざみたいな強面にした人でサングラスが一層怖くしている。気も短いようでラジオの局を変えたりつけたり、運転も荒いしスピードもだす。内装なんかはさすが日本車綺麗なままだったが、ふと気がついて見たら走行距離16万キロをこえているし、おそるおそるスピードメーターをみたら壊れていて0のままだった。2人とも念のために貴重品はどこにしまってあるか、を確認して手が汗でにじむほどぎゅっとバックを握り締める。

ホテルに到着してこれほど嬉しかった瞬間は今までの人生でなかった。フロントに運転手がばたばたといった感じでたたみかけるように説明している。チェックインすると「不便をかけてすみませんでした。」と言われたがあきらかに連れは頭にきていたようだった。結局ホテルに到着したのは午後6時前、海岸は歩いて1分もしないので散歩して気を紛らわせる。ビーチは白い砂が綺麗だったが、海の色は思った程美しいブルーではなかった。


レストランの入り口にオウムが飼われていた。通りかかって色々話し掛けてみると「Hello」と「Jambo」と答えた。なかなかこれは楽しいぞ。「こんにちは」も教えるか。夕食は午後8時からホテル内のレストランでいつものようにフルコースが用意されていたが、ウェイターがだらだらとサーブするし、サファリでかわした「JAMBO!」の覇気がある挨拶もなくてちょっと残念。もしかするとモンバサの多湿の気候がこの違いを生んでいるのかもしれない。とにかく今日は色々あった移動日だった。
DAY8

モンバサのホテルで約1週間ぶりにテレビとお目にかかった。部屋のテレビは衛星放送があるのでBBCやCNNが見られる。アメリカには今世紀最大のハリケーンが近づいているとかでそのニュースばかりだ。こうやってテレビを見ていると、テレビもインターネットもないとてもシンプルなサファリ生活から、段々と世の中に復帰する段階を経ている感じがする。

この日は朝から雨。せっかくの海もプールもちょっと無理そうだ。濡れてしまえば同じだろうが、午前中の雨はとにかく土砂降りに近かった。いつものイングリッシュブレックファストの朝食を食べた後、屋根のある屋外での卓球とビリヤードにはげむ。スカッシュもあるようだったが、貸しシューズがないというのであきらめた。


モンバサは海沿いなので、海産物がおいしいという。このところお肉類ばかりで胃がもたれていたのでお昼にはかなり期待して高級シーフード店タマリンドに挑むことにした。タマリンドはモンバサの街から海を隔てた反対側にあって、ホテルからはタクシーで20分程片道800シリングだった。タクシーはまたしてもおんぼろ車で今日のように雨が降ってしまうとデフはとっくに効かないようなので室内の窓は曇りきっている。それでもそこそこのスピードで走るから、溝もないであろうタイヤがいつスリップしないかと心配になってくる。


店は海沿いの高台に位置していて、天気がよければかなりいい景色なのだろうが、今日は残念ながら雨模様なので、モンバサの街が向こうに曇って見える。メニューを開くと、おお、久しぶりに刺身なんてあるではないか。インド洋のマグロを前菜に頼むと、綺麗な花形に盛られて結構な量がやってきた。火に通さない食べ物を口にするのは久しぶりだしなんだか体にもいいような気がしてきた。赤というよりはピンク色のマグロは柔らかくて、新鮮なひかりもののような味がした。


これはメインも期待できそうだ、と思ったが期待以上のメインが登場!量もすごいが味は新鮮な海産物を上手に料理してあって、非常においしい。ロブスターは炭でやいた匂いが香ばしいし、蟹はけっこう辛い味付けが後をひく。蟹は殻付なので木の棒のようなもので叩き割るようにといわれた。ロブスターにはレモンバターのソースが付いていたが、刺身についていたしょうゆで頂いてもさっぱりとして日本人好みの味だ。メインと格闘する間、2人とも食べることに必死でしばらく会話がなくなっていた。ああ、満足満足。

ホテルに戻ると、お土産店で朝のうちに頼んだ写真の現像ができたというので取りにむかう。サファリでとった写真がどんな感じにとれているか試しに1本だけ現像を頼んでいたのだが、早朝にとった数枚は全体の色調が変な薄紫になってしまっているし、昼間にとったライオンファミリーはいやに黄色が強くなっていて、ちょっとがっかり。しかしその他は心配した以上に手ぶれもせずにきちんととれているし、望遠レンズはしっかり仕事をしてくれていて良かった。

部屋へ戻る帰り道、レストラン入り口のオウムに再び声をかける。「Hello!」とか「Hola!」とか色々声をかけてみたら、なんと、


「ASS HOLE」


と答えた。近くを歩いていたホテルのスタッフが笑っている。おいおい、こんなのあり?

