2004年7月アーカイブ

イギリスに来てはや2年。そして、日本への帰国まであと一ヶ月足らず。そんな時期に選んだ最後の長期旅行の場所はスコットランド。ネス湖、エジンバラに続いて三度目のスコットランドだが、今度はちと様相が異なる。目的地はシングルモルトウィスキーの聖地アイラ島と、ゴルフの聖地セント・アンドリュースである。そう、今回の旅行は、まさにシングルモルトウィスキーとゴルフ巡礼の旅なのである。

旅のそもそものきっかけは2年ほど前にさかのぼる。イギリスに来て間もない頃、やっと借りることのできたフラットで購入したばかりの小さな14型テレビで全英オープンを見ようとしたところ、画像は映るが音が出ない。いろいろやっても音がまったく聞こえない。仕方なく、ラジオ放送を聞きながらのテレビ観戦という間の抜けたことになってしまった。しかも、画像もかなりひどい。このとき、スポーツ観戦狂の同居人は心に誓ったというか、大きな声で叫んで誓った。「日本に帰る前に絶対に全英オープンを生で見るぞおおおおおおーーーー!」

それから2年ついに夢実現の時がやってきたのである。しかも、今年の全英オープンは、ゴルフの聖地であるスコットランドのセント・アンドリュースのオールド・コースで行われる(ちなみに、全英オープンはイギリス各地で行われ、セント・アンドリュースで行われるのは5年振りである)。このコースでは、1400年代から家畜を追う牧童たちによるゴルフの原型のようなものが行われていたとこのことであるが、その後、誰かの手により、次第にグリーンやティグランド、バンカーなどが造られていった。しかし、いつ誰が作ったのかはわからず、自然をそのまま生かしたその美しさから「神の手によるコース」とまで言われているそうな。「このチャンス逃してなるものか!」とばかり、普段は腰の重い同居人が今年の1月には電話でチケットの手配をしていた。

その後、同居人は、ぼんやりと日系のイギリス情報誌を読んでいたところ、アイラ島(ISLAYと書いてアイラと読む)のゴルフ場の紹介が載っているのを発見した。アイラ島というのは、グラスゴーの東にある人口4000人足らずの小さな島で、8つのシングルモルトウィスキーの蒸留所があるところで、このところシングルモルトウィスキーの俄かファンになった身としては、いつか行ければいいなあと思っていたのだが、若干交通の便が悪いので躊躇していたところであった。ところが、ゴルフ場なんかないだろうと思っていたところに、セント・アンドリュースばりの自然そのままのタフなコース!、同じくシングルモルトウィスキーの俄か愛好者であり、しかも下手の横好きでゴルフクラブまで振り回している同居人の目はもう既に違っている。またまた「このチャンス逃がしてなるものか!」ということである。

こっちに来て、安く簡単にできることもあり、何度かゴルフに行き、その面白さが次第にわかってきた私としても反対する理由はない。旅の目的地は決まった。アイラ島とセント・アンドリュース!まさにイギリス滞在の最後を飾るに相応しい場所ではないか。

意気込みの割に宿泊場所の手配が遅れ、5月になってセント・アンドリュース近くのホテルに問い合わせたところ、この辺のホテルやB&Bは全英オープンの時期は予約でとっくの昔に一杯になっているから、エジンバラあたりのホテルを探した方が良いと若干あきれたような声でアドバイスされる。あわてて、数十箇所のホテルやB&Bに問い合わせ、やっとセント・アンドリュースから車で1時間ほどの場所にあるB&Bを見つけてほっとする。ふだんは人任せの同居人がこのときばかりは一生懸命というより必死だった。アイラ島では目的のゴルフ場を経営するホテルの予約がとれて一安心(ゴルフ場経営のホテルというと、やたら豪華なリゾートホテルを想像されるかもしれないが、決してそんなことはない。田舎のホテルの横に自然そのままのゴルフ場があるという感じ。。)

最終的には以下のような予定となる。


Day1 ヒースローから飛行機でグラスゴー乗り換えでアイラ島
Day2 終日アイラ島
Day3 夕方アイラ島から飛行機でグラスゴー、車でラナークへ
Day4 全英オープン観戦。フォーファー郊外のB&B泊
Day5 同上
Day6 全英オープン観戦後、車でラナークへ
Day7 グラスゴーからヒースローへ

 

いよいよ出発の日。飛行機はヒースローを午後3時頃の出発のため、午前中に比較的ゆっくり用意ができる。セント・アンドリュースでの昔の全英オープンの様子をテレビで見ると、みんなセーターやらジャンパーやら着込んで、やたら寒そうなので、防寒対策だけは怠らないようにとお気に入りの皮のコートを持参することにする。同居人は冬の切り札であった長袖の下着まで持参するという念の入りよう。。。今までの旅行では、いつも、やっぱりあれを持っていけば良かったというものがでてくるので、今回はとにかく思いつくものをどんどん鞄に詰め込む(それでも幾つかは忘れ物があったのだが…)。もちろんゴルフバッグの準備も抜かりない。その結果、いつもと違いかなり大量の荷物になったため、ヒースロー行きの直通列車の出るパディントン駅までロンドンタクシーに乗ることにした。パディントン駅では、搭乗手続きができるのみならず、荷物も預けられるのでそこまでいけば楽になるという目論見だった。

ところが、パディントン駅のBAのカウンターでは荷物は最低2時間前まででないと預けられないとのこと。仕方なく、大量の荷物をトローリーに乗せ、同居人はよたよたとヒースロ・エクスプレスの乗り場に向かう。その途中、駅員にあと2分で出発だから急ぐようにと同居人は注意され、「(時間にルーズな)イギリス人に時間のことで注意されてしまった」とひどく落ち込んでしまった(その後も何度となくこのことを恨めしげに語っていたので、よっぽどショックだったのだろう)。


そんなこんなでヒースロー空港に着き、荷物を預けるが、今回はグラスゴーで飛行機を小さなプロペラ機に乗りかえることもあって、とにかく目的地のアイラ島で荷物ともう一度出会えるかすごく心配であった。特にゴルフバッグは、オーバーサイズということで別の窓口に持っていかされたのだが、預けるときには思わず再会を祈念して手を合わせてしまった。。。(写真:今夜の宿、マカリーホテル。)

グラスゴー行きの飛行機の出発は15:10。表示板で時間を確かめていざ搭乗しようとすると、係員にこれはBritish Midlandの便だと指摘される。危ない、危ない。こんな調子ではタイガー・ウッズまでの道のりは遠い。その後、なんとかBA機に搭乗するも、例によって離陸が遅れる。いつものことで慣れているとはいえ、今回は乗り継ぎ時間が30分程度しかないという厳しさ故、心配性の同居人の顔が心なしか引きつっている。


飛行時間1時間35分と書いてあったにも拘らず、55分程度でついたため、余裕で乗り換えることができた。それにしても、大した距離でもないのに離陸が遅れることを見越して、かなり長めの飛行時間を記載するBAは、さすがというか、いやはやなんとも。。。(写真:野原のアイラ空港。スコットランドの旗がはためいていた。)

とにもかくにもグラスゴーで乗り換えに成功し、無事に小さなプロペラ機はいざアイラ島へ向けて飛び立った(ようだ)。←というのも、ケニアでの体験から小型プロペラ機はかなりゆれると心配していた私は、心配のあまり離陸前から熟睡してしまっていた。同居人によれば、飛行機はほとんどゆれることなく、それはそれはすばらしい景色を眼下に優雅に優雅にアイラ島へ飛んだそうな。


そして、午後5時50分定刻通り、ついに飛行機はアイラ島へ着いた。そこで、あらかじめ電話で予約していたレンタカー(日産の見たこともないようなかなり古い型のセダン。しかし、なぜかアイラにはぴったりはまっていた車であった。しかも、二日で40ポンドと破格の値段だった)を受け取り、ホテルへ向かう。ホテルはMachrie Hotelというところで、シンプルな感じがしてなかなか快適そうだった。

荷物の整理もそこそこに車でアイラ探索へ。車を運転していて驚いたのは、すれ違う車の多くのドライバーがすれ違いざまに手をちょっとあげてこちらにあいさつをすることだ。まるで山登りをしているときのように…。人口4000人足らずのこの島では旅行者であることがバレバレなのだろうか、それともこれはアイラ島の掟なんだろうか。とにかく、こちらもあわててあいさつをしようとするのだが、間に合わなかったり、ぎこちなかったりと情けない限りだ。


10分ほどで小さな港へ到着。潮の香りがかなり強い。おじさんや子供たちが何もすることがなさそうに、ボーっと海を見ている。傍らでは夢の一つがかなった同居人がやたらはしゃいでいる。。。そのあと、1時間ほど島のあちこちを回るが、至るところでピートが切り出してあるのを発見する。ピートというのは、泥炭(写真)のことで、乾かすと燃えるので、ピートを燃やしたときの煙で麦芽(モルト)を乾燥させるらしい。潮の香りを含んだピートを使って麦芽を乾燥させるので、アイラのシングルモルトはスコットランド本土のシングルモルトよりスモーキーな香りがするんだなあ、などと柄にもなく感傷にふけっていると、なんだか無性に飲みたくなってきてホテルへ戻る。

ホテルでラフロイグの15年物とボウモアの15年物を頼んで、同居人と乾杯。自分の好きな酒をその酒ができた土地で飲むのが最高と誰かが言っていたが、まさにその通り。至福の時とはこんなことを言うのだろう。バーのカウンターで働くの女性のスコットランドなまりの「オーケイ」(母音をはっきり発音し、しかも後ろにアクセントがあるような感じ)という言葉も心地よく耳に入ってくる。小腹が空いてきたので、スモークサーモンとマッシュルームのフライを頼んだところ、マッシュルームのフライの美味いこと、美味いこと。うーん、至福の時は止まらない。その後、いろんなシングルモルトを飲んで爆睡(ちなみに夜の10時でも外はまだ明るかった)。
朝8時から朝食をとる。同居人はスコットランド名物のキッパー(にしんの燻製)を頼んで、美味しそうに食べている。キッパーはとても美味しいのだが、これを食べると日本人としては白いご飯を一緒に食べたくなるのが最大の短所。私はといえば、好物のポーチド・エッグを頼んだが、こればっかりは・・・。だって黄身と白身が完全に分離しているなんて。このホテルで唯一不満の残ったものだった。 
 

さて、朝食後、早速、ゴルフに挑む。料金は一日やり放題で一人30ポンド(約5000円、1ランドだけだと一人22.5ポンド)。ホテルを予約するために電話をした際、ゴルフのスタート時間も予約しようとしたところ、「そんな必要はないわ」と一笑にふされてしまっていたのだが、確かに、みんな適当にスタートしている。待ち時間など存在しない。

さあ、夢のコースでいよいよティーショットだ。

3時間半に及ぶコースとの闘いが続いた。。

本当に綺麗で、そしてタフなコースだった。海沿いのでこぼこの草原でゴルフをしているとでも表現すれば良いのだろうか。もちろんキャディさんなどいないし、クラブもトローリーにのせて、自分でガラガラとひっぱらなければならない。つらかった。でも楽しかった、本当に。さすがスコットランドのゴルフ新聞の読者投票で、スコットランドでお薦めのゴルフ場第3位に選ばれただけのことはある。スコアですか?そんな野暮なことを・・・。


さて、1ラウンドのプレイを終え、バーで昼食をとる。同居人はハンバーガーを、私はチリコンカンを頼んだのが、このチリコンカンが結構いけてた。朝のポーチド・エッグを補って余りあるものだった。そして、食後のくつろぎもそこそこに、アイラでのもう一つの目的であるボウモアの蒸留所へと車で向かった。  
 

蒸留所で見学ツアーを申し込んだら、今は丁度製造をやっていない時期にあたるが、それでもいいか?と尋ねられた。川の温度が高くなり、ウィスキー造りに適しなくなるからということである。そういえば、その暇な時期に家の壁のペンキを塗り直すので、アイラの家のペンキはいつでもきれいなんだという話しを聞いたことがある。実際に製造していなくても、中が見れて、試飲ができるだけで十分なので、なんの迷いもなくツアーを申し込む(入場料は2ポンドか3ポンドだったと記憶。ただし後でお土産を買い物をすると、入場料分はディスカウントしてくれる)。

最初に10分程度の短い映画を見せられる。アイラ島の紹介や製造過程等を簡単に説明した、ありがちなものだったが結構楽しめた。その中のセリフで、次のようなものが印象に残っている。「シングルモルトを造るうえで、大切なものがいくつかある。大麦、美味しい水、ピート、そして何より大切なのはウィスキーを造るユニークな人々。それらが全てアイラ島にはある。」 
 

映画をみた後、中を見学して、いよいよお楽しみの試飲。くーーー、たまらない。(写真:全種類のボウモアが並ぶカウンター。各自好きなものがどれでも飲める。)普段は高くて飲めないようないろんな種類のボウモアがただで飲めるとは。。。しかし、午後のゴルフが残っているので、断腸の思いで何杯目かのグラスを置いて、ボウモアを後にした。

午後3時からほろ酔い気分での第2ラウンドスタート。この時間、ラウンドしている人はほとんどいない。ほとんどプライベート・コース状態だ。気持ち良すぎ。しかし、さすがにこのコースで一日2ラウンドは辛い。しかも、私は一日2ラウンドするのは初めて。最後は本当に這うようにして歩いていた。だけど、だけど、前にも後ろにも回っている組がすぐには続いていないなんて、日本のゴルフ場ではありえないことだろう。しかもこの好天。どうすればいいっていうの?もう嬉しすぎて途中からスコアなんてどうでもよくなってしまって、コースの芝生の上に大の字になって真っ青な空をしばらくながめた。 


ゴルフの後は、ひとっ風呂浴びて、夕食。同居人はヒレステーキ、私はサーロインステーキを注文。スコットランドはステーキが名物の一つなのだが、確かになかなかの美味。以前、アイルランドでステーキを頼んだとき、ミディアムレアーなのにナイフで切れないほど固く、3分の1も食べらないという悲惨な目にあっていたので、かなりドキドキしながら待っていたのだが、今回は正解。うーーん、本当にスコットランドはたまらん。食後まもなくまたもや爆睡。

朝、そそくさと朝食とチェックアウトを済ませ、いざ最後のゴルフを楽しむことにするが、まずゴルフボールを大量に仕入れる。ラフは草ボーボー、キャディーさんはいない、ショットは右に左にといった三重苦では、ボールはまさに湯水のように消費されていく。昨日も大量に購入したのだが、それでも足りなくなるおそれがある。


もちろん一番安いボールを買うのだが、それでも1個1ポンドと結構高い。まじで、ボール代金の方がプレー代よりも高いくらいだ。そういえば、昨日のパブでも、「どうだ。ボールがたくさん無くなっただろう」とうれしそうに尋ねてくるスコットランド親父が何人かいた。地元のプレーヤーもきっと結構ボールを無くしているんだろうな。

なんだかんだでプレーを始めたのは朝9時くらいだった。今日もスコットランドらしくない天気。お日様はピカピカで、風もあまり吹いていない。私たちのすぐ前をまわっているのは、50代くらいのご夫婦二人。年齢を感じさせないしっかりとした歩きだ。私たちのすぐ後ろでは、なんと11歳くらいの男の子がお父さんをキャディー兼コーチとして引きつれて、一人でプレイしている(未来のウッズかセルジアか)。その他にも、大きな犬を二匹散歩させながらプレーしている夫婦もいれば、3歳くらいの女の子と遊びながら、ゴルフしているお父さんもいる。どれも日本ではあり得ない、なんとも言えない光景。うーーーん、まさにここはゴルファーの楽園。本当にゴルフが生活の自然な一部となっている感じだ。日本にいた頃は、ほとんどコースにでるようなお金もなく、せいぜい練習場にたまに行くくらいだったのが、こっちでは練習場を探す方が難しい。練習場に行くくらいなら、みーーんなコースにでてプレーするんだろう、うらやましい。

プレーを終えて、昼食のためパブに入ってみると、テレビでは全英オープン一日目の模様が生放送されている。マルちゃんが大健闘中とのことで、こっちまで浮き足立ってくる。「マルー、待ってろよ。明日から応援にいくからな!」と同居人は真面目な顔をしてテレビに向かって話しかけている。


食事を終えた後、夕方の飛行機まで時間があるので、アイラ島観光にいくことにする。まずは、同居人の一番のお気に入りのシングルモルト「ラフロイグ」の蒸留所に行くが、見学は事前の予約が必要とのことで、外から写真をとるだけしかできなかった。このあたりは潮の香りが一段と強く、それがあの「ラフロイグ」のスモーキーなくせのある味につながっているのだろうか。ちなみに、私はラフロイグを最初に飲んだとき、あまりのくせの強さ(薬品のような匂いにそのときは思えた)にあまり美味しいとは思えなかったが、段々とはまってきている。 
 

ラフロイグの後は、車でバードウォッチングで有名らしいグリュイナート湖というところにあるが、あいにくと眼下に広がるのは広大な草原とたくさんのハエばかりであった。その後、隣のユラ島行きのフェリーが出ているポート・アウケイグに足を伸ばしてみた。フェリーといっても車が4,5台くらいしか載らない小さなもので、港も本当にこじんまりとしたものだった。でも、港から見えるユラ島の景色はなかなかのものだった。3つの乳房(Paps)を持つ島と言われているらしいのだが、実際に見て納得。三つの山が三つのなかなか豊満な乳房に見えるからあら不思議。(写真の山々がそれ。)のどかな港の感じとマッチしていて、時間があれば渡ってみたかった。