一日降ったりやんだりの天気なので、結局モンバサの街にも外出せず、ホテルに戻ってからは再び卓球などをしてだらだらと過ごす。明日は晴れてほしい。

DAY9


ついにケニア最終日だ。朝起きるとどうにか雨はあがっているようだが、太陽はものすごいスピードで動く雲に隠れてしまっている。それでも海岸にでてみると数人既に泳いでいた。海は思ったより水温は冷たくなく、波もないので泳ぐのは楽だ。そのうちに太陽も顔をだし、朝食前にひと泳ぎすることができた。ふわっはっは、これで3大洋制覇(太平洋、大西洋、インド洋)だもんね、と連れは上機嫌。運動後の朝食はいつもよりおいしかった。

お昼頃にホテルの送迎で空港に向かう予定なのだが、予定の時間から10分待ってもホテルのバスが戻らないのでこのタクシーで出発してほしい、とドアマンに言われてふと目をやると、これまた20年くらい前のおんぼろベンツだった。内装はプジョーと同じくさびてぼろぼろ、しかもスピードメーターは動かない。もう、慣れたぞ、とにかく故障しなければいいや、とホテルを出発して数分したら、非常に綺麗で新車のような小型バスとすれ違った。バスの横には「セレナホテル」という文字が見える。タクシーの運転手が「はっはっは、あのバス待ってたんだよね。もう遅いっ。」と笑っているが、こっちは残念無念、一度でいいから綺麗な車に乗りたかった。。

午後1時半、モンバサを4度目のプロペラ機で出発、ナイロビに向かう。ナイロビに到着寸前にちょっと揺れて、さすがに今回は無事にプロペラを乗りきるわけにはいかなかった。段々と気持ち悪くなってきて、到着する頃には手足がなぜかしびれていた。吐かずにはすんだがうえーといった顔で飛行機を降りると、前を歩いていた女性も「私もよ。」と苦笑していた。


ここで初対面のPさんと会う。こちらはまだ気持ち悪さが抜けないので顔もひきつり気味だったが、Pさんは「ナイロビはこのくらい天気よくないとねー。」と青空を見てにこにこしている。車で拾って頂いて、3人で連れが大好きなキリンとイボイノシシを見るためジラフセンターに立ち寄る。ここでは直接キリンに餌があげられるのだが、建物の階段を昇ると本当にキリンの顔が目の前にあって、餌(黒っぽい小さなビスケット大)めがけて長くて灰色の舌がのびてくる。その舌の上に餌を置くと、キリンはすぐさま飲み込んで次をねだる。これの繰り返しなのだが、すきをぬってキリンの目を見るとこれがつぶらで可愛い。真正面からキリンを見ているとトロけてしまいそうなくらい可愛い。


丁度小学校の遠足なのかたくさんの子供達がジラフセンターに到着したので、あっという間に足元が子供の海になってしまった。子供にはキリンも、キリンの舌もとてつもなく大きく見えたのか、餌をあげたいにも怖くて足がすくんでいるような子がいた。


その後Pさんの好意に甘えてナイロビ国立公園にも足をのばせた。2人とも慌ててカメラと双眼鏡の準備をする。さすが首都にある国立公園だけあって、遠くの高層ビルの群れや離発着する飛行機が背景だ。通勤するのにこの国立公園を横切っていく人もいるらしいと聞いてびっくりする。なぜかこの時はダチョウが多くて、あっちこっちにオス一匹にメス二匹のグループがいる。ここはダチョウ村になってしまったのか?サイが一匹歩いていたが、ちょっと車道からは遠かった。白っぽいおさるさんが座っていたが、Pさんの説明通りあそこの色はバブーン同様綺麗なピンクでそのまわりがこれまた綺麗なパステルブルーでそのコントラストは美しかった。(写真:わからないのが残念。)

すっかり日が暮れて夕食をするべくナイロビ中心地に移動する。日が暮れてしまうと街灯がない道は車のヘッドライトだけが頼りで、状況は日本の中央高速道路状態なのに、肌が真っ黒の人間がへっちゃらで道を横断してくるので、車の中からだといきなり人が見えてきて非常にスリリング。安全のためにも蛍光色の上着を着るべきだ、と助手席にすわってびびっている連れがぶつぶつ言う。これこそナイロビのナイトサファリといった趣だった。