港をあとにして、頻繁に現れてくる羊や牛の群れを横目に、再度ホテルのパブに帰り、お別れに一杯飲むことにした。旅の感傷を肴にしぶく酒をひっかけるはずが、隣にいたアメリカ人のグループが全英オープンの実況を見ながら大声で騒いでいて、感傷もなにもあったものじゃなかった。景気のせいだろうか、最近どこに旅にいっても耳に入ってくるのはアメリカン・イングリッシュ。しかも、大抵の男性は、短パン、Tシャツ、スニーカーにでかい体という組み合わせ。いやでも目に入ってくる。さすがに食傷気味。こんなときは、「もっとイギリス人も頑張れ」、などと都合のいいことを考えてしまう。


午後6時10分、行きと同じ小型プロペラ機はアイラ島を飛び立った。なんだか同居人の思いにのせられて来た島だったが、大充実だった。人は暖かいし、食事は美味くて、景色も良い。そして何よりうまい地酒と自然そのままのゴルフコース。これ以上、なにが必要なのって感じがするくらいだ。貧乏性の同居人は、こんな幸せの後はきっと大変なことが待っていると、迫りくる日本帰国をおそれていた。でも、きっともう一度戻って来れるはず、いや戻って来よう、アイラ島へ。
昨晩はアイラ島からグラスゴーに着いたのが夜7時くらい。そこからレンタカー(お気に入りのプントをゲット!)を借りて、車で40分くらいのラナークという街の近くにある安いホテルに泊まった。そこから、セント・アンドリュースまでは車で2時間はかかりそうだったので、連日のゴルフで疲れ切った体に鞭打ち、早めの朝食(ここでもポーチド・エッグはまともなものがでてこなかった)を済ませ、朝8時半くらいにはホテルを出発した。

最初の一時間くらいはとても順調だったが、セント・アンドリュースが近くなるにつれ次第に渋滞に。終いには、あと10マイルくらいでセント・アンドリュースという所で車がほとんど動かなくなった。最初は余裕をかましていた同居人も、「ジャック・ニクラウスが見れなくなる(ニクラウスはこれが最後の全英オープンらしい)」「マルちゃんのスタートに間に合わない」などとブツブツ言い出し、いらちモードに入ってくる。身の危険すら感じた私は、思いきって横道に入ることを提案。失敗したらただですまないところだっただろうが、これが大正解。なんとか12時前にはセント・アンドリュースに到着することができた。

ここから同居人はまたまた「夢でも見ているモード」に入る。あっちにニクラウス、そこにマルちゃん、向こうにウッズ、後ろにガルシア、こっちにモンゴメリー。イギリスに来て顔を覚えた有名ゴルファーばかりだ(全英オープンなんだから当たり前か)。私はプロのゴルフ大会を見るのは初めて。これまた当たり前の話だが、みんなすごく上手。打ったボールは早くて目で追っかけることができない。でも、彼らのスイングを見て、「目から鱗が落ちた」とつぶやいたら、同居人が「みんなそう言うんだけど、自分でプレーするとすごく落ち込むんだよな」とさらにブツブツ言っている。



セント・アンドリュースのオールドコースはコース全体がコンパクトにまとまっているので、予想したよりいろんなホールを回りやすい。同居人に言わせれば、(すごく失礼な言い方だが)まるで日本の河川敷コースのようにアウトコースとインコースが隣り合っている。だが、それにしても歩く。そして、予想をはるかに超える天気の良さ。風も雲もほとんどない。2時間くらいあっちこっちと動き回ったら、さすがに疲れ果てた。やっと落ち着きを取り戻しつつあった同居人も昼食休憩をとることに同意。シーフード・レストランが見つかったので、すかさず入る。

セント・アンドリュース征服記念ということで、豪勢に、ロブスターを茹でたものと、蟹をゆでてかに味噌とあえたものを食することに。場所柄ちょっと値段は高かったが、これがかなりうまい。回りはガンガン、シャンパンや白ワインを飲んでいた(後ろにいた男性4人のグループはすでに白ワインの空き瓶が3本あって、さらに2本新しいのを買ってきていた。もちろん皆顔は真っ赤!)ので、こちらもかなり誘惑にかられていたが、「ここでシャンパンを飲んだら、もう動けなくなる」と同居人と互いに言い聞かせ合いながら、なんとか我慢する。

食後は、13番ホールのグリーン近くのスタンドで座って落ち着いて見ることにする。ここからだと、5番ホールや13番ホールのパッティングの様子ばかりでなく、6番ホールのティーショットの様子も見れるので、かなり充実の時間を落ち着いて過ごせた。ただ、スタンドのちょっと上の方に座ると、風が結構きつくて肌寒いくらいだった。そこで、一時間半くらい観戦していると、お目当ての一人である目の前の13番グリーンにマルちゃんがやってきた。今日はスコアが伸びず苦労しているようだった。しかし、ここではバーディーチャンスにつけていた。「頑張れ、頑張れ」と心の中での祈りもむなしく、ボールはカップの横をかすめていった。と、ここで突然、同居人が立ち上がり、「丸山を応援に行こう」と言うので、スタンドをそそくさと下りて、マルちゃんをしばし追っかけることにした。


しかし、これがいけなかった。きっとマルちゃんにとっては私たちは厄病神だったのだろう(マルちゃん、ごめん)。その後のマルちゃんはひどかった。ティーショットはラフに打ち込むし、リカバリーショットはバンカーに入れてしまうという悲惨な有様。見ているこっちが辛くなってきたので、今日はこのへんで引き上げることにした。(マルちゃんは、結局、その日大きくスコアを崩し、かろうじて予選を通過するという有様だった。写真:一番先頭がまるちゃん) 
 

今晩泊まるところは、セント・アンドリュースから車で北へ一時間くらいの距離のフォーファーという街のはずれにあるB&B。民家の二階をちょっと改造して、二組が泊まれるようにしているという典型的なカントリー・サイドのB&B。風呂とトイレは共同というので、どんなところかと多少心配していたが、思ったよりずっと綺麗で一安心。バスタブもえらく広い(一応、ジャグジーになっているらしいが、さすがに怖くてこれは利用しなかった)。50代くらいに見える人の良さそうなおばちゃんが一人でいろいろと世話を焼いてくれる。着いてすぐに持ってきてくれたフレッシュ・ミルクが疲れた体にたまらなく美味しかった。

夕食は前もって頼んでおかないと用意できないとのことだったので、紹介してもらったパブ(B&Bから車で7,8分くらい)に行くことにした。ちなみに、隣の部屋に泊まっていた年配のご夫婦にはレストランを紹介したらしいが、我々は見るからにお金がなさそうだったのだろうか??

パブは、まさにその村に一軒ある村人の社交場という感じのところだった。とても感じがよく、料理の味もなかなかという、拾いものの店だった。ちなみに、奥の方には、おじいちゃん、おばあちゃんの団体が8人くらいで座っていたのだが、おばあちゃん達のおめかしぶりがかなり強烈だった。私達はと言えば、ガバガバとビールやシングルモルトを飲み、爆睡というお決まりのパターンであった。
今日からセント・アンドリュースは決勝に入る。予選を通過できなかったニクラウスのプレーを見ることはもう二度とないだろうと同居人は悲しそうにしている。


朝食は朝8時に頼んでいたので、一階に下りていくと、隣の部屋に泊まっている年配のご夫婦とお孫さんが黙々と朝食をとっている。会場の中でやっている子供用のゴルフクリニックにお孫さんを参加させたかったが、昨日は込んでいて無理だったので、今日は早く行くらしい。最初は無愛想だったおじいさん(といっても見かけは結構若く、ベンツのクーペに乗っているくらいだからかなり車好きのはず)が、いろいろと話しかけてきた。アイラ島に行ってゴルフとシングルモルトを堪能してきたばかりだと話すと、「あそこのシングルモルトは美味しい。最初はくせがあって飲みにくいが、次第に慣れてくるんだ」などと言いながら、うれしそうにしている。おばあさん(こちらはさらに若く見える)の方は、最初からフレンドリーでなにかと話し掛けてくれたが、お孫さんは終始無言。12,3歳くらいに見えたが、どこの国でもこのくらいの男の子は大体無愛想なんだなと妙に納得してしまった。しかし、この年で全英オープンをこの目で見る上に、そこでレッスンも受けるというのだから本当にうらやましい限りだ。

B&Bを9時過ぎくらいに出て、コースに10時過ぎくらいに到着する。さすがに今日は同居人も落ち着いているので、まずはコース横のプロショップでゆっくりお土産なんかを物色することにする。すでにかなりの人が狭い店に入っており、入場制限していたくらいだったが、中では意外とゆっくりといろんなものを見ることができた。ついお土産よりも自分の買い物に夢中になってしまう悲しい性。同居人もポロシャツの他に自分の頭にも楽に入る帽子を見つけたと言って、結構ご機嫌な様子だった。 


天気は今日も快晴。また焼けそうだ。前日は動き回ってかなり疲れてしまったので、今日は見やすいスタンドの席に長時間とどまっていろんな選手を見るといういわば定点観測方式を採用することにした。最後の組であるウッズ組が来るまでそこのスタンドに陣取るとしたら、3時間以上そこにいることになる。それでは途中でお腹が空くだろうということで、少々早いが(午前11時過ぎ)、まず腹ごしらえをすることにした。実は昨日から妙に気になっていたもものがあったのだ。それは、ローストポークまたはローストビーフのバーガーまたはバゲット!!これがにおい、見かけともに妙にそそるのだ。おまけに、どの店より長い行列(キュー)ができている。こりゃ食わねばなるまい。そこで、ローストポークのバゲットとローストビーフのバーガーを買って、早速食す。マスタード、ケチャップ、ホースラディッシュは各自自由に味付け可能だ。これが予想とおりのジャンキーな美味。高速の休憩所の出店でうまいものを見つけたときと同様の感動がある。 

しかし、感動に浸っている暇はない。「今回は食べにきたのじゃない。すばらしいプレーを研究にきたのだ。」と言い聞かせて、水・コーラのペットボトルとポテトチップス(まだ食うのか!)を仕入れて、計画通り、3番ホール前のスタンドの上方(上から2番目)に席を確保した。ここからだと2番ホールのセカンドショット、2番グリーンのパッティングの様子、3番ホールのティー・ショットの様子、さらには奥にある16番グリーンのパッティングの様子までが堪能できるという非常にお得な席だ。さらにスタンドの一番上の席が空いたので移ってみると、後ろの練習場で練習している他のプロの様子も楽しめるというおまけつきだ。しかし、一番上の席は風が直接にあたってくるので、かなり寒い。持ち込んだ防寒具を次から次へと着込んでいく。日差しは夏、サングラス着用、しかし体感温度は冬という結構厳しい状況になった。でも、次から次へと超有名ゴルファー達のプレーが目の前でくり広げられるので、思ったより飽きずに楽しむことができる。おっと、早々とマルちゃんが16番グリーンにやってきた。今日は結構調子が良いらしい。しかし、我々の目の前でまたもや惜しくもバーディーパットをはずしてしまう。本当に私達はマルちゃんの疫病神なんじゃないだろうかとマジで心配になってくる。


一時間半くらい観戦を続けていると、段々と上位の選手が登場してくる。スコットランド期待の星コリン・モンゴメリー、世界ランク2位、そして目を疑うばかりに胴が長いデイビッド・デュバル(我が家ではダックス君と呼ぶこともある。写真上:右から2番目)、昨年の全英オープンで奇跡の逆転負けを喫したフランスのジョン・バンダベルデ、神の子セルジオ・ガルシア、さらには昨日流し目をおくられて以来(勝手な思いこみ)、一気にファンになった世界NO1レフティーのフィル・ミケルソン・・・。テレビでは何度も見たプレやーが次から次へと、あまりゴルフに詳しくない私でもさすがに十分楽しめる。(おまけにプレー中に野うさぎが一兎突然登場してボールよりも早いスピードでゴルフ場を駆け回っていた、なんとのどかな!)ただ気になるのは、またしてもアメリカン・イングリッシュ。別にアメリカ人が嫌いなわけではないが、これはアメリカの大会かとつい思ってしまうくらいのアメリカ人の多さには驚かされる。本当に今アメリカって景気が良いんだろうな。


そんなこんなで、待つこと3時間以上、ついに大トリのウッズ組が登場。ところが2番ホールでボギー。思わず私達はマルちゃんのみならず、ウッズの厄病神でもあるのかと心配するが・・・。そんな高飛車な心配が全く不要であったことは皆さんがご存知のとおり。ちなみにそのボギーは今回の全英オープンでウッズが初めてたたいたボギーだったらしい。そういう意味では貴重なものを見せて頂いたということだろう。


そのあと、3番ホールでのウッズのティーショットを拝ませてもらった後、長らく親しんだスタンド席をついに離れた。その後、一時間くらいブラブラと14番ホールから16番ホールあたりをうろうろとしながら、いろんなプレーを堪能した後、車が混まないうちに帰るのが賢明ということで、早めにB&Bに戻ることにした。


一時間くらいでB&Bに戻ってみると、テレビでは丁度ウッズが17番ホールあたりをプレーしていた。もう完全な独走状態である。ダックス君が6打差の2位にいるが、逆転の可能性はほとんどないだろう。興味は完全にウッズの記録に向けられている。「勝負の醍醐味という点ではつまらなくなったが、歴史的なものの目撃者の一人になっているんだ」などと同居人がのたまっている。


シャワーを浴びた後、再び昨日と同じパブへ夕食に。暑かったので今日は冷たい白ワインをしこたま飲んで、いつものように爆睡。

いよいよ今日は全英オープン最終日。そんなに早く出発しても仕方がないので、比較的ゆっくり朝のドラマなんか見て、おもむろに出発することに。隣に泊まっているご夫婦に挨拶して、B&Bの建物の写真をとっているとB&Bのおばさんが出てきて庭を案内してくれた。さすがブリティッシュ、ガーデニングには気合が入っている。話によれば、もっとも厄介なのは野うさぎらしい。あるときは庭に植えた野菜を野うさぎが全部食べたらしい。私達からすれば、昨日コースにあらわれた野うさぎがピーターラビットを連想させるのにくらべ、このおばさんにすれば、憎っくきウサギ達ということになってしまうのだろう。まるで我が家のネズミのように・・・(ネズミと比べるのはウサギに失礼かな)。

この日コースに着いたのは午前11時ちょっと前。(写真:思い思いに日光浴しているギャラリー)今まで見ていないホールを今日は全部見ることと、ウッズとガルシアのティーショットをもっと近くで目撃することが今日の目標だった。まずは、8番ホールから11番ホールがひしめく奥の方へ行ってみる。まだ、それほど観客は多くなかったので、比較的楽にプレーを間近に見ることができた。


その後、懲りもせず、またもやローストポークのバケットを食べる。今日は初めて天気があまり良くない。食べている最中についに雨まで降ってきた。小降りだが、今回は(ほぼ)準備万端だったので、早速、フード付きのヤッケを得意げにはおって、次の目的地である一番ホールに向かう。ところが、雨はあっという間に止んでしまい、昨日までの晴天に戻ってしまった。うれしいやら、ちょっと残念やらの複雑な気持ちであった。いずれにしても、天気が良くなってはますますウッズの優勝の確率は高まってしまうのだろう。

一番ホール付近にいくと、最終の18番ホールと向かい合わせになっていることもあって、すごい人の数だ。なんとかティーグランドの近くで立っていると、目の前をスペインの神の子ガルシアが笑顔を観客にふりまきながら通って行く。あまりに突然のことで、「あっ、あっ、あああ」と言っているうちにいなくなってしまう。本当に普通の少年といった感じで、やせてひょろっとしていた彼。ああ、情けない、こんなときになぜ勉強しているスペイン語が口から全くでてこないのだ。「日本でもしもう一度ガルシアに会う機会があったら、絶対スペイン語で話しかけてサインをもらうぞ。いや、彼の専属通訳になるぞ」などと他愛もないことを考えていると、今度はウッズが目の前を歩いていく。今度は、「あっ、ウッズだ」と言った。彼の名前が言えただけでも大きな進歩だが、おそれ多くて話しかけられる雰囲気ではなかった。というより、まわりを警備の人間が取り囲んでいて、他の選手と比べると物々しい。やっぱり、私の愛はフィル・ミケルソンに注ごう。ということで、しばらくここでミケルソンの登場を待つことにした。さすがに同居人は少々あきれて、しばらく別の場所でプレー観戦を楽しむと言って、どっかへ行ってしまった。


しばらく待ったが、結局、ミケルソンが目の前を通ることはなかった。でも、いろんなゴルファーが本当に自分の目の前を通っていき、すっかりミーハー気分に浸ることができた。ガルシアやミケルソンのティーショットを観戦した後、ウッズのティーショットをもっとも間近に見るため、3番ホールのティーグランドへ向かう。ほどほどにいい場所を一旦は確保したのだが、同じような狙いのギャラリーが次から次へと集まってきて、かなり厳しい状況になってきた。けれども、忍の一文字でウッズの登場を待つ。