我々2人はかなり日本食を渇望していたのと、椎名誠も行ったことがあるらしいのとで、和食の店赤阪での夕食にまたもや期待がかかる。肌だけはすっかり真っ黒に近く焼けているご主人が始めたナイロビ一古い日本食の店だという。刺身の盛り合わせ、鳥の竜田あげ、ナスのあげびたし、冷奴、魚の煮物、とんかつ、鳥の照り焼き、なめこの味噌汁、ごはん、白菜の漬物、とビールで乾杯してとにかく食べつづけた。やはり和食はいいなあ、としみじみしていると、どこからか


「ドドンッ!!」


と大きな音がしてきた。一度ならずも何度も続くので、もしやナイロビでまたしても爆弾騒ぎか、と店内すこしざわざわする。お店の現地人女の子が外に見に行くと、外では他にも何人も音源を確かめようとする人がいたようだった。結局、この音はこの夜お祭りをしていた花火の音だとわかって安心する。それにしても爆弾といってもおかしくないような変な音だった。

午後10時25分発の飛行機に乗るべく国際空港までPさんに送って頂く。空港外には見送りなんだか人がわらわらとたくさんいてやたらと活気がある。車からスーツケースを降ろすとうっすらと砂埃が一面に積もっていた。空港の雰囲気に押されてこちらもばたばたと挨拶してチェックインの列に並んでしまったが、Pさん、本当にお世話になりました。お蔭様でナイロビで楽しい時間が過ごせました。多謝、多謝。

空港のお土産物屋でコーヒーや木彫りの動物を買ってケニアシリングも底をついた。乗った飛行機は最新型のジャンボで快適だった。翌日イギリス時間午前6時頃にガトウィック空港に到着。ロンドンは雨が降っていて肌寒かった。

おまけ:

①今回のケニア旅行に持参して良かったもの
セーター、一眼レフカメラ、双眼鏡、ワンディコンタクトレンズ、目薬、お酒をいれた水筒、たくさんのフィルム、紐付きサングラス(サングラスをつけたりはずしたりが多いので)、耳かき

②今回のケニア旅行にあったら良かったもの
ズーム付きのデジカメ、胃薬・消化剤(足りなかった)、のど飴、爪切り

③あまり使わなかったもの
ウォークマン、蚊取り線香、短パン、目覚まし時計
今回はイギリスと日本の本の値段について考えてみたい。

日本の本は背表紙に値段が印刷されていて、どこの本屋に行っても同じ値段で売られている。本に関して値引きされる事はない。この値段というのは本屋で決められているのではなく、出版社で決められている。このようなシステムを再販価格維持制度という。

一方、イギリスでも本の値段は普通の新刊本ではどの本屋さんで買っても大体同じ金額である(一般にイギリスの本は音楽CDなんかと同じで日本よりも割高である)。ただ、新刊本以外の本が値引きされて売られていることは決して珍しいことではない。右の写真は近所で買った本で、通常は3ポンド50ペンスするがセールでたった59ペンスで売られていた。このようなことは日本の普通の本屋さんでは基本的にはお目にかかることはできない。

本の値段に関する法律

日本とイギリスでこのような違いがおきる理由は法律の違いである。チャートは一般の商品の販売過程においてどのようにその商品の値段が決定するかを示している。原則的には小売業者は幾らで消費者に売るか決める権利がある。その為、チャートから見てもわかるように、商品の値段はそれぞれの小売業者によって違ってくる。熾烈な価格競争があるからこそ値段は安くなっていくのである。(チャート1)


小売業者が実際に消費者に売る為の価格を、もしも製造業者が決定したらどうなるだろうか。結果は、製造業者の指示によりどの商店に行っても小売価格が同じという事になり、価格は今まで以上に高くなるだろう。これが価格維持制度である。(チャート2)この制度下では少なくとも同じブランド内での価格競争(ブランド内競争)が失われる為、消費者は高い値段のまま商品を購入する事を余儀なくされる。その為、日本を含む多くの国では独占禁止法もしくは競争法が、製造業者が小売業者の価格決定を阻む事を禁止している。それゆえ日本においても様々な商品がお店によって値段が異なって売られている。

しかし、日本では本の値段はどこの書店でも同じである。これはなぜだろうか?理由は日本の独占禁止法が文化的見地から、本、雑誌、新聞、レコード等いくつかの著作権物にだけ特別な扱いをしているからである。つまり、日本の価格維持制度はそれらの著作権物の為にだけ独占禁止法下で認められている。


諸外国はどうなっているのだろうか。グラフの○印は価格維持制度が認められている事を示し、×印は禁止されている事を示す。イギリスでは最近まで本の価格維持制度は認められていたが、1997年に裁判所が違法の判決を下した。 (グラフ参照)

再販価格維持制度は廃止すべきか?