来た、来た。伝説を創ろうとしている男の登場だ。(写真:最終日おきまりの赤シャツ姿。)しかも、ダックス君と同じ組で。すごい盛り上がりだが、ティーショットを前に、異様に静まり返る。・・・・・・ 打った。打球は(見えなかったが)美しい軌道で飛んでいった(ようだ)。うーーん、幸せ。



最後はマルちゃんのフィニッシュを見届けるべく16番ホールへ。スコアボードを見るとあまり調子は良くないようだ。16番ホールは無難にパーにまとめた(つまり、バーディーパットをはずした)が、17番ホールがひどかった。そもそも17番ホールはこのオールドコースでもっとも難しいと言われているホールだが、ミスショットの連発であった。もう集中力が続かないんだろう。「数年前、全英でベスト10に入ったあの初々しさはどこへ」と同居人が哀しそうにつぶやいている。18番ホール周辺はあまりに混んでいたので、18番でのマルちゃんのティーショットを最後に、ついにセント・アンドリュースを離れることにした。(写真:最終日のまるちゃん。)うーーむ、予想以上に3日間堪能させてもらった。しかし、予想以上に暑かった。日焼け止めを頻繁に塗ったにも拘らず、すっかり日焼けしてしまい、スコットランドを旅行したと言っても誰も信用してもらえないような感じになってしまった。

今晩のホテルは7月20日に泊まったレナークのはずれのホテル。料金の割に部屋も広く、結構きれいなところだったので、すぐさま23日にも泊まる手配をした。なにより魅力だったのが、ホテルが手配してくれる近くのゴルフ場で、なんと無料でプレイできるということだった。これも20日の段階で早速24日午前のプレーを予約しておいた。

さて、セント・アンドリュースからホテルまでの行程は、早めに出発したかいあって、2時間くらいのものだった。ラジオでその後の全英オープンを聞きながらのドライブは退屈しないものだったが、日差しが強いのには参った。こっちの車には普通はエアコンなんかついていないので、暑い日に高速をとばす場合には窓も開けられず、まさに蒸し風呂状態となってしまう。

6時前にはホテルについて、テレビをつけるとちょうどウッズ組が間の17番ホールに入るところであった。一時、追い上げたダックス君も力尽き、もうウッズの優勝は決定的。あとはこの17番ホールを無難に済ませることくらい、と思って見ていたら、ダックス君が大トラブル。バンカー脱出に4打もかかってしまい、見ているのもつらい状態だったが、彼は淡々とプレーを続けていた。。。

ウッズの優勝を確かめ、夕食へ。ここは食事があまり美味しくないところが最大の欠点。でも、今晩は日曜の夕食込みのお泊り特別割引料金で泊まっている身分なので、贅沢は言えない。可も無く不可も無くといった夕食をすませた後は、ホテルのガーデンで最後のシングルモルト。すっかり私もシングルモルト党になってしまったようだ。そして、いつものように爆睡。


いよいよ最終日。アイラ島とセントアンドリュース巡礼を終えて、今日は基本的にはロンドンに戻るという日だが、その前に最後のゴルフが午前8時半スタートだ(無料!)。早めに朝食を済ませ、車で向かう。20分くらいでゴルフ場に着いたが、これが予想以上にちゃんとしたゴルフ場。宿泊したホテル経由で予約すればただでできるというので、どうせ田舎のちゃっちいゴルフ場と予想していたのが、なかなかどうしてあなどれない。

今回はカートが借りれたので、かなり楽チンで回れたのが、途中アクシデントが起こってしまった。私が前に置いていたカートのフロントの透明なプラスチック(車のフロントガラスの代わりのようなもの)に、同居人が珍しく良い当たりのボールを見事命中させてしまったのだ。そして、フロントの透明プラスチックには、綺麗なひびが見事に入ってしまった。フロントの人が一部は保険がでるので全額弁償する必要はないとのことだったが、結局、30ポンドくらいを弁償費用として支払うことになってしまった。まあ、それでももとがただでプレーしているのだからと自分達を納得させながら、ゴルフ場を後にすることにした。


飛行機がガトイックを出発する3時50分まで結構時間があったので、ラナークとニュー・ラナークをちょっと探索することにした。これも予想以上に綺麗なところで結構楽しむことができた。(写真:今回のレンタカーのプント。運転しやすい、乗り易い、非常に良い車!)

そして、予定通り、3時前には空港に到着し、レンタカーを返却していざロンドンへ。1週間で4回ゴルフをプレーし、しこたまシングルモルトを飲み、美しい景色の中ドライブをし、見事なプレーを堪能し、そして、優しい人々と出会い・・・。本当に今回の旅は英国滞在のフィナーレを飾るにふさわしい旅になった。それにしてもスコットランドは素晴らしい。また、きっと来よう。

お誕生日を記念して、ここ1年間の写真です。

地上を歩く人やら車やらをじーと見ている様子。
身じろぎもせず、案外真剣?


勝手にジャンプしちゃって、そこは立入禁止地区です。 


この角度だと、お顔すっきりに写るな。猫っぽいぞ


ほんとの体長ってこれで測るのかな?


あぁ、ご親切にありがとよ(涙)


しっぽまできちんと収納されてます。


よっ!男っぽいぞっ!

一枚の写真とか音楽のフレーズとかが普段は頭の奥にある記憶を一瞬にして呼び起こすことがあると思う。ほろ苦かったり悔しかったり馬鹿みたいに楽しんだ思い出だったり。ロンドンに来てからそういうかけらが幾つか増えた。

ロンドンには色々な人種の人が住んでいる。ヨーロッパ、中東、アフリカ、南米そしてアジア等、とにかくごった煮シチュー状態だ。色々な人種はいるけれども、やはり白人は白人、有色人種は有色人種、マイノリティーはマイノリティーで集まることがよくある。

アジアの中では日本人はもちろん多いがイギリスと同じコモンウェルスのシンガポール、マレーシアや香港からの留学生も多い。今まであまり知り合う機会のなかったそうした日本以外のアジア諸国からの留学生とロンドンで友達になった。外国語である英語で話しても同じアジアだからやはり理解しやすい事が多くて楽だ。


そうすると仕事、食べ物、生活様式、テレビドラマ、はたまた芸能界までよく日本の事を質問される。香港ではなにせ日本で放映されているテレビドラマがたった数日で海賊版テープとして流通するくらいだから役者の名前とかも詳しい。(名前等は漢字で書くとお互いすぐわかる)日本に興味をもってもらえるのはこちらも妙に嬉しいので、つい一生懸命説明してしまう。(その為同居人の友達の台湾人などは、九州が日本で一番いい場所だ、とすりこまれている。)

話していると彼らの国の事もわかるし、日本と比較できるから面白い。例えばシンガポール出身のご夫婦と話していたら、シンガポールで産休がとれる期間は2,3ヵ月だという事がわかった。あれ、確か日本は1年だったような気がする、とつぶやいたら、1年?それは長くていいわね、と奥さんがため息をついた。その後イギリスを調べたら確か半年位だったので、それと比べても日本の産休は長いのだという事に気づいた。こういう制度は日本はどうせ遅れているのだろうと思い込んでいたからちょっと意外だった。


日本のアジア諸国への戦争責任とかになると歴史的背景をあまりに知らないのでできるだけ変な事を口走らないようにしているのだが、台湾出身の友達は、日本軍のお陰で台湾の医療制度は確立したんだ、日本に感謝する事はたくさんある、と祖母から聞いたと言っていた。そういう側面もあるんだと興味深かったが、もっと色々な角度から現代の歴史を勉強しておくべきだと思った。(大体日本史の授業って第一次世界大戦あたりで終わってしまいませんか?)

これらの友達の中にはまだこれからしばらくはロンドンに暮らす者もいれば、既に帰国した者、ヨーロッパの他の国に移る者、色々だ。こちらもそのうちには帰国するだろうし、そうなると今度いつ会えるかはわからない。でもきっと次に会う時は日本でのような気がする。来てくれたら本当に嬉しいと思う。きっと馬鹿みたいに張り切って日本の事を好きになってもらおうと接待してしまうだろうけど、彼らに会えた縁に感謝して日本に来た時は存分に楽しんでほしいし、日本の事気に入ってもらいたいと心から思う。
食べ物編

各国に根づいた食べ物があります。日本だったら、納豆、味噌汁、すし、天ぷら、イタリアならパスタ、ピザ、ラザニア等々。ではイギリス人がイギリスっぽい、と思うものはなんでしょう。クリームティやローストビーフやヨークシャープティングの他にも下記のようなものがあります。


Marmite(マーマイト)
イギリス人家庭ならば大抵は常備してあるといっても過言ではありません。トーストに塗って食べますが、ジャムとは違って全く甘くはありません。色は真っ黒、味はかなり濃くて塩味系。といっても100%植物系でビタミンBを豊富に含むそうです。どうもイギリスでは日本人にとっての納豆のような存在らしいのですが、外国人で嫌いな人は多数います。


Ribena(ジュース)
スーパー、リカーショップ等で必ず置いてある飲み物。実際飲んだ事はなくとも、イギリス生活中一度は目にしたことのあるという程ポピュラーな飲み物です。


Chocolate(チョコレート)
イギリスではチョコレートはポピュラーなおやつというだけではなく、しばしの食事の代わりにしている人もいるようです。確かにチョコレートバーを一つ食べるとかなりのカロリーは摂取できそうですが。。Twixはチョコレートバータイプで、下にビスケット、上にキャラメルをチョコレートでコーティングしてあります。Penguinもビスケットとチョコレートの組み合わせです。


Crisps(クリスプス)
イギリスでチョコレートと勢力を2分するのがポテトチップス。しかし、お菓子というだけでなく、十分副食ともなっています。イギリスではいわゆるポテトチップスをクリスプス、フライドポテトの事をチップスとよびます。


Tea(紅茶)
イギリスといえば、紅茶。紅茶の種類も沢山あります。最も庶民的な紅茶の一つが写真のPG。パックがピラミッド型をしていてスペースがある分、よく蒸れておいしくなるのだそうです。その他には丸型、四角型のティーバックがあります。イギリスの紅茶はミルクをたっぷり入れて飲むのが主流。

観光地編

ロンドンに観光にきて目にするものは色々ありますが、以下はビックベンからトラファルガースクエアまでのスナップ集です。


Big Ben(ビックベン)
1859年に作られた時計台の高さは95m。南側に連なるゴシック建築の建物が国会議事堂。夜は美しくライトアップされます。


HorseGuards(ホースガーズ)
ホースガーズとは近衛騎兵連隊の司令部。写真は入口の両側に馬にのった衛兵の警備中の図。警備といっても身じろぎ一つしないで前方を直視しています。バッキンガム宮殿と同じく衛兵交代の儀式がここでも行われています。


Downing Street No.10(首相官邸)
ホースガーズから少し南下すると黒い鉄柵で閉ざされている道がDowningSt.でここの10番地が首相官邸です。(写真右手こげ茶の建物)


Trafalgar Square(トラファルガー広場)
クリスマスにはツリーが飾られ、年末にはカウントダウンが行われる広場。交通の要所でもあり、ほとんどの深夜バスはここから発着しています。

コインランドリー編

いまでも街のどこかには絶対あるもの、それがコインランドリーです。今でも洗濯機のない家庭が多いようで、平日の午前中などは結構おばさん達で混んでいます。大抵昼間は常駐の人がいるので時間のない人は洗濯物を預けておくと有料で洗っておいてくれます。


イギリスの洗濯機は日本のように上から出し入れするのではなく横から出し入れします。洗濯機の種類によっては洗い終わった後そのまま乾燥機としても使えるものもあります。このため洗い式の方が洗濯物はいたまず水量も少なくてすむそうです。しかし一番の難点は一度洗濯が始まると終わるまで洗濯物を追加できない事です。ここのランドリーは小さい洗濯機が一回2ポンド40ペンス、(約450円)大きい洗濯機が一回3ポンド(約600円)。


柔軟剤はありませんが洗剤はミニパッケージで売られています。


これまたひっそりとたたずんでいる強力脱水機。洗濯機の脱水は効き目が弱いのでこれがおいてあります。これを使うとかなり強烈に脱水されます。ここのは一回20ペンス。(約40円)


最後に乾燥機です。この乾燥機も強烈で「ポリエステル等はいれないように」と注意書きがしてあります。ここのは最低20ペンス(約40円)からで約5分。
1999年12月31日

午前10時世界で最初に年明けするトンガの島からのニュース映像を見る。浜辺で太鼓のリズムに合わせてのシンプルな踊りだ。この島からレポートしていたSKYニュースのレポーターはこの後世界でも最も遅い年明けのハワイに移動。といっても距離はたいしてないのだろうが、日付変更線をまたぐのでおそらく大変な時差だったのだろう。


これから後、毎時間世界各国の年明けの模様がテレビで流れた。ニュージーランド、オーストラリア、と次々に盛大な花火があがる。特にシドニーの花火は橋全体を使い一度に大きな打ち上げ花火があがり美しかった。それを見たアナウンサーは「今までのところシドニーが一番素晴らしい花火ですね」と、世界一の花火をあげると意気込むイギリス人らしく余裕のコメント。(写真:トラファルガースクエアのクリスマスツリー)

日本の年明けはイギリスの午後3時。予想通り、増上寺で鐘をつく場面がながれる。花火はなし、ただ多くの人の笑顔と鐘の音だけが響き渡り「仏教徒の年越しの仕方」と紹介される。なかなか荘厳な雰囲気が伝わってきて良かった。とりあえず買っておいた日本酒で一足先に日本時間で新年を祝った。

イギリスの年越しも近づいた夕方になると、テレビ各局、テムズ川、ミレニアムドーム、ロンドンアイ(国会議事堂近くの新しくできた巨大観覧車)からのレポートが相次ぐ。心配な天気は、小雨が降るかもしれないとの予報だが、そこまで寒くはならなさそうだ。

晩御飯に天ざるを食べた。蕎麦をすすりながら見るテレビには段々とロンドンの街、特にテムズ川沿いに人が集まりだしているのがわかる。これは早めに家を出たほうがよさそうだと思い、折りたたみ傘、コーラのペットボトル2本、地図、ウィスキーをいれたフラスコをリュックに詰めて小銭とお札だけをポケットにつっこみ午後9時過ぎにテムズ川に向けて出発した。

最寄駅のカムデンタウン駅周辺は結構人が多かった。ここは元々マーケットが近くにあるから古着目当てやレコード目当てのパンクっぽいにいちゃんから地図片手の観光客、ヨーロッパからきてるカップルなどが多くて週末は乗車規制が行われる駅なのだが、10月から始まった2台あるうちの1台のエスカレーター工事は進んでいるのだか頓挫してしまっているのか3ヶ月たっても閉鎖されたままだ。(←そのせいで目がまわりそうな階段をおりないといけない。いいかげんに直せ!)ホームにいくとすごい人だ。小さな子供連れの家族も多いし、パーティ帰りか顔中ラメを散らした人、HappyNewYearと書かれた山高帽をかぶる人、そして9割の乗客は片手に酒瓶、ポケットにビールをつめている。

最初に来た地下鉄はレスタースクエアを通るチャリングクロス経由だったが、これがとてつもなく満員で驚いた。朝でも見たことがないほど人が乗っている。しかし次に来たシティを通るバンク経由はまだ空いていた。ということは、SOHO付近に集まる人が多いということなのか?もしくはロンドンアイ目当てが多いのかもしれない。


案外時間をくってしまって、ロンドンブリッジ駅に着いたのが午後10時過ぎ。テムズ川沿いに花火があがるのでまずはロンドンブリッジという橋に向う。もちろんながらすごい人だ。橋のテムズ川を臨むサイドはすでに2重3重ばかりか6重,7重の人出で近寄れない。どうにか場所を確保しようと橋を渡ることにしたのだが、とにかく橋中人だらけで歩けば一分もかからない反対側につくまで、押し合いへし合い、酔っ払いの「F**KIN!」の声を聞きながら40分ちかくかかって一息ついた。既に午後11時近く。花火まで残り1時間ちょっと、しかし場所がない。(写真:ロンドンブリッジの人の洪水)

やっと反対側につくと、すでに警官が橋への進入を閉鎖していた。ということは、一度でてしまうと今までの苦労が水の泡だ。初詣の明治神宮を思い起こさせる橋での押し合いでかなりむっと機嫌が悪くなっていた私をなだめる為に同居人が一生懸命場所探しをしてくれた。ついに見つけた場所はロンドンブリッジの真下の一角でここなら雨が降っても大丈夫だし、先にはタワーブリッジがくっきり見える。人も1列目がぐるっとできていただけなので、すかさず2列目を占拠する。ここで覚悟を決めて12時まで待つことにした。

10分前にもなると我々の後ろにも人がびっしり詰まって動きがとれない。丁度前にいる家族がシャンパンをあけてそれぞれ持参のプラスティックカップに注ぎ分けている。おお、そうだ、うちもウィスキーがあるのだ、とこちらもフラスコを取り出してそれぞれに注いでいると、シャンパン片手の娘さんがこちらに気づいて「乾杯!」と笑顔を見せた。