それでは日本は今後も本や新聞に対する特別措置を継続すべきなのであろうか。日本でも最近では多数の人達が価格維持制度に対して抗議を行い、政府でも廃止すべきなのかが討論された。しかし、多くの新聞会社と出版社が政府に対し反対キャンペーンを行った結果、価格維持制度廃止は先送りとなった。

それら多くの新聞会社と出版社は、本と新聞は文化の発展に寄与する為、独占禁止法下で他の商品と同じように分類されるべきではないと主張する。彼らの主張は一見もっともらしいが、本質は彼らの利益を守っているだけで、消費者の利益を守ろうとしているわけではない。価格維持制度を廃止すると文化の発展が妨げられると彼らは証拠もなく主張するが、価格維持制度は文化の発展とは全く関連がない。例えばアメリカがいい例である。アメリカでは本の価格維持制度は1975年に廃止されたが、それ以降アメリカの文化は荒廃していったとでも彼らは主張するつもりなのであろうか。また、そもそも、文化の発展に寄与するのは本や新聞だけなのだろうか。彼らが本気でそう思っているとしたら、それは傲慢以外の何物でもない。

再販売価格維持は、知的財産権という独占を保証する制度と独占禁止法という競争を保証しようとする制度が正面から衝突する問題の一つである。だからこそ、「文化の発展」というわかったようでわからない言葉で議論をごまかすことだけは避けるべきである。しかも、再版制度の維持が利益につながるマスコミが、維持論の正当性を世論のごとくに報道するのは、いかにも日本のマスコミ的でアンフェアである。私個人としては、原則として、本や新聞も競争原理に晒すべきで特別扱いすべき理由はないと考えている。確かに、私の大好きな街の小さな本屋さんに不利な影響が及ぶ可能性はある。しかし、街の八百屋さんも大きなスーパーを相手に頑張っている。そんな八百屋さんと本屋さんを区別することはできないと思う・・・。(99/9/5)
99年3月7日早朝に英国にてスタンリー・キューブリックが亡くなった。享年70歳。「時計仕掛けのオレンジ」、「博士の異常な愛情」、「2001年宇宙への旅」や「シャイニング」といった数々の名作、話題作を残して、また一人映画界の巨匠がこの世を去った。

彼は、マスコミ嫌い、人嫌いで有名で、1960年に米国から英国のマナーハウスに移住して以来、そのまま英国でその生涯を終えることとなったわけであるが、英国の著作権法とも少なからず関係のある人である。

彼の代表作の一つである(2001年と並び、私の最も好きな)「時計仕掛けのオレンジ(A Clockwork Orange)」は、英国で1972年から1973年の61週間に亘り上映された映画であるが、その後、この映画は一度も英国で上映されていない。また、現在にあっても、英国ではレンタルビデオやDVDで観ることもできないのである。これは、映画の暴力シーンやレイプシーンが「copycat attacks(模倣暴力行為)」を英国内で数多く誘発したと批判された後に、キューブリックが突如として映画配給会社であるワーナー社に英国での上映を中止させ、その後、一切、英国のこの映画の上映やテレビ放送などを許諾しなかったからである(キューブリックは、ワーナーに著作権を譲渡する契約の中で映画の上映を中止させる権利を留保していたらしいが、なぜ、キューブリックが上映を中止させたか、その具体的な理由については、彼は一言も語っていない)。

その後、1993年に、あるテレビ製作会社が、フランスから「時計仕掛けのオレンジ」のLDを入手し、映画のシーンを数多く(映画全体の10%程度)利用して、「何故英国での上映が中止されたままなのか」といった点についてのドキュメンタリー番組を制作して、「Forbidden Fruits (禁じられた果実)」という題名でチャンネル4(英国の地上波)で放送しようとした(なお、この制作会社は、キューブリックのインタビューシーンを番組に挿入しようとして、彼に何度もインタビューを申し込んだが、忙しいと言われて断られている)。これに対して、映画の著作権を有するワーナー社が放映の差止を裁判所に申し出て、いったんは放映差止が認められたが、控訴裁判所でその決定は破棄され、放映が許可された。

もちろん、テレビ番組に挿入された映画のシーンの利用に関し、テレビ制作会社は何らの許可も得ていないので、原則的には、映画の著作権侵害となりそうである。ところが、英国の著作権法においても、日本の著作権法32条と同じように、批評や評論を目的とする場合に他人の著作物を利用することが、著作物の公正利用(Fair Dealing)として著作権侵害とならないとされている(Section 30 of 1988 Act)ことが、この裁判のポイントである。英国の控訴裁判所は、このテレビ番組は「時計仕掛けのオレンジ」の上映中止を批判しているだけでなく、この映画そのものを再評価しようとしているものであるとして、「公正利用」に該当すると判断した(Time Warner v. Channel Four TV, 1994 EMLR 1)。

この結果、「禁じられた果実」の放送はめでたく認められたわけであるが、いまだ、英国では「時計仕掛けのオレンジ」自体の上映は再開されておらず、ビデオでも観ることはできない(米国などから個人輸入するしかない)。その意味で、英国においては、この映画「時計仕掛けのオレンジ」はいまだ「禁じられた果実」なのであり、キューブリックが死んだ以上、もしかしたら永遠の「禁じられた果実」になる可能性もある。キューブリックが亡くなった今、彼が上映の中止を指示した真意は永遠の謎となったわけであるが、あの偏屈親父が天国からにらみをきかせている以上、上映を再開しない方が良いのでないか、と個人的には思う(法律的には色々な議論が可能であろうが・・・)。

いずれにしろ、一人のキューブリック・ファンとしては、彼の冥福を祈ると共に、彼の遺作となったトム・クルーズとニコール・キッドマン夫妻主演の映画「Eyes shut wide」が「腐った果実」でないことを期待するだけである。 (99/3/9)
アビシニアン レッド 2001年7月30日生まれ男の子

生後4ヶ月くらいの時

「むむむ?」

ボール、つかまえった

後足で猫キーック

遊びの後はお昼寝

のびのーーーび

SOLの一日①まずはアスレチック

②ここあったかいよ

③かーさん、きれいに掃除したかな

④午後のお昼寝タイム

⑤まだねむいっす

⑥そろそろ晩御飯でしょ?

⑦あとは寝るだけさ・・・

SOLの変な格好シリーズ①猫のおトイレ中って視線が怪しげ。目がとろ~。

②どうやったのか、ランプが倒れてるし、中にすっぽりおさまっちゃてるし。。。

③ヨーグルトを目の前にして2本足で立つヤツ。格好が情けないぞーーー。

④お漏らしを見つかってしおしおにまんまるくなってるところ。アルマジロみたい。

⑤シャンプー後ではりねずみ状態になってるところ。ひたすら、ぺろぺろしてます。


SOLの1歳の誕生日。ぱちぱちぱち。
記念して2ヶ月ちょっとのころの写真(a,b,c)と今日現在の写真(d,e)を比較してみました。
ほんとに、こんなにちっちゃかったのね~。

a,うちに来た初日。まだまだ目元もとろんとして、耳だけは大きいおちびちゃんでした。

b,ベッドでくつろぐにしてもちょこんとしてました。

c,ビデオの上の片隅で寝るのが気に入ってました。いまやスペースがなくなってしまったけど。。

d,ところが1歳にもなると、このていたらく。

e,ひとのベッドの上でお昼寝中。さすがに真夏ともなると、お気に入りのテレビの上は暑すぎるらしい。


SOLも1.5歳。すっかり大人の男であちこちスプレー。。消臭剤のなくなりがはやい今日この頃。

そ、そんなにおなかをみせなくても。。

ちょっとおかまちっくな寝姿だ。

朝日がベットに直撃!

「こっち向けばまぶしくないのだ。ふふふ」

「でも陽があたったほうが暖かいかも。。」

「で、一緒に寝ないの?」

「ま、いいか。もう一眠りすっかな。」

あびだよりについて

このブログには過去の思い出から現在の猫たちとの生活までが保存されています。London Storyは1998年から2000年までの在英時代の記憶のかけら、Catsにはブログを始める前の記憶のかけら、そして2004年から始めたあびだよりには現在一緒に暮らしている猫たちの様子をアップしてます。

以前使っていたブログツールがサービス終了したこともあり、MTに移行する以前に頂いたコメントが復活できなくなってしまいました。これまでコメント下さった方、申し訳ありません。ぺこり。

ゆっくりペースの更新ですが、たまに覗きに来て下さると管理人は喜びます。多分、猫たちも。

About Aby Family

3匹のアビシニアンファミリ

  • 2001年7月30日生まれ親父。2010年5月21日虹の橋。      
  • 2005年1月10日生まれ奥さん。
  • 2006年4月26日生まれ第3女子。


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