花火はそれはとてつもない音で始まった。と同時に誰かが紙ふぶきを散らしてあちこちで歓声があがった。テムズ川にかかる橋9箇所で同時に同じ花火があがっているので、私がいたところからはロンドンブリッジとタワーブリッジの2箇所が同時に見れた。花火の美しさはもちろんだが、間近で聞くだけあって音はド迫力。相当の火薬量だったのだろう、しばらくすると花火の煙が大気を覆いだして、タワーブリッジが霞みだしてしまった。あっという間の15分間、待った甲斐は十分にあった年明けだった。

さて、外出している間はテレビでBBCを録画したままにしておいた。理由は2つあって、一つは99年最後のビックな宝くじの当選発表があったからだが、これはすっかりはずれてしまった。うーん、一攫千金は消えたかぁ。。もう一つは今回のロンドンの花火の目玉というのが、9つの橋をつないでリレーし、新幹線以上の速度で走る花火というものだったのだが、見えない場合を考えて録画しておいたのだ。ところが、帰宅してビデオで何度見なおしてみても、それらしき花火なんてあがってない。アナウンサーも「早すぎて確認できなかった」などどコメントしている。翌日になってニュースを見るとその目玉花火に関しては「物議をかもしている」という。つまりもしかすると本当にあったのかもしれないのだが、誰もそれを見ていないし、担当者も失敗とは認めていないようなのだ。しかしあれだけ宣伝していたのだから、誰も見れなかったという時点で十分失敗だと思うのだが。。


2000年1月1日

ロンドンは曇り空。街中静かなものだ。日本から送られた佃煮で一杯飲みながら、油ののったサーモンの刺身に舌鼓をうつ。クリスマスから何かにつけては食べつづけているので、食後はプリムローズヒルまで散歩することにした。プリムローズヒルはリージェントパークの北側に位置し、ロンドンの街がちょっと見下ろせるくらいの高台の丘だ。公園は冬だというのに相変わらず綺麗な緑色の芝生が広がっているが、あちこちに黄色の袋が置いてある。よくよく見ると公園の管理会社が掃除していて黄色の袋はそのゴミ袋だった。おそらく昨晩この丘から花火を眺めていた人が多かったのだろう。丘にあがるにつれ、そのゴミは相当なもので、空の酒瓶、クラッカーの残骸、空き缶、たばこの吸殻、食べ物の包み、いたるところに散らかっているのを管理の人達が一つ一つ拾って捨てていた。確かに昨晩花火を見てから駅までの帰路でも道はゴミだらけだった。2000年を祝うというのは誰でも楽しめるイベントだったし、それを肴にお酒を飲んだり大騒ぎするのはいいとしても、終わってみればゴミだらけ、というのはイギリスの最大の悪癖の一つだと思う。普段から街がゴミ箱みたいなロンドンだが、それを片付ける人が黙々と仕事をしていたのが印象的だった。
99年8月11日、北ヨーロッパから南アジアまで皆既日食が観察された。完全に月が太陽と重なって見える場所では光が遮断される為、温度が低くなり昼間でも闇につつまれる。これは18ヵ月おきに世界のどこかの地域では見られる現象ではあるが、時間が短いか人の住んでいない地域でおこる事が多い。しかし、今回の日食では3時間にも渡ってイギリス、ヨーロッパ大陸、インドという大都市にまたがって見えるとはめずらしい。前回イギリスで観察されたのが1920年代、ヨーロッパだと1961年の事だから実に38年ぶりの事だ。午前9時30分(GMTグリニッジ標準時)にノーバスコーシャの南300kmで太陽と月が重なり始め、それからイギリス南西部、ヨーロッパ、トルコ、イラン、パキスタンで観察され、午後0時36分(GMT)インドで幕を閉じた。
一番気になるのは天気であるが、イギリスで完全な日食が見える(100%)コーンウォール地方はあいにくの小雨混じりの曇り、ロンドン(95%)は午前10時頃まで晴れ渡ってたが、日食の時間はこれまたあいにくの曇り空となってしまった。

天気にも左右されません、と英国航空ではこの日の為にコンコルドでのツアーを企画。雲の上から確実に観察しようという訳である。ツアーに参加した客はまずシャンパンで乾杯したあと、飛行機の小さな窓から観察。しかし狭い機内で全員が窓にへばりついている姿は滑稽でもあった。

さて、下記に用いた映像は当日のスカイニュースの映像である。


午前11時9分のコーンウォール地方の映像。画像ではわからないが、だんだんと暗くなってきたところ。天気はあいにくの雨。このイベントを見る為に先週末からコーンウォールに向かう道路は渋滞が続いていた。右下にみえるのがその時の太陽の図。


地上からは雲が遮って見られないが、この画像は雲の上からとっているらしい。太陽のほとんどが月の影にかくれてきた。皆既日食がおこる午前11時11分(BST英国サマータイム)のほんの数分前。

そして午前11時11分、皆既日食になりコーンウォール地方は完全な闇につつまれた。真っ暗な映像の中で家庭のあちこちから写真のフラッシュだけがひかっていた






完全に重なった後、真上から光がこぼれたようになってまた段々とずれだした映像。時速2400kmで動いているのでとにかくあっという間の出来事。


そしてロンドンの映像。丁度曇り空だったのと95%の部分日食だった為、暗くはなったがただ単に雲があついかな、といった感じ。下の映像は丁度テレビの画面がロンドンの風景から太陽の映像にかわるところを撮った為、ちょっと面白い映像になった。左下に見える黒い影は外に集まっていた人達の影。


最後は同時刻近所を撮った写真。左手上の2つの突起は屋上にでて空を見ている人の影。いかにもイギリスらしい曇り空の天気だった。数分すると公園の方から人がぞろぞろ歩いてきたので、皆公園で観察していたのかもしれない。

ちなみに、日本で次に見る事のできる皆既日食は2009年7月22日である。


おしまい。
ロンドンは住むのになかなかお金がかかる街だ。ここ数年の好景気で不動産は値があがっているし、食料品もものによっては東京より高いし、映画のセルビデオは安くてもミュージックCDは高い。そんなロンドンで住む場所を探すのは頭の痛い問題だ。中心部に近い場所は概して家賃が高いし、離れると交通費が高くなる。イギリスでは持ち家率が高いのでイギリス人は若い頃からフラットを借りずに買う事も多いが、経済的にきついと部屋を他人に貸してシェアしたりするようだ。

では日本人留学生はどうしているかというと、大学の寮、ホームスティ、誰かとフラットシェア、もしくは個人で部屋を借りるという選択肢の中から決めているようだ。


大学寮の場合
大学の寮は場所も大学から近く大抵交通の便のいい所にあるが、台所やシャワーはシェアという場合が多い。しかも夫婦用の部屋となるとぐっと少ないようだ。空き部屋さえあれば、学生でなくとも借りられる事もある。長所は色々な国籍の学生と一緒に生活する事になるのでお国柄がわかって楽しい事とかかる費用が安くできる事。大学の寮に入りたい場合、本人が入学する大学に直接尋ねるのが一番。ただし、夏休みや冬休みには一般観光客や大学生でなくとも寮を使える場合があるのでこれも大学に直接確認してみるといい。


ホームスティ
ホームスティはとにかく当たりはずれが大きい。とても親切な家主に当たる場合もあれば、学生をスティさせるのに部屋に机がないという事もありえる。しかし一番の長所はイギリス人家庭の普通の生活が体験できる事。日本人の場合大学に紹介してもらうかエージェントを通すか口コミで探しているようだ。


フラットシェア
部屋は各自であって台所、浴室、光熱費はシェアするというフラットシェアも一般的だが相手との関係が一番重要で難しい問題になってくる。大学の掲示板にある張り紙かもしくは新聞、雑誌の募集欄で探す。いい物件は動きが早いのですぐに連絡をとって部屋を見せてもらう約束をする事。どういう広告がでているかというと、

①NW2, ②quiet large double room in spaciaous house,
share 2 professional females, cable TV,
③£300pcm excl, deposit, available now
①NW1、W5、SE2等は郵便番号で数字が大きくなるほど中心から離れる。この場合のアルファベットはそれぞれ北西、西、南東などの略で中心地からどちらの方角かがわかる。
②どういう部屋かの説明。この場合「広々した家の静かで大きなダブルルーム、家は他に2人のお勤めの女性とシェア、ケーブルテレビも見れます」。
③家賃はpcmとなっていれば月に幾らか、pwだと週に幾らか。exclとついていると光熱費は請求書がきた時点での別払い。inclだと光熱費も家賃に含まれる。大体部屋に入居が決まると一ヶ月分の敷金が必要。

情報が多い媒体の例

イヴニングスタンダード(夕刊紙)
TimeOut(週間雑誌)
Loot(情報誌)
ニュースダイジェスト(日系情報誌)
ジャパンセンターの掲示板(日系食料品、書籍店)


不動産をめぐる場合
個人で部屋を借りる場合丁度いい物件にあたるかどうかこれまた微妙なところだ。しかも水道、ガス、電気、電話の諸手続きを全て自分でしないといけないので面倒でもある。フラットシェアでもそうだが、住む街の雰囲気や買い物の便利さ、銀行、郵便局の近さ等も考慮しないといけない。まずは住みたい街を決めて、その駅近くの不動産屋をまわるのが早道。不動産屋では自分の予算(特に最高で週または月に幾らまでだせるのか)、探している部屋のタイプ(寝室が一つならワンベットルームなど)、最寄りの駅の希望等を伝える事。部屋のタイプは家具付きと家具無しがある。大家さんによってインベントリーチェック(入居前の部屋の保全状態チェック)が厳しいところもあれば、やかましくないところもある。身元保証や前の大家さんからの推薦状などが必要な場合もある。


日系の不動産屋の例
ジャパンレッティング/177 High St., Acton W3 9DJ(phone)0181-993-6100 (fax)0171-993-8100
KyoService/17 Lower Merton Rise, Adelaide Rd., NW3 3RA (phone)0171-722-2721(fax)0171-483-2146
ロンドンー東京プロパティーサービス/Hampstead Green Hill 122c Finchley Rd. London NW3 5HT (phone)0171-431-3550(fax)0171-431-1997


私の場合
さて、今私はフラットを借りて生活している。探した時期が丁度円安の時期だった事、イギリスの不動産の値段が上がる一方だった事、7月の移動のシーズンだった事が重なってここが見つかるまでは大変だった。渡英前に予算と大体の場所の目星をつけておいてこちらに来てから実際に自分で足を運んだ。最初見当をつけていた街ははずれだった。駅におりてからまわりをぐるぐる歩いてみたのだが、どうしても好きになれそうな雰囲気ではないのだ。街の雰囲気だけは行ってみないとわからないものだと思い早速却下。

今のフラットが見つかる前、ロンドン中心部に格安の物件で広さも十分の部屋を見つけたが、中を見学してみるとどうしても酔っ払った感覚におちいるのだ。あれれ、何かがおかしいぞ。ふと思いたってペンをとりだしてテーブルに置いてみるとからからと音をたてて床に落ちた。そう、床が傾いているのである。それでも安かったからなんとか自分を納得させられるかその後何度も試してみたが、最終的に窓枠がずれて隙間がある事を発見。ロンドンの冬は寒いので隙間があったら暖房も効かないし致命的だ。結局傾いた部屋は借りなかった。

その後、気を取りなおして予算的にはきついけど好きな街の不動産屋をいくつも訪ねた。この街ではここが最後と疲れはてて入った不動産屋で紹介されたのが今のフラットだ。大家さんは一階で設計事務所を持つ建築家で、彼が設計したこの部屋は天窓も多くて明るいし、床も傾いてないし(?)、窓もきちんと閉まるし、という事で即決!


台所横の窓は東南に面しているので昼間は非常に明るい。台所の必要なものもほとんど備え付けでガスレンジの代わりの電熱が4つとオーブンも元々ついている。住んでみるとデットスペースに収納ができるようになっていて、そこにスーツケースも収納できるしさすが建築家と感心することしばし。

イギリスはその家に電話がひいてあればあとはBT(英国のNTT)と契約して使えるようになるのだが、昔は電話番号もそのまま変わらなかったらしい。つまり3号部屋の電話番号が123-4567だったら、そこに誰が住んでいようと番号は変らなかったらしい。このフラットにも電話線はもともとひいてあって電話番号はこれ、と渡されたけれども引っ越等で請求書を踏み倒す人が多かったのか、最近のBTは新たに契約するのにうるさくなったようだ。(当たり前?)不動産屋の話しだとすぐに開通すると言っていたのに、結局新たに書類だしたりエンジニアに来てもらう約束したりで本開通まで一週間位はかかった。


鏡のまわりは暖炉をイメージしたような造りのようだが、もしかするとこの重さで床のバランスをとっているのだろうか?椅子、ダイニングテーブル、本棚、キャビネット等全てこの部屋に元々ついている家具。統一感がありそうでなさそうなのもまあしょうがないか。98年冬はガスボイラーがよく止まってくれて暖房は効かないしお湯が使えなかったりで非常に寒い思いをしたし、(大家さんいわく、上から下の住人の部屋全て同じボイラーを使っているのに、うちのボイラーだけがいつも駄々をこねるらしい。)その後はねずみとの戦いで悪夢の日々もあったけれども、このフラットと縁があったのは幸運だったと思っている。


Harry Potter (ハリーポッター)

アメリカの作家Nancy Stoufferは1984年に彼女が出版した作品が剽窃されたとして、世界的にベストセラーとなった「ハリーポッター」シリーズの原作者JKRowlingとアメリカでの出版元であるScholastic Incを訴えた。類似点は、Rowlingの作品の主人公の名前がHarry Potter、Stoufferの作品ではLarry Potter、Rowlingの作品の登場人物名がLily Potter、Stoufferの作品ではLilly Potter、またRowlingの作品中魔法使いが人間の事をMuggleと呼ぶことに対し、Stoufferの作品では孤児の面倒を見るlittel peopleをMuggleと呼ぶ、などの点である。また"Muggle"という言葉は自分で創り出したものだとしてStoufferは商標を有すると主張している。これにさかのぼり、Scholastic, JKRowlingとハリーポッターの映画版権を所有するTime Warnerは11月にニューヨークで、Stouffeの商標と著作権を侵害していないとする判決を求めて、提訴をおこし裁判外の和解交渉を続けていたが決裂に終わっている。(3/17/00)

British beef 2 (イギリス産牛肉2)

ドイツ上院議会は、英国産牛肉の禁輸措置を廃止すると決定した。英国産牛肉は、狂牛病などを人体に起こす恐れがあるとされ1996年から禁輸措置がとられていたが、今回の決定により4月初旬から店頭に並ぶことになる。EUでの取り決めにもかかわらず、フランスではいまだに禁輸措置がとられている。禁輸措置がとられる前のドイツでの英国産牛肉の消費量は、全体の2%以下にすぎず、今回の決定は経済的状況を鑑みたというより、EU法に反して罰金などが課されるのを避けた政治的決断という側面も否定できない。(3/17/00)

Closing Time(パブの閉店時間延長)

イギリスとウェールズのパブが来夏より24時間営業可能になる。現在パブの営業時間は午後11時まで決められているが、法律が変わるとそれぞれのパブは閉店時間を各店で決められ、24時間営業も可能となる。これにより酒類販売をしているスーパーマーケットでも24時間酒類を売ることができるようになる。スコットランドではスコットランド議会に判断がゆだねられている。(00/3/14)

Blairs expecting a baby(ブレア首相夫人ご懐妊)

首相夫人の座にある女性が妊娠するというのは150年以上もの間で初めてだ。46歳のブレア首相と45歳のチェリー夫人の間にはすでに15歳、14歳の息子と11歳の娘がいるが、数ヶ月前のBBCとのインタビューでブレア首相は、「元々子供は5人欲しかった。大家族は素晴らしいと思うから。」と答えていた。ブレア首相としてはクリスマス後までニュースをふせておきたかった意向だったがど、こかでリークされてしまったようだ。保守党党首のヘイグ氏も「非常におめでたいことだ。」と祝福を送った。第4子の誕生は来年5月の予定。(99/11/19)

Notting Hill Carnival(ノッティングヒルカーニバル)

99年8月29日(日)と休日である30日(月)の2日間に渡りヨーロッパでも最大規模のノッティングヒルカーニバルが開催された。両日とも好天に恵まれ、更に今年は映画「ノッティングヒルの恋人」のヒットもありBBCによると200万人以上の人出が予想されている。30日には色とりどりの派手な衣装を着て行進するパレードが行われた。このカーニバルは1964年、人種差別や偏見にさらされていたアフロカリビアンの一致団結を目的に始まり今年で35回目を迎えた。このイベントは今では若者が暴力にはしらないようにと「the Non-Violence Project」も推進している。(99/8/30)

Pets' passport(ペットのパスポート)

現在ペットの検疫期間は6ヵ月であるが、このイギリスの検疫システムが大幅に変更されることとなった。狂犬病に対するワクチンを接種後血液検査でそれが証明されれば、その情報を盛り込んだマイクロチップをペットの皮膚下に埋め込み、これがペットのパスポートとなるのである。これにより盲導犬などがイギリス、オーストラリア、ニュージーランド間を所有者と一緒にフライトできる可能性がでてきた。来年から西ヨーロッパまでを含む地域で試験期間を設け、2001年4月からの実施をめざしている。(99/8/3)

British beef(イギリス産牛肉)

狂牛病に感染した牛肉から人間へこの病気の変種が伝染する可能性が発表されてから、英国産の牛肉は禁輸措置をとられていた。それから3年経った99年8月1日、ようやくそのEU諸国に対する禁輸措置が解除される事になり、農場主はBBQをふるまいそれを祝った。しかし、EUでの取り決めだったにも関わらず、8月3日ドイツが少なくとも秋までは安全面の問題から禁輸措置を延長する事を発表した。これを受けてイギリス農業相は、信頼回復が難しい事を認めた上で、ドイツは取り決めを守るべきだと主張した。フランス農業相も英国産牛肉がすぐに消費者に広く受け入れられるとは思わない、と否定的な発言をした。骨付きの牛肉は安全面から英国国内でさえ未だに禁止されたままである。(99/8/3)

Boots(ブーツ日本上陸)

ブーツは1849年の創業以来150年の歳月を経て、現在は英国で売り上げ第一位の小売業に成長しているドラッグストアである。英国のブーツはハイストリート沿いならば必ずといっていいほど店舗を構えており、ブーツ・オリジナルの製品をはじめ、他社ブランドの医薬品、化粧品、およびその関連製品の開発・製造の他、サンドイッチ等の販売、写真の現像も行っている。そのブーツ日本第一号店が三菱商事との合弁により東京原宿にオープンした。英国にはない白地にブーツのロゴをあしらった紙バックが日本用に用意され、英国よりも高級イメージを押しだしている。不景気の日本への進出という事になるが、バブル期に比べ安価で良い場所を店舗用に確保できたと積極的である。第2号店が吉祥寺に第3号店が銀座に出店予定。(99/7/31)

London Gay Festival(ゲイフェスティバル)

7月3日土曜日、色とりどりのコスチュームで着飾った人々がゲイとレズビアンの平等と権利を求めてロンドン中心部をパレードした。前日の金曜日には、9週間前にくぎ爆弾で破壊されたゲイパブが改装し再オープンした。今回のパレードの途中でも、この爆弾で亡くなった人達への黙祷が捧げられた。パレードは首相官邸前も通り、参加者はより一層の権利を求めて声たからかに叫んだ。このフェスティバルは週末を通して行われ、ブロンディやボーイゾーンのコンサートも行われる為、約10万人の人出が予想される。(99/7/4)
 
Royal Wedding(皇室結婚式)

99年6月19日土曜日エリザベスⅡ世が週末を過ごすウィンザー城で、3男エドワード王子(35)と婚約者ソフィー・リースジョーンズさん(34)が結婚式を挙げた。ウィンザーで皇室の結婚式があったのは前世紀以来の事。非常にシンプルなドレスにエリザベス女王のコレクションの一つであるダイヤモンドのティアラ、真珠と黒真珠で十字架にかたどられたネックレスはエドワード王子のデザインでソフィーさんへのプレゼントだという。誓いの言葉の中でソフィーさんが、ダイアナ妃は拒否した「obey」という単語を使うという事で話題になった。インタビューでソフィーさんは「私は今後夫婦として2人で決定をしなくてはならない場面がきたら、エドワード王子の意思を尊重するし信頼している。そういう意味でobeyという言葉を使う事に決めた。」と語った。エドワード王子は海軍を辞めた後、皇室関連のテレビ制作に携わっており、ソフィーさんもPR会社を経営していることから、今後もそれぞれの仕事を続けていくという。(99/6/20)
 
Nail Bomb(爆弾事件)

99年4月17日土曜日ロンドン南部ブリクストンでくぎ爆弾(くぎが爆発時に飛び散り殺傷するもの)が爆発した。週末の、しかもロンドン中心部に近い場所でのこの事件では39人が負傷し、その後の新聞紙の一面には、くぎが頭蓋骨にささって残ったままの少年のレントゲン写真が掲載された。そして翌週4月24日土曜日の夕方今度はロンドン東部ブリックレーンで同種のくぎ爆弾が爆発し、6人が負傷した。極右グループでネオナチとも関係があるとみられるCombat18や、White Wolvesが犯行声明をだしているが確認されてはいない。17日の事件の舞台となったブリクストンは多数の黒人が住居を構えている地域であり、24日のブリックレーンはバングラデェッシュのコミュニティーである事から、人種差別を唱える者の犯行という可能性も残されている。そして3週目の30日金曜日午後6時30分頃、中心部の繁華街ソーホーのパブで3度目のくぎ爆弾が爆発し、ついに死者2人、重傷者を含む80人近くの負傷者がでた。爆弾が仕掛けられたパブは、界隈にいくつかあるゲイ用のパブの1つだった為、今回の爆弾は民族的な狙いというよりは、ゲイコミュニティー自体がターゲットとなったようである。(99/4/30)
 
 
Kosovo Crisis(コソボ危機)

99年3月下旬ついにNATO軍によるユーゴスラビアに対する空爆が開始された。この問題が起こっているのは、ユーゴスラビアのコソボ自治州をめぐってであるが、この問題の根元を知るには、歴史を溯る必要がある。

コソボ自治州は9割を占める多数派のイスラム教徒アルバニア人と、少数派のキリスト教徒セルビア人によって構成されており、それぞれがコソボの真の居住者だと主張している。その鍵となる事件は1389年コソボまで広がっていたセルビア王国とオスマントルコ軍との戦いに溯る。

歴史家の一致した見方では、この戦いではアルバニア人、ボスニア人はセルビア人と共に戦った。しかし1459年までにはコソボを含め全てのセルビア王国はトルコの支配下となり、徐々にセルビア人はボスニア等に向かって北上をはじめ、人口比率のバランスは段々とアルバニア人多数派にかたむき始める。

1878年よりセルビアは完全な独立国家と認められるが、コソボはまだトルコの支配下にあった。1912年セルビアと他のバルカン独立国家はトルコの支配を排除すべく動き出した。この時コソボのセルビア人はセルビア軍の到着を喜んで受け入れたが、アルバニア人にとっては大量殺戮と弾圧でしかなかった。しかし1915年セルビア軍を退却させる事でアルバニア人はその報復を行う。

オスマントルコ衰退後ヨーロッパ列強諸国による領土争奪戦は続き、1941年コソボの殆どはイタリア支配のアルバニア大国に組み込まれるが、その他の地方はドイツとブルガリアに支配され、それまでにコソボの人口比率を覆そうと送り込まれた多くのセルビア人はその地を去る。

1945年チトー大統領のもと、複数の共和国から構成される「ユーゴースラビア社会主義連邦人民共和国」(旧ユーゴ)が設立された。共和国とは、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、マケドニア、スロベニアの各共和国である。そしてコソボはアルバニアからセルビアの領地へと組み込まれた。

1974年に旧ユーゴ6つの共和国とほとんど同じだけの自治がコソボに認められたが、1980年代になって自治権の拡大を求めるアルバニア人のデモなどが繰り返され、セルビアでは反アルバニア人感情が強まった。

旧ユーゴでは、1980年にチトーが死去した後も、集団指導体制で連邦を維持したが、1990年にソ連が崩壊しそれまでの共産主義という、ばらばらだった民族主義を超えて一つにまとめる役割をしていた目標が崩れてしまうと、旧ユーゴ自体も国家存続の危機に直面した。1991年クロアチアが独立を宣言、同じ6月、スロベニアも独立を宣言、同年9月には、マケドニア共和国が独立を宣言するに至る。1992年3月、ボスニア・ヘルツェゴビナも独立を図るが、ここでは領内のセルビア人が自分らの居住区を自治区にしようとセルビア軍の軍事介入等も加わり、後3年間の紛争へと続く。

ミロソビッチはセルビアの大統領となってすぐ後の1989年、コソボの自治権を剥奪する。アルバニア人の不満は一気に高まるが、彼らは非暴力による独立を目指すことになる。1992年セルビア共和国とモンテネグロ共和国が「ユーゴースラビア連邦共和国」を設立した(新ユーゴ)。ボスニア・ヘルツェゴビナの戦争は1995年に停戦し、領土内にセルビア人自治区である「セルビア人共和国」と、セルビア人以外のボスニアの人々(クロアチア人とイスラム教徒)の地域である「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の2つが、国家内国家として作られる、という結果となった。

コソボの非暴力による独立運動は国際社会から容認されないままである事に対して、過去数年間その平和主義によってではなく、ボスニアのように力で認知させるべきと武装ゲリラ「コソボ解放軍」(the Kosovo Liberation Army)が台頭し始める。セルビア側は、民族浄化と称して、コソボのイスラム教徒を殺戮したり、村を襲撃し家を焼き、抵抗する人々を殺した。結局、ボスニア戦争の敵味方が、戦いの場をコソボに移して戦争を続ける、という展開となった。

ここで再び紛争が起きれば、ヨーロッパ諸国に飛び火するともわからない。その為、欧米の軍事同盟であるNATOは、セルビアに圧力をかけ、コソボから撤退するよう迫り始めた。和平案を頑なに拒むミロソビッチに対し、セルビア側の軍事拠点を空爆する、というNATOからの警告は現実のものとなり、何十万という難民が命からがら国境を越えてはいるが、その受け入れ先はヨーロッパの中でも最貧国の幾つかの国であり、国際社会からの救援が必要な状況である。(99/4/4)

Stephan Lawrence2(スティーブンローレンス2)


スティーブンローレンスケースの調査結果が発表された。それによればロンドン警察を「組織的人種差別主義」で「根本的な間違え」を行ったと非難している。内務大臣Jack Strawは長らく待たれていたこの調査結果が出た事を歓迎し、法改革等を行う事を約束した。報告書では警察を「的確で専門的なサービスを人々に提供する為の組織が、肌の色、文化、民族の違いの為に、それを遂行できなかった集団的失敗」と位置づけている。これに対しロンドン警視庁長官Sir Paul Condonは、今後警察にアットランダムな人種差別に対するテスト、殺人事件調査に対するすばやい対応、警察を改革する為のプログラム等を取り入れる事を約束したが、自身の辞任に関しては再度否定した。報告を受けブレア首相は「この報告書の発表は、イギリスの歴史に新たな一歩を刻むだろう。」と延べ、「新たな法律が導入されるだろうが、それ以上に、人種問題に対して新たな時代を迎えるだろう。」と加えた。(99/3/7)
 
GM Foods(遺伝子組み替え食品)

Genetically Modified Foodsの略で「遺伝子組換え食品」の事。「安全性が保証されていない」というレポートもあるそうだが、イギリス政府は導入に非常に積極的である。しかし反対意見も根強く、その為、これに反対する運動の一環として、先日首相官邸前にGMの大豆が何袋もばらまかれるという事件も起こった。GM食品は安全です、とブレア首相が自分の子供達と一緒にGMを含む食事をしてアピールしていたが、日本でO157がはやった時に貝割れを率先して食べていた日本の閣僚を思い起こさせる。ポールマッカートニーの亡き妻リンダさんは有名なベジタリアンで、リンダ印のベジタリアン食品を発売しているが、ここにもGM大豆が使用されていた事が最近発覚し、「今後はGM食品は一切使わない」という声明をポールマッカートニーが発表したりと、消費者の注目度は高い。(99/2/26)

Stephan Lawrence  (スティーブンローレンス)

黒人の青年がバス停で人種差別の白人グループ6人に暴行を加えられ死亡した6年前の事件。事件後の数週間、警察が適切な捜査を怠った為、6人は証拠不十分で釈放されたままである。そんな事体に亡くなった青年の両親が人種差別を訴えつづけ、政府も警察の内部調査を行う等、世論の注目をあびる事件となった。最近警察署長が非があった事を認めて謝罪したが、辞任の意思はないとも表明した。黒人だからという理由で数十回も検問にあっている人、アジア人だからというだけで白人から差別を受けても報復が恐ろしくて事件にしないケース等、数あるそうで、今回のローレンスケースはそんな氷山の一角のようだ。イギリスに根強く残っている人種差別は今後どうなるか注目される。(99/2/26)

NHS(National Health Service) (ナショナルヘルスサービス)

NHSは国民医療制度の事で、イギリス国民は基本的に無料で医療サービスが受けられるが、深刻な財政不足からベッド数が足りない等の問題も多く、改善を要求されている。問題の一つは看護婦の数不足で、それを解消する足がかりとして公務員の新給与体制では、看護婦の初任給が12%大幅に引き上げられ、資格取得直後の看護婦の年俸は14,400ポンド(@200で約288万円)となった。これは過去10年間で実質最高の引き上げとなる。最近ではテレビで看護婦になるように呼びかけるCMが放映されている。(99/2/26)
 
Single currency(統一通貨)

1999年新通貨ユーロが登場した。通貨統合の参加国では2002年からユーロ通貨、紙幣の流通が始まる。既に参加国では既存の通貨とユーロとの交換比率も固定されており、今後数年間が移行期間となるが、現在のところイギリスはこの通貨統合には参加を表明していない。イギリスポンドへの愛着が強いのか、ただの様子見なのか、相対的に通貨統合には反対の国民が多いようで、経済界にも反対論が根強く残っている。そんな中、ブレア首相がユーロ参加に向けて積極的な声明をだしたが、参加する為には国民投票で結果がでなければならず、まだまだ政府の期待通りに進かは混沌としている状況だ。(99/2/26)
旅のきっかけ

同居人の友人が出張でイギリスに来ることになり、週末に時間がとれるのでロンドンに戻りながらゆるゆるとコッツウオルズに行ってみようという話になった。私達もまだ行ったことがなかったし、イギリスは田舎がいい、と多くの人から聞いていたので大賛成、色々情報を集めることにした。

コッツウオルズという丘陵はロンドンから北西に鉄道で約二時間、そのあちこちに「イギリスでもっともイギリスらしい田舎」と称される小さな村が点在している。今回は限られた時間の中で幾つかの村を車で移動した。村はそれぞれに特徴があり、天候にも恵まれた為、思った以上にのどかな風景を満喫することができた。

以下はコッツウオルズ周辺図。緑色の地帯がコッツウオルズ丘陵で大文字で表されているのが都市、小文字の村が今回たずねた村だ。
土曜日の午前中レンタカーで一路バーミンガム方面に走らせる。三斜線の高速道路は混雑もせずにスムースに流れる。イギリスの高速道路も一番右が追い越し斜線で、一番左はトラックなどの速度の遅い車が走っている。車を運転する人ならわかるだろうが、高速道路を走る場合、まわりの車の流れにのる事が重要だ。そうして前を走る車と同じような速度で走っているのだが、真中の車線で走っているにもかかわらず、気がつくとスピードは150キロちかい!ということは追い越し車線を走っている車は一体何キロでているのだ?しかもうちが借りたレンタカーのフィアットプント(注:プントは日産マーチと同レベルの車)と同種の車がびゅんびゅん飛ばしている。ひえぇ、こわいよお。。

同居人の友人U氏をバーミンガム近くでピックアップ。まずは一番近いストラトフォードアポンエイボンに向かうべく田舎道を進む。途中道に迷いそうになったが、どうにか20分程で無事到着する。ここは、かのシェイクスピアの生誕の地で有名な街。エイボン川が街をながれ、街自体は高い建物もなくてこじんまりとまとまっている。今まで一週間近くもっと田舎に缶詰になっていたU氏は、週末の買い物客がわらわらといる事にびっくりしている。


我々はまっすぐシェイクスピアの生まれたという家に向かう。(写真)この家は街のど真中、ハイストリート沿いに建っている。1564年にシェイクスピアが生まれ、1806年までこの家は彼の一族の所有で、その後人手に渡ったりしたが今は国の所有となっている。2階建てのちょっと天井が低めの家だが柱や梁はかなりしっかりした木材で建てられているようだった。

その後川沿いを散策して次の目的地チッピングカムデンに向かった。

車で20分も走ると急に駐車している車が増えだして、もうそこは街のハイストリートだった。この街は牧羊で栄えたコッツウオルズの中でもひときわ重要なマーケットタウンとして栄えたらしい。その名残は1627年に建てられたマーケットホールにしのばれるが、今から見ればとても小さな屋根だけついたバスの待合所のようだ。(写真)

一本道のハイストリートにはこの村の規模からするとかなりの数の車が駐車されている。こちらも駐車のスペースを探している間にかなりはずれの方にきてしまった。どうにか駐車して来た道を戻るように歩いていると、右に曲がる小さな道の向こう側が草に覆われた丘になっている事をU氏が発見した。裏側ってどうなっているのだろう、というU氏の言葉にみんなで道をそれることにしてみた。


そこは学校のグラウンドを倍くらいにした大きさの草がはえているだけの空き地だった。そこからはハイストリートには戻れないようだったので、来た道をひきかえそうとすると一人のおじいさんが向こうから歩いてきた。塀もなくて他人の家が後ろから丸見えのような場所だったので、勝手にはいってくるなと怒られてしまうかと思っていたら、「この丘を上って向こう側から下ればメインストリートに戻れるよ。」と教えてくれた。やはり田舎の人は親切だ。確かによくよく見ると「Public footpath」と矢印がひっそりとでている。踏みしめられてなんとなく道っぽくなっているfootpathを歩いてゆるーい丘を登って後ろを振り返ると、静かな街並みとその反対側の丘に数十頭の羊が草を食べている風景が目に前に繰り広げられていた。はじめて見るコッツウオルズの風景がしっとりとしみてきた。


言われたとおりに進むと舗装された車道にでた。気づくとまわりには茅葺きのお家がぽつんぽつんと建っている。窓も小さめだし外からみても高さがあるような家ではないが、きっとつくりはしっかりしているのだろうと思った。安定感のある温かみのある家だ。大体どの家にも煙突があったから、冬場は暖炉を使用するのだろう。

ハイストリートに戻って散歩をしながらお茶をした。スコーンは暖かく、クリームも味が濃かった。


この村は一本のハイストリートがゆるやかにカーブしていて、道沿いの建物は薄い黄色の色調だった。新しい建物がないからか、ハイストリート沿いは石の建物で全体がまとまっていて、すこしはずれると茅葺きの家が建っているようだった。

そのハイストリート沿いに一軒インテリアショップがあったのではいってみた。ガイドブックによるとイギリスの大御所的デザイナーの店で銀製品は首相官邸でも使われているそうだ。鉄製のキャンドルスタンドやワイン置き、ペッパーミルや台所製品、どれもセンスがいい。ぶらぶら見ていると同居人が鉄なべの前でストップして、これで餃子焼いたらおいしいだろうな、とつぶやいている。鉄なべだから当たり前だが持ってみると非常に重いので、普通の料理を気軽に作るような代物ではない。(チャーハンなんか作ったら手首が折れそう)しかし「鉄なべ餃子」という言葉の魅力には抵抗しきれずお買い上げとなった。(後日餃子を焼いたら皮かりかり肉汁ジュッでおいしかったですぅ)


日も暮れてきたので本日の宿のあるチェルトナムに向かう。電車でコッツウオルズに来る場合基点となる駅があるのがチェルトナムだ。夕食でワイン2本が空き、その後お土産にもらったするめをつまみにシングルモルトだビールだ、と飲んで気づいたらベットの中だった。

この日、朝食を控えたのには別の理由もあった。イギリス人に教えられたお勧めのパブランチの為にお腹をすかせておきたかったのだ。そのパブはバーフォードの近くだったのでお昼までこの村を散策することにした。


この村はいままでの中では一番開けている。バイブリーは牧草地の奥まった所にひっそりとある村だったが、バーフォードは幹線道路から近いこともあって車の往来も多いし、坂道のハイストリート沿いには色々とお店もある。


どの村も地元産出の石を使っているので街並みの色がそれぞれ異なるのだが、ここバーフォードの石は白っぽい薄黄色で建築家のクリストファーレンがロンドンのセントポール寺院を建てる際に、この地産出の石を使うようにと指定したそうだ。

村のはずれの小さな橋は中世に建てられた橋だそうで、車はすれ違うことができないくらい幅が狭い。その橋のたもとにある大きなイチョウの木は黄色に染まった葉っぱを風がふくたびに吹雪のようにちらしていた。

お昼近くになっていざパブに向かうことにした。地図にはどうにか名前がのっている程度の村の中のたった一軒のパブで住所もわからないが行けば必ずわかるから、と薦められしかもそんな村のパブなのにランチの予約はした方がいいと忠告された。はてさてどんなパブなんだろう。


標識にそってまたしても一本道をぐんぐんと奥にはいっていく。途中別れ道もでてきたが、とにかく行きやすい方向に車を走らせると右側にパブらしい看板をだす建物が見えてきた。名前をチェックすると確かにそのパブだった。店の前に車をとめて外にでる。まわりは牧草地、川が流れ遠くに羊の群れが見える。近くには家らしい家もない。それでもパブはこの近くの人達の溜まり場なのか、パブ周辺にはたくさんの車が駐車されていて、中には紺とシルバーのポルシェのボクスターが2台も連なって駐車されている。こんな田舎だからどちらかといえば4輪駆動の方が似合いそうだが、ボクスター2台となるとそれはそれで見ている方も楽しい。(写真:パブ外観)


ロンドンでみるようなパブとは違い、いくつもの小部屋に分かれた天井の低いつくりで天井には梁がむきだしになっている。我々が到着した12時30分頃には数人のお客さんが椅子に座ってビールなどを飲んでいたが、ほとんどのテーブルには予約の札が置いてある。

我々もそれぞれキドニーパイ、ポークソテー、ミックスグリルの食事を頼んで、待つ間ビール片手に外にでた。ここはコッツウオルズのガイドにでてくるような村ではないので車の通りも少なく、携帯電話、テレビなどの人工的な音がほとんどしない。景観を損ねるといえば遠くにつながっている電線ぐらいなもので、本当にただの羊のいる牧草地に囲まれた田舎の一画に立っているのだった。


しばらくビールをちびりちびり飲みながら三人で外でぼーとしているとお店のご主人が食事の用意ができた、と呼びにきてくれた。三人とも体調万全で食事を頂く。キドニーパイのパイは手作りの味がしたし、付け合せの野菜もほくほくしておいしかった。この頃にはパブの中のテーブルはほとんど満席状態で、予約をしたほうが良いと言われた事に納得した。

イギリスらしい田舎にある、田舎っぽいパブで大満足した三人は次の村バートンオンザウォーターに向かった。ここに向かう途中がコッツウオルズの中でもかなり標高が高い場所になるので、ドライブは箱根の気分、たまに見えてくるのは眼下に広がる緑の村々で、気づいたら山頂に着いていました、といった感じだった。

バートンオンザウォーターにも川が流れているが、その水深は足首ほどだろうか、その川にはほんの少しカーブのついた橋がかかっている。川沿いにはいくつものお店があり、ハイストリートもなかなかの込み方で、ストラトフォードアポンエイボンのミニチュア版のような村だ。駐車場はかなり広くて大型の観光バスも6,7台停まっていた。


同居人のリクエストでモーターミュージアムに向かう。昔の水車小屋を改造したというミュージアムには30年来のコレクションが集められているが、ミュージアムというよりは個人が好きで集めた車に関わるすべて、もちろん古い車からミシュラン人形、プレートまでなんでもありで、それが所狭しと並べられている大きな趣味部屋といったところだ。しかしディテールには凝っていて、1930年代のロンドンタクシーの座席にはその頃のらしい新聞紙ザタイムス、山高帽、ステッキが置かれていた。同居人は「こげな充実した博物館は、ロンドンの自然史博物館以来や!」と言って興奮しまくっている。興奮を抑えてやるために「BRUM」というテレビシリーズのミニカーを買って与えると、大事そうに持ってニコニコしている。


村の中心から離れるように少し歩くともうそこは牧草地、またしても羊たちがゆっくりと草を食べている風景にであえる。途中で通りすぎる家では家人が庭の手入れに忙しそうだった。

村を散策しているとモデルビレッジの看板がでてきた。この村を小さく縮小して屋外に展示してあるので自分がガリバーになった気分になる。教会では中にミニチュアの椅子もおいてあって、賛美歌までながれていた。

駐車場に歩いていく道路沿いにも黄色にそまったイチョウがたくさんの落ち葉を作り出していた。たくさんの鳥が住みかに向かって飛んでいた。こちらも大分夕暮れが迫ってきたので、この村を最後に一路ロンドンへの帰路についた。
旅のきっかけ
ケンブリッジで学生生活を送っている友人が大学でのフォーマルディナーに来ませんか、と誘ってくれた。知り合いがいなければカレッジの中に入ることは滅多にできないだろうし、二つ返事で行くことを決定した。ロンドンからケンブリッジに行くにはキングスクロス駅かリバプールストリート駅から電車にのって約一時間の旅。日帰りも十分できるが今回は一泊してゆっくりすることにした。

コッツウオルズの地図にケンブリッジも示されているが、場所はロンドンから北方面にある。オックスフォードもそうだが、いくつものカレッジが点在しておりそれらを総称してケンブリッジ大学と呼ぶ。ケンブリッジで一番歴史のあるカレッジは750年も歴史をさかのぼるというから、日本で言えば鎌倉時代にすでにその伝統は始まっていたことになる。平坦な石畳の街である為、学生のもっぱらの移動手段は自転車で、通学風景はさながら中国を思い起こさせると友人は言っていた。


Formal dinner (大学での夕食)
金曜日午後6時頃のキングスクロス発電車にのってケンブリッジに向かう。時間帯のせいか電車は込み合っていて席が確保できなかった。それでも東京の混雑よりはましだから、一緒に招待された友人と世間話をして時間をつぶす。電車は定刻通りケンブリッジに到着し、タクシーの列に並ぶ。タクシー乗り場横には自転車置き場があり、多数の自転車が整然と並べられていた。(写真:ケム川にかかる「数学の橋」)


ディナーは午後7時30分からスタート。木製の椅子とテーブルの上に人数分の食器が並べられていた。一番端は段差が一段高くなっていて椅子も立派なものが並んでいる。そこには教授が座って食事をするそうで、教授が入場する時は学生は全員起立して迎えるのだそうだ。今回招待してくれた友人は荷物の中から黒いガウンをとりだして着ている。ケンブリッジの学生が入学式や卒業式、こうしたディナーの時に着用することになっているケープのようなガウンだが、年に数回の出番の為に新品90ポンド(日本円約18000円)は高いか、記念と思えば安いのかは人それぞれだろう。(ちなみに中古も売買されているそうだ)(写真:キングスカレッジ)

コースはフルーツサラダ、チリコンカンのような煮物か鮭のグリルに付け合せの野菜、デザートにプリン、コーヒーとシンプルだった。イギリスの鮭は非常においしいのだが、今回でてきた鮭はナイフが入らないくらい硬かったそうだ。チリコンカンの方はベジタリアン用の食事だったが味付けは十分されていた。飲み物は持ちこみで友人が買っておいてくれた赤ワインと白ワインを飲んだ。

その後カレッジの中を案内してもらった。金曜日の夜だったので図書館には男性が一人しかいなかったが、非常に静かでこじんまりとした図書館だった。食堂近くにあったバーでは、大学生対抗のクイズをしていたようでマイクをもったお兄さんが問題をどなっていた。カレッジに一旦入ってしまうとそこは勉強施設の整った大きなアパートメントといった感じで、勉学に取り組むには落ち着いていて非常にいい環境が提供されていると思った。

その後街の中心まで散歩がてら歩いてその日の宿にたどり着いた。

Cambridge (ケンブリッジの街)

昨日から小雨まじりの天候だが、朝起きるとどうにか晴れているようだ。この日の朝ふとテレビをつけたらなんとアニメのポケモンが英語の吹き替えで放映されていた。しかもどうも初回のようだ。これからピカチューもイギリスではやるのだろうか。


宿に荷物を預けて最初に向かったカレッジは1441年設立のキングスカレッジ。大体造りはどこのカレッジも一緒だが、正面から入ると青々とした芝生の中庭があってそれを取り巻くように建物が建っている。


チャペルのあるカレッジは、外見でステンドグラスなどがあるのでわかる。このキングスカレッジのチャペル(写真:ケム川から見たチャペル)はケンブリッジの象徴的存在だそうで100年近くも設計を練りなおして1515年に完成した。一歩中に入ると高い天井まで色とりどりのステンドグラスがはめられており、真中上部には立派なパイプオルガンが設置され、その音はチャペルの隅々まで響き渡り荘厳な雰囲気を担っている。


すぐお隣はトリニティホールというカレッジだ。丁度カレッジ横で自転車にのった落ち着いた感じの男性とすれ違ったがロンドン大学の法学部で教鞭をとるような教授だったらしい。そんな先生もマウンテンバイクにのってご通勤のようだ。(トリニティホールは法律学で有名らしい)トリニティホールをつっきるとケム川にあたるのだが、その川近くの一本の大きな木が丁度黄色に紅葉していて、しかし芝生はまだ真っ青でそのコントラストが美しかった。


順順に北に歩くとチャールズ皇太子の出身校であるトリニティがでてくる。丁度私達が訪ねた日は中に入ることができなかったので、知らずに入ってしまった一瞬にこれまた芝生の綺麗な中庭だけを見てすぐに退散した。


トリニティのすぐお隣は1511年設立のセントジョンズカレッジだ。ここは昨夜宿に戻る途中でちょっと立ち寄ったがここの食堂でもディナーをしていて、ちらっと見た雰囲気は中世の古いレストランで食事をしている感じだった。このカレッジからケム川にかかっているのが有名な「ため息の橋」(写真下)でヴェニスの橋を模倣して作ったそうだ。この橋を見ていたら丁度ウェディング姿の新郎、新婦がボートでくだっていた。


ここの運動場にも足をのばしたが、丁度学生が芝生の上でホッケーをしていた。リージェントパークの一角といってもいいくらい広い芝生にはテニスコートや各種競技ができるようになっていて、ロンドンの大学にはこれほど大きなスペースはないだろうからこれも充実している施設のひとつだろう。

お昼はケム川が見えるレストランでインドカレーを頂いた。メニューでは「slightly chilly」と書かれた豆のカレーが、実は口に入れると5秒後から2分後まで辛くて辛くてしょうがないカレーだった。辛くてもおいしいからついつい食べてしまうのだが、これイギリス人の口に合うのだろうか?


食後は現代建築の法律学部の建物(写真左)を見にいった。カレッジとは別に法律学部が独立してあるというのも不思議だ。空港をデザインした建築家の作品だけあって、明るくて吹き抜けを多用してある建物だ。しかし、吹き抜けが多いだけに上の方で物を落としたりすると下までずーんと響くそうだ。


午後は名物川くだりをした。長細いボートにのって2m以上はある長い棒で水深の浅いケム川の底をついてボートを進める。これが結構難しいようで、しかも川には多数のボートがでていたから気がつくと他のボートと当たったりしてなかなかまっすぐ進まない。このボートから落ちる人もいるみたいで、と話しをしていたら前の方でドボーンと音がした。振りかえると前を進んでいたボートの漕ぎ手がすっかり川の中に落ちていた。瞬間をみていなかったが、おそらくバランスをくずして落ちてしまったのだろう。怪我をするような深さではないから、まわりにいたボートからいっせいに拍手とはやしたてる声がした。頭からつま先までずぶぬれになってしまった彼(写真左下)はその後もボートを漕いでいた。

ボートに乗っている間に雨が降ってきたのでボートを戻してちかくの学生会館で雨宿りする。しばらくすると雨もやんだので宿に戻って荷物をとってケンブリッジ駅に向かい、丁度三分後に出発のキングスクロス駅行きに飛び乗ってロンドンに戻った。
イギリスはねずみも多い
それはある晩突然起こった。同居人がねずみの死体を台所の床に見つけたのだ。実はそれ以前にも黒い影が床を動いたような気がする、という事があったようなのだが、この日いきなり成仏して表れたのだ。この死体は同居人が30分程かかって片してくれた。

それでは終わらなかった
それから1ヵ月程経ったある晩、またしても同居人が真っ青な顔をしてダイニングキッチンから避難してくる。本棚の下の方から何か音がすると言うのだが、気味が悪いのでその晩はそれ以上追求せず。翌朝、買い置きしておいたキットカットの端が包装紙ごと噛み砕かれてぼろぼろになっているのを発見。後片付けをしながら気持ち悪さがこみあげる。

誰かにねずみ退治用の餌があると聞いた事があるのを思い出した。でもどこに売っているのだろう?地元のスーパーに行くと殺虫剤やノミ退治用はあってもねずみ用はない。念のために近所のペットショップに入って聞いてみると、うちには殺す為のものは一切置いてない、と言う。ハムスター用の餌を売っているくらいだから当たり前か。そのかわりネズミトラップなる罠ならあるというが、生け捕りにしてもその後の処理に困るので店をあとにする。

友人に相談すると、それはねずみに間違いない、どこかにねずみが通る穴があるはずだからそれを見つけて穴をふさいだ方がいい、と忠告される。もっともだと思い台所近辺を探すとシンク下の配水管まわりに若干スペースがあるのを発見。厚いゴム板みたいなものを貼り付けてふさぐ。やれやれ。

一時休戦
その後は不審な音もなく、被害もなく平和な生活が戻る。やはりあのスペースだったのか、と実感する。毎朝ふさいだゴム板がはがれたりしていないか確認する日々が続く。

休戦中止
それは日曜日の晩だった。寝室で映画トレインスポッテングを見ていた時、ふと視線を台所に移すと床に一匹のねずみがいた。初めて目にするねずみ、声もあげられず固まってしまうが、敵も同じくぴくりとも動かずこちらを見ている。もちろんその後叫んで七転八倒する。


時を同じくして捜し求めていたねずみ退治用餌を友人がもらってきてくれた。話しを聞いた友人の大家さんが持っていた餌を分けてくれたのだ。人の親切が身にしみる。ありがたい。大家さんによるとねずみは家の電気コードなども齧って駄目にしてしまうから気をつけたほうがいいとの事。なるほど。さっそく説明書を熟読する。それによると、餌は遅効性の毒入りの為死体を見る事はほとんどないという。袋を開けると麦みたいなものと、いかにも人工的な着色の緑色の物質が混在している。紙に分けてねずみが通りそうな箇所にしかけてみる。(写真:ねずみの毒入り餌)

終戦間近
翌晩ふとダイニングキッチンに行くと、右側の床面をなにやら黒っぽい影が動くので、慌てて避難。数日後夜中に台所に行くとまたしても黒い影がよこぎる。この家はポルターガイストか、としばらく落ち込む。しかけた毒入り餌はまわりが散らかっているのでどうやら食べているようだ。しかし最近は午後11時を過ぎると悠然と活動しているようなので、再び穴発見につくすが発見できず。その為一番怪しい台所近辺の、部屋にでてこれそうな箇所を全てふさぐ事を思い付く。ダンボールを切り取ってスペースをふさぎ、餌は中にしかける。数日後しかけた餌を確認すると食べているようだ。でもそのまま部屋に出る事はできないようになっている。これで一件落着か。

学んだ事
ねずみ、おそるべし。
平和な日々
数ヶ月前に台所床にある一番ねずみの通路としてあやしかった隙間をダンボール紙でふさいでから、すっかり音沙汰がなくなった。念のためにふさいだ通路には毒入り餌をしかけておいた。1ヵ月位経った後にダンボールをはずして餌をチェックしてみるとほとんど食べられていて、小さな黒い塊の糞らしきものが散らばっていた。やはりここが通路だったか。餌はなくなっているし、あのねずみが死んだのか今だ元気なのか知る由もないが、とにかくこちらは心落ち着けて生活ができそうだ、と思ったのはつかの間だった。

げげっ
それは突然やってきた。いや、実はあまり気にしないようにしながらも心にひっかかっていた事実があった。それはキットカットの包み紙の銀紙を丸めてごみ箱にいれたつもりがこぼれてしまったようで、ずーとごみ箱の影に隠れていたのだが、この銀紙が非常に細かくちぎられていたのをある日ふと見つけてしまった。キットカットといえば以前包みの上からねずみにかじられてやられている。その時のくずと似ていたのだ。それでも夜にかさかさ音がすることもないし、被害もないし、あまりねずみを連想したくないあまり見てみぬふりをしていた。

ぎあゃっ
それは旅行にでる前夜だった。同居人は既に寝ていた。こちらも旅行の用意も大体終わりさて電気を消してと床についた。3分くらい経ったところで、確かに聞いた。

「カサッ カサッ」

台所の方からしてきた紙がすれるような音だった。ため息と共に起き上がりダイニングに何か食べ物を置き忘れていないか確かめなくてはと思った。おそるおそる電気をつける。音はやんだ。そろそろとダイニングテーブルに近づく。













。。。。。またしても見てしまった。。。。。

目の前をねずみがささっと走り去っていった。声はあげなかったと思う、しかしどうやら驚きのあまり飛び跳ねてしまったようだ(全く覚えてない)。どしん、という音がしたのだろう、同居人が目をさました。ああ、これでまたねずみとの戦いも初めからになってしまった。気持ち悪さ、くやしさでしばらく呆然とする。



酒池肉林
とにかく旅行に行く予定だったので、その忙しさもあった。ねずみ再進入の経路も発見できないまま旅にでてしまった。チョコレートは冷蔵庫にいれたしとにかく数日はねずみの姿を見ることもないし、と思ったのが甘かった。

旅行を終えて夜11時頃に帰宅した。ドアをあけてまずは電気を点けて、、

「カサッ カサッ」

「えっ???」

確かに今までねずみとよく遭遇するのは午後11時前後だ。しかし帰ってきたその瞬間ですか。。。その場は床を踏み鳴らして音をたててしばらく様子を見たが動く物体はない。こちらも荷をほどいたり留守の間の整理があるからそれどころではない。出かける前に部屋を掃除して行ったつもりだったが、プリンターの横に食べかけのひからびたソーセージみたいなものがころがっているのを発見。なんだこりゃ、と思ったが、同居人がごみを散かしたのかと思ってそのままティッシュにくるんで捨てた。

翌日洗濯したり掃除したりが一息ついて、友人から送られた箱を開けた瞬間腰が抜けそうになった。間違えなくやられている。ねずみの仕業だ。異様な匂いがしたのは「だしでんねん」(顆粒だしの素)がかじられていたからで、昨日のひからびたソーセージはかりんとうがやられたからだと判明。しかしこの箱というのは日本の海苔の缶詰がはいっているような深さは15cmくらいはあるもので、一体どうやって進入したのか全くわからない。帰ったら食べようと楽しみにしていたかりんとうを食い散かしたばかりか、箱から1mは先のプリンター横まで持ち出して食っていたというのがにくたらしい。しかも掃除してみると部屋の広範囲にわたって相当数の糞があるのを発見。やつら、留守中相当の宴会騒ぎだったに違いない。最初30分は落ち込んでいたが段々はらわたが煮え繰りかえってきた。


毒餌再び
今までの経緯を考えるとやはり一番怪しい経路は台所床近辺だ。以前ダンボール紙でふさいだのは確かに効果があったのに、としばらく考える。もしかして、と思ったことは、ダンボールは15cm程の高さだがその上から乗り越えてきているかもしれない、という事だった。とりあえず手元にダンボールがなかったのでガムテープでもう数cm分ふさぐことにした。もちろんその中には毒入り餌を置いた。無用な殺生はしたくないが、かりんとうの恨みははらすぞ。念のため冷蔵庫横にも餌を置いた。これでしばらく様子を見ることにする。(写真左:怪しい進入経路 写真右:毒入り餌)


学んだ事
ねずみはしつこい。




その後・・・




金曜日
一週間も終わりの金曜日だった。洗濯物を片づけようとたんすの一番下の引き出しを開けると、なにやら黒いごみのようなものがしまってあったパンツ類の上にちらばっている。おや?これはなんだ?と思った瞬間だった。


「うぎゃああああ!」


と叫んだと記憶している。こともあろうに、たんす最下部の引き出しの中でねずみが動いているのをみてしまったのだ。おいおい。。すぐさま引き出しを閉め切って呆然とする。こんなのあり??今住んでいるフラットは好きだけど、この時ばかりは真剣に引っ越しを考えた。電話帳で駆除してくれる仕事を探してみたが見つからなかったので、結局熟考の末、大家さんに助けを求める手紙を書いた。一階が彼の事務所なので、ドアの下に手紙をはさんでおく事にした。

土曜日
寝室にたんすがあるので、起きてもそろそろとたんすから遠ざかるようにして歩く。お昼前、同居人は寝室のベットの上で雑誌を読んでいて、私はダイニングテーブルでPCにむかっていたその時、視界に何か動くものがあったので寝室の方をむくと、またしても、ねずみがもそもそ歩いているではないか!こっちがひいい、と声をあげたので気付いた同居人もその物体に気がついた。ねずみは私の方向に歩いていたのですかさず寝室へ逃げてドアを閉めた。さすがにまっ昼間からでてくるなんて。。

しばらく寝室のドアのガラス越しにねずみがいる部屋の床を見ていると、あ、いた!掃除機の影にかくれて顔だけ寝室にむいているねずみ発見!ドアに隔たれている安心感で観察していると、あやつ、こそこそ動き出した。体長6cmほどの思ったより小型タイプでしっぽが体長と同じくらい長い。しかし、なんだか動きが鈍いよう。そんなうちに寝室のドアにちかづいてきたので、一歩あとずさりする。ドアは木のドアで下のカーペットとの間に2cm足らずの隙間がある。まさかと思って、隙間をふさぐようにスリッパをおいた。同居人と私は反対側の壁にひっつくようにドアの下に注視していると、スリッパがちょっとずれて、長い尻尾が寝室の床に見えた!


「やばい!」


と叫んだ瞬間、同居人が手に持っていた雑誌をドアに向って投げつけた、がこれがいけなかった。ねずみもびっくりしたのだろう、あの2cm足らずの隙間から寝室に突入、たんすの下に逃げ込んだ!こっちは人間様2人ともあわわ、あわわと叫び続けていたが、こっちは地団太を踏みっぱなしで、腰が抜けるまえに慌ててダイニングに逃げる。

一応寝室のドアをしめて(全く用をなさないが)今後の対策会議をひらいて、とにかく金曜日の件といい今回はたんす付近が超あやしいので、ねずみとり器を買ってきてしかけよう、という結論に達した。近所のペット屋にプラスチックの生け捕り用があったのを思い出したのだ。さっそく行ってみるとカウンターにでっぷり太ったトラネコが3匹ぐたーと寝ていた。ああ、猫が飼うことができたらいいだろうが、ペット飼う事は禁止のフラットだし、いずれ日本に戻ることを考えると躊躇してしまう。ご主人に「マウストラップが欲しい」と言ったが、なんと売り切れ。結構売れ行きが良いって事か?がっかりして聞かれもしてないのにたった今部屋でねずみと遭遇して、、、と愚痴ってみたら「この道を下ったところのLeymondでも売ってると思うよ。ただし殺す用だと思うけど。」と教えられた。ええい、この際とにかく何かしないと。


教えられた店はペンキや日曜大工用具を売っている店だったが、たしかにあった。すごく単純なねずみとり器だが、お店のお兄さんに使い方を教えてもらうとこれが強力で、ボールペンのキャップが割れてしまうほどなのだ。お兄さんに「ねずみの通りそうなところに仕掛けて、毎日チェックするんだよ。死体は臭うからね。」と念をおされた。うぇー。。。

ひっかかった事を考えて、長細い箱の奥にチョコレートをおとりにして罠をしかけて部屋の2個所に置いた。はたして上手くいくだろうか。

日曜日
その後ねずみを見ることなく、たんすは封印されたまま、罠にもひっかからずに日曜日は過ぎていった。

月曜日
土曜の昼間に最後に見てから丸2日がたったので、今日は同居人にお願いして問題のたんす一番下引き出しを開けてもらうことにした。実はここには手編みのセーターがあって、齧られた後のような毛玉の塊を先日引き出しを開けた時に見てしまったので、捨ててしまおうと思ったのだ。しばらく見てないとはいえ、もしかしたらまだいるかもしれないし、すぐに逃げられる態勢をとりつつ同居人がちょっとずつ開けてくれる。幸い何も音はしないのでセーターを取り出してもらうが、やはり相当食いちぎられている様子だった。その他にも糞をまかれたパンツ類を捨てた。他の引き出しも恐る恐る開いてもらうが、やられたのは一番下だけでほっと安心する。


掃除機をかけようと引き出しをぐっと引き出すと奥部分の1cmの厚みはある木板ががっちり丸く齧られているのを発見した。やつめ、たんすの下に潜り込んでから、ひたすら木を齧りつづけて隙間をつくり、人のセーターでぬくんでいたな。齧る音はさすがに聞こえるだろうから、旅行中にやられたのだろう。同居人が隙間をテープで塞いでくれている間、ふっと思いたって懐中電灯でたんすの下を照らしてみた。









あやや、いたあ。。。








懐中電灯がたんすの足の部分にへたっと寝そべっているねずみのうつろな目を照らした。しかし、やつは動かない。というか今までがたがたやっているのだから逃げるなりできたはずだ。2度目に懐中電灯で照らして成仏している事を確認した。台所に置いた毒入り餌を食べたからか、かりんとうの食べ過ぎで糖尿になったのか、ずでーとのびきってしまっている。おいおい、またしても死体処理か、と同居人が顔をくしゃくしゃにしている。(注:「そのいち」参照)

段々と一度目の死体処理の記憶が同居人の記憶にまざまざと蘇ってきたようで、今日は色々あったからまた明日にしよう、とかつぶやいている。こちらは50ポンドで人を雇おうと提案してみるが、そのうちゴム手袋、ほうきとちりとりを手にしながら、



「人間は畳の上で死にたがり、ねずみはたんすの下で死にたがる。」


とぶつぶつ読経のように繰り返しながら、40分かかって処理をしてくれた。死体をちりとりに移した時の、あの腕に感じるちょっとした重さがトラウマになりそうだ、と言い残して同居人はごみ捨てに行ってくれた。感謝、感謝。

こうして今回の短くもすったもんだのねずみ騒動は一応の終了を迎えたのでありました。

学んだ事
見逃すな、たんすの下に、ねずみあり。

蜂編

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イギリスは蜂が多い
イギリスは蒸し暑くなる事があまりないので、一般家庭には冬の寒さに備えてラジエーターはあるがクーラーはない。つまり夏の間は家の窓を開け放しておけば、風が通って過ごせるが、網戸がないので当然虫が入ってくる。大体は蝿か蜂で、騒がず放っておくといつの間にかまた外にでていく。

蜂にさされる
98年9月のある日、家でたまたまスリッパを履かずに歩いていると、左足人差し指のあたりに激痛がした。ひょいと足を上げてみるとカーペットの上には瀕死の状態の蜂が。。どうやら前日から家に入り込んでいた蜂が弱ってカーペットの上でじっとしていたところを、上から踏んづけてしまったらしい。ショックで痛みは増し、わめこうが叫ぼうが激痛が足の先から広がっていく。しかし一体どうやって処置をすればいいんだろう?

対処の仕方
偶然薬箱の中に救急の小冊子が入っているのを思い出し、その「蜂にさされた場合」というページをめくる。
1.まずは刺した蜂の針がまだ患部にささっているかを確認する
2.ささっていたらそれを取り除く
3.爪で圧迫し傷口から毒液を絞り出す
4.冷たいタオル、流水等で患部を冷やす(血管が収縮し痛み、腫れを一時的におさえられる為)
5.抗ヒスタミン軟膏を塗る

蜂のアレルギーは反応が早く生命にかかわる事もあるという。つまり、一度蜂に刺されるとその毒素に対する抗体が体内にでき、二度目に同じ蜂に刺されるとその毒素が反応してアレルギーショックを起こすらしい。

予防
蜂は匂いに敏感なので天然甘味料の匂いによってくる。香水、ヘアスプレー等にも反応。騒ぐと余計に攻撃的になるので、静かにやりすごすか、殺虫剤をかけて攻撃を弱める等で対処する。

学んだ事
蜂、あなどるなかれ。
旅のきっかけ

サッカー大好きK氏がはるばる東京から遊びにきてくれることになった。仕事の都合で長期の休暇はとれないそうだが、せっかく来てくれるのであるし短い時間を有効に使ってサッカー巡礼の旅をすることになった。イギリスでサッカーの事は「football」と言い、数多いイギリス発祥のスポーツの一つであるし、それはそれは人気がある。あまりに応援に熱が入るために「フーリガン」と呼ばれる暴れ者も存在し、次回日韓ワールドカップ共催の際は、日本の警察官がはたしてイギリス人フーリガンをおさえることができるのか、警備対策は難しいだろう。

週に1、2回あるプレミアリーグ(日本でいうJリーグ)の予定を検討し、マンチェスターユナイテッドvリーズとニューキャッスルvサザンプトンの試合を選び、そこから日程を決めていった。マンチェスターユナイテッドは去年のトヨタカップでもおなじみ、人気、実力ともイギリス一のチームで現在プレミアリーグで第二位、対するリーズは第一位と言う訳でねがってもない首位決戦となるべき試合!のはずだった。。。ところが、ところが、99年年末までは予定されていたこの試合、マンチェスターユナイテッドが1月初旬にブラジルで行われたワールドチャンピオンシップに出場の為、なんということか、試合予定の2週間前になって突然キャンセルされてしまった。おいおい、そんな予定もっと早くからわかるだろう!と憤りをおさえつつ、楽しみにしているK氏に何と言って報告すればいいんだ、と慌てていたが、実際K氏に電話すると「あ、そう、それならロンドンのチームにしようか。」と非常に落ち着き払った態度。一度スター揃いのマンチェスターユナイテッドを見たかったミーハー根性まるだしのこちらはがっかりでも、ねっからのサッカーファンはこんなことでは振り回されないのね。という事で急遽アーセナルvサンダーランドのチケットを手配した。これで週末両日のサッカー観戦が決定したのでありました。


アーセナルはロンドンベースのサッカーチームのうちの一つで、ここも有名な選手がたくさんいる実力のあるチームだ。ホームはハイブリースタジアム、ロンドン市内の地下鉄ピカデリーラインのアーセナル駅の近くにある。土曜日、天気は曇り時々晴れ、風がふくと結構寒い。


お昼にケバブを食べてしっかりと腹ごしらえした後、ピカデリーラインにのってアーセナル駅を目指す。試合開始は午後3時だが、1時半頃には駅に到着。改札に向う途中でアーセナルのシャツを着ているサポーターらしき数人を見かける。改札をでるとすでにそこそこの人出で、道沿いに沢山の屋台がでていて、お菓子やらマフラーやら試合のパンフレット、サッカーグッズやらを売っていた。駅からの道順は確認していなかったが、数年前に来たことがあるというK氏のおぼろげな記憶と人の流れにそってそぞろ歩きしていると、だーんとでてきましたハイブリースタジアム!まわりは普通の住宅街だというのに、そんな中にいきなりスタジアムが存在しているのが不思議だ。撤去予定の、駅から遠ーく離れたおんぼろ川崎球場だってまわりはこんなに住宅なんてないぞ。(写真:普通の家の前庭に作られたティシャツ売りの店)

まだ時間が大分あるし、試合が終わる頃には真っ暗になってしまうので、今のうちだとばかり3人それぞれカメラを取りだして記念撮影に突入。そんな中、10代の女の子が人をかき分けながらスタジアム前の家々にチラシを配っていたのだが、騎馬隊の警官に運悪く見つかって職務質問を受けていた。警官の「何をしているんだ。」「雇い主は誰だ。」「国籍はどこだ。」の質問にほとんど呆然状態の女の子。英語がわからないらしい。そのうちに質問は「パスポートはもっているのか。」「難民なのか。」等とシビアな質問に展開していった。結局この女の子がどうなったのかはわからないが、難民を数多く抱えるイギリスの側面をちらっと見たような気がした。

チケットを手に、おすもうさんは絶対通れないような狭い入場口に進む。窓口でチケットをだしてようやくスタジアム内に足を踏み入れる。まずは席を確認しよう、と階段をあがると、目の前に綺麗な芝生が広がっていた。今日が全く初めてのサッカー観戦で日本でも見たことがないのだが、こうしたサッカー専門のスタジアムは最前列の椅子の目の前がもうサッカーピッチなので、とてもとても近くで見えるのだ。東京の国立競技場などはアスリート用も兼ねているので、ピッチを囲むようにトラックがデザインされている分、最前列といえどもかなり遠くから眺める感じになるのだそうだ。この日の我々の席は二段になっている観客席の下段の最後列で、上が覆われてしまっている分視角が限られてしまって角に設置してある大型スクリーンはよく見えなかったが、その分風にさらされることもなく、防寒上はよかった。

アーセナル応援の席に座って、K氏から配られたホカロンを腰にあてる。手袋をして、マフラーをしっかりまいて準備万端。時間が経つごとに席が埋まっていき、満席状態になった。両チームの選手が入ってくるのを拍手で迎える。どこからともなくアーセナル応援の歌が聞こえてくる。太鼓があるわけでも笛がふかれている訳でもないのに、純粋に声だけのメロディーは、とても純粋にサッカー初心者を感動させてくれたし、ただ大好きなアーセナルというチームを応援するんだ、というサポーターの連帯感が感じられた。

本当にあっという間の90分だったのだ。一度も飽きた瞬間がなく、90分が過ぎてしまった。アーセナルの選手がゴールを決める度に一斉にサポーターは立ち上がり、我々も立ち上がり、そのシュートが決まった瞬間を目撃し、一緒に感動した。確かに席からは遠くてテレビ観戦よりも見えずらい事もあった。けれどもそれはテレビ放送では見れない角度から目撃していたという事でもあった。スタジアムに足を運んだ全員が一緒に一喜一憂して、自分もその一部だったという経験は、プロ野球観戦の数倍も興奮するものだった。というのも、この日の試合は4対1でアーセナルの勝利。つまり相手チームのゴールも含めて、サッカーの試合の中で一番興奮する場面であるゴールを5回見れたのがおおきかった。




一夜あけて翌日は、午前10時30分キングスクロス発の電車に乗り込み、一路ニューキャッスルに向った。時差ぼけの残るK氏は、旅行記を書くのだとWindowsCE機を取り出したのはいいが、気づくと熟睡状態に入っていた。こちらはK氏に買ってきてもらった数冊の日本の雑誌をすみからすみまでよみまくる。約3時間半でBRにしてはめずらしく定刻通りの到着。ニューキャッスルベースのニューキャッスルユナイテッドというチームは、阪神のような黒と白の縦縞のユニフォームが特徴だが、駅からスタジアムまで歩く間にこのユニフォームを着ている人がやたらと目についた。ロンドンにはサッカーチームがいくつもあるからか、アーセナルの試合ではそこまでチームユニフォームを着ているサポーターは見かけなかったのだが、ニューキャッスルではあちらこちらに当然のようにユニフォームを着て、試合開始までパブでくつろいでいるのが当たり前のようだった。

我々もまだ時間があったので、昨日寄れなかった賭け屋に初挑戦する。イギリスは競馬はもとからサッカー等のスポーツからなんでも賭けにしてしまうので、街には必ず賭け屋がある。この日もスタジアム近くの賭け屋に入って配当などの書かれたボードを見る。まず、最初にゴールする選手、そして何点対何点でどちらが勝つか、という2点を賭ける、のだが、なにせ初めてなので用紙の書き方もわからず、鉛筆を取る振りをしながら同居人が隣のイギリス人の書き方を覗き見してくれた。K氏が「ニューキャッスルといえば、シラー、ファーガソンあたりがゴールしそうかなあ。」とつぶやいたが、ボートの賭け率の高かった選手を一人選んで、もう一人はかたくシラーを選び、3対1と3対2で賭けることにした。賭ける金額は自分で選べるので、どちらも3ポンドずつ、税金込みで3ポンド27ペンスずつ支払った。税金は前払いか後払いが選べる。(つまり、後払いは例えば当たって100ポンドになったとき9%の9ポンドを払うのだが、私はすっかり当たる気で税金を少なくしたかったので税金額が少なくて済む前払いを選んだのだ。まあどちらにしろ税金は取られるのだけれども。)


かなり風格のある駅(写真)をでてスタジアムに向う道すがらには中世の建物っぽい教会があったりして、こういう機会でなければ寄ることがなかっただろうニューキャッスルという街は、とても落ち着いた感じの印象だった。BRの駅から歩いて10分ほど、ちょっとした丘の上にそびえたつスタジアムは、街をみおろす感じで建っている。動画もとれるデジカメ持参のK氏は同居人にカメラを渡して「えー、ここがニューキャッスルのスタジアムです。非常においしい中華で腹ごしらえをしまして、これからここで試合観戦いたします。」とレポーター然としてカメラに向って微笑んでいる。

このスタジアムの収容人数はアーセナルのホームスタジアムとたいして変わらないのだが、広めにつくられているのではないかと錯覚する。とにかく広くて観客席も勾配がきつく設置されている。我々の席はちょうど角の4分の1円にあたる一角で屋根なしでかなり上に上った席。昨日より今日の方が明らかに天候も寒く、足先から寒さがじんじんとしてくる。K氏にもらったホカロンを昨日と同じ腰と靴の中にもいれることにした。この日はニューキャッスルのスター選手シラーを応援すべく来たのだが、どうもまわりの雰囲気がおかしい。。おや?なんと敵チームサウサンプトンの応援席だということが判明。すぐ横に警官隊が立っていて、どうも警官隊よりあちら側がニューキャッスルの応援席のようだ。うーん、これは下手に応援するとやばいか?


スタジアムが広いのと席がかなり上だったので、今回はケニア旅行の為に購入した双眼鏡で選手を追う。表情はこれでよく見えるのだが、双眼鏡で見ていると全体の動きがわからなくなってしまい、一長一短。おっ!ニューキャッスルに点が入った!いれたのは誰だ!えっ、ファーガソン?もしかしてK氏がコメントしてたファーガソン??どーーーして買わなかったのだろう。。

すぐ隣では皆立ちあがって拍手しているが、我々の座っているサウサンプトンサポーターの一角はまるっきりお通夜の状態。誰も話さずじっとニューキャッスルのゴールを見据えていた。それでもすぐに悪夢を忘れようとサウサンプトン応援の歌が始まったが、この後はシラーがファールキックをはずしたりしたが、それでも結局ニューキャッスルの殿様試合で5対0でサウサンプトンは敗れる。途中で席をたってしまうサウサンプトンサポーターも数人いたが、これも無理もない程圧倒的にニューキャッスルペースの試合だった。結局賭けは最初の段階ではずれたが、5-0というスコアはそうそうつくことがないので、これを当てた人は相当高配当だったに違いない。帰りの電車には我々と同じようなゲーム帰りの人がちらほらいて、ロンドンまで一緒だった家族もいた。帰路でもK氏は熟睡状態、電車は定刻よりも早くキングスクロスに到着した。
週末両日のサッカー観戦を終えて我々は車を借りてピークディストリクトに向った。これはマンチェスター南東部に広がる国立公園一帯のことで、ロンドンから車で約3時間、300キロ位のあたりだ。この日は天気が良かったのでまずベイクウエルという街郊外にあるチャツワースというデヴォンシャー公爵の館に向う。冬の期間は閉館されていて中には入れなかったが、なかなか荘厳な館を背景に、広大な敷地には川が流れ鹿のような動物が放し飼いされているようで、その自然の美しさを見ながら散歩した。ロンドンばかりではなく、イギリスの田舎をK氏に見てもらおうという企画だったのだが、どうやら気にいってくれたようだった。昨日まで雨だったようで地面はぬかるんでおり、いかにも観光客のわれわれは恐る恐る滑らないように歩いていたが、犬を連れて散歩にきていた家族連れは皆さん長靴をはいて軽快な足取りだった。

晩はバクストンという街近くのたった3室しかないファームハウスに泊ったが、丁度客室を改装したばかりだそうで、部屋は広くバスタブ、洗面台も新品の輝き、非常に快適な宿だった。朝食はもちろんイングリッシュブレックファスト、60代であろうと思われるおばさまが真っ白のエプロンを着けてにこにこしながら給仕してくれた。


最終日の予定は特に決めていなかった。というのも、マンチェスターユナイテッドのホームスタジアムであるオールドトラフォードではスタジアムツアーがあるのだが、K氏が持参してくれた「地球の歩き方イギリス編」の中では、「明日いきなりスタジアムツアーに行きたい(←我々の状況)といってもまず無理。まずは予約を。」と書かれてあって、さすが一番人気のマンUは違うんだ、と失望していたのだ。とはいえ、せっかくマンチェスター近くまできてるのだから、ツアーは無理でもスタジアムを拝んでこよう、ということになり、まずマンチェスターに向った。(写真:マンUのホームスタジアム)

元々調べていなかったので、詳しい地図もなく適当にマンチェスター市内を走っていたが、突然K氏が「あ、オールドトラフォードにはこっちの方向!」と標識を発見し、さすが興味ある人は集中力が違うと感心。その後も標識を最初に発見し続け、なんとスタジアムに辿り着いた。ほとんど空の駐車場に車を停めて、だめもとで受け付けで「ツアーに参加したいのだけど」と言ったら「3人?次の回は11時40分よ。」との答え。やった!

K氏の、まさか今回の旅でここまでこれるとは思わなかったの思いが絶頂に達したようだった。ツアーが始まる時間まで、目つきが変わったように展示してある優勝カップやら交換したヨーロッパのチームのユニフォーム、新聞をくまなくかじりつくように見ている。


スタジアムツアーは試合のない日に限り、選手のロッカールーム、プレスルーム、ビップルームを解説付きで見てまわれるものだ。さすがここ数年人気、実力ナンバーワンチームのホームスタジアムだけあってお金も潤沢なのだろう、ハイテクを駆使して青々した芝生は保持され、今後1万2千人分のシートが増設されるという改装工事が行われていた。ゴール後には赤いシートに白地で、大スポンサーの「SHARP」の文字が浮かんでいた。このスタジアムが歓声に包まれているシーンを想像するだけで鳥肌がたちそうになった。

最後にお土産店で、皆一緒にベッカムやギグスの笑顔と共にプリクラにおさまり、K氏はネクタイ、マウスパッド、バッジやらをどっさり買いこみ、大満足のご様子。マンチェスターを出発し、サッカー巡礼としてはなかなかの旅だったのではないだろうか、と自我自賛状態になりながらロンドンへの帰途についた。





2度目のサッカー観戦


前回サッカー大好きK氏がはるばる東京から遊びにきてくれたのを機に、プレミアリーグ観戦を体験できた。プレミアリーグも終盤になると優勝争いと共に、3位までが資格のある来年度のヨーロッパチャンピオンズリーグ出場権をかけて熾烈な争いになるし、下位チームは2部リーグへの入れ替え戦に戦々恐々となる。BBCテレビでは毎週一回、以前日本のチームにも参加していたリネカー氏がメインキャスターをつとめる「Match of the day」というサッカー番組を放映しており、生で試合を見た後にテレビで再びゴールシーンを見なおしていると、またまた興奮してくるものだ。前回生で試合を見たし、段々メンバーの名前や顔がわかってくるとより愛着がわいてきて、実はここ最近にわかアーセナルファンになっている。

2000年2月12日の時点で、プレミアリーグ一位はマンチェスターユナイテッド、二位リーズ、そして三位がわがアーセナルなのだが、上位2チームは試合消化数が1つ少ない分有利、アーセナルと四位のリバプールはほとんどかわりがなく(勝ち点は同じで得失点差の違いのみ)、段々調子をあげてきたチェルシーが五位にひかえている。前出のように、プレミアリーグで優勝が難しいとなったら、上位チームは来年度のヨーロッパチャンピオンズリーグ出場権をかけて三位内にはいることが重要になってくる。現在の状況では、その三位の位置をアーセナル、チェルシー、リバプールという強豪チームが椅子とり合戦をしているようなものだ。そして、そのアーセナル対リバプールの試合が、2月13日アーセナルのホームスタジアムで行われた。好カードでもあるし、なにしろにわかファンになったものだから、またしてもチケットエージェントに手配を頼んだ。元値は18ポンド40ペンスだが売値は60ポンド、約3倍だ。(しかし日系エージェントに電話したら100ポンド以上だったのでびっくりした。)もしかするとダフ屋で買ったほうが安くあがるのかもしれないが、値段の交渉などが面倒だったので、60ポンドでチケットをお願いした(ますます貧乏になっていくがもう誰にも止められない。K氏のせいだ)。


試合は午後4時開始なので、2時30分ころ家をでて、まずは賭け屋に立ち寄る。アーセナルのHenry選手がファーストゴーラーでアーセナルの2対1の勝利、同じくアーセナルのPetit選手がファーストゴーラーでアーセナルの1対0の勝利、そしてアーセナルが3対1で勝利、の3面ばりで賭ける。それぞれ2ポンド50ずつの賭けだが、当たれば近くの和食屋でビール付でご飯がたべられそうだ。(写真:当日の試合プログラム。写真の選手は左からSuker選手(FW)、Henry選手(FW/個人的に一番カッコいいと思っている選手)、Ljungberg選手(MF))

最寄駅のカムデンタウンからバスでフィンズベリーパークに向かう。前回は地下鉄でアーセナル駅に行ったが、フィンズベリーパークはアーセナルの次の駅なので、そこから歩くことにした。バスだと70ペンス(約120円)だが地下鉄で向かうと中心部を経由しないといけないので1ポンド80ペンス(約300円)かかる。バスを待っている間、アーセナルのユニフォームを着た4人組みが車でスタジアム方面に走っているのを発見した。駐車場はないが車でスタジアム近辺に移動する人が多いようで、バスもなんとなく混雑している通りを進んで、3時20分ころフィンズベリーパークに到着。さて、ここからはStTomasSt.をスタジアム方面に歩けばいい、と地図を確認、、、しようとしたが、その必要がないほどたくさんのチームユニフォームを着ている親父や子供が群れになって歩いていた。うーーーん、すでに気分はわくわく。

道は一本道で6,7分も歩けばスタジアムが目の前だ。途中途中にハンバーガーなどの屋台がでている。パブも一軒発見。もちろんビール片手の親父が多い。周りは本当にただの住宅街なので、サッカー好きでなければごみだらけにされたりで大変だろうな、と思う。住宅街といっても、いわゆる良いエリアの綺麗な住宅が立ち並んでいるわけではないので、雰囲気はどよーんと澱んだ感じだ。そんな中にひっそりとスタジアムは存在している。マンチェスターユナイテッドの近代的で綺麗にペイントされた馬鹿でかいスタジアムを見た後では、アーセナルのスタジアムはより一層くすんで見える。野球でいえばマンチェスターユナイテッドは読売巨人でそのスタジアムは東京ドーム、アーセナルのそれは取り壊される川﨑球場に通じるものがあるのだ。(←だからアーセナルが好きになったのかもしれない。)

スタジアムにはいる前に、小腹がすいていたので、前回写真をとったフィッシュ&チップスの店でチップスを買うことにした。前回同様、結構人が列をなしている。店に入るとおやや?そこはめずらしく中華系の経営している店で、真っ赤な中国風のぼんぼりが飾ってあってちょっと不思議だ。テイクアウトのチップス90ペンスはまあ平均的値段だが、味はそれなり(カムデン駅前のチップスは一ポンドでジャンクフード好きにとってはたまらない味)。しかし、まわりが住宅ばかりの中、試合開催日には相当数のお客がみこめる角地に、イギリス人のソウルフードのフィッシュ&チップス店を開店させるとは、中国人の商才おそるべし。

今回の席は前から13列めのコーナー付近の席で、前回よりは視界が開けているが、ボールの蹴られた角度などはちょっとわかりずらい。丁度角地に設置された2台のテレビ画面では、今日の試合を前イングランド監督で最近プレミアリーグ監督に復活したホドルが観戦にきていることを映し出していた。この監督さん、「身体障害者は、前世の悪行の罰でそうなったのだ。」という問題発言をして代表監督を解雇された人で、そのせいだろうか、ホドルが映ると周りからはブーイングの嵐が起こった。丁度試合開始10分前に席について今日出場する選手のアナウンスを聞く。相手チームのリバプールにはMichael Owenという昨年度得点王のイングランド代表FWがいるのだが、この日はけがの為不出場。アーセナルFWには、Dennis Bergkampというオランダ代表選手が久しぶりにカムバック、フランス代表FWのHenryと2トップを組むことになり、ファンの暖かい拍手で迎えられた。

サッカーのことは詳しくないのだが、今手元にある資料によると、アーセナルの有名選手22人のうち、出身国の代表選手が16人、しかもEU内は選手の移動が自由なので外人枠にもならないから、それこそ、フランス代表、オランダ代表、スウェーデン代表などがチーム内にごろごろいるのだ。もちろんイングランド代表も多い。これはアーセナルに限らず、どのチームもそうしてイギリス以外の国から強い選手をひっぱってきて編成しているので、プレイの質が高いのも納得である。


さて、4時になって試合開始。最初10分ほどは散漫なボール展開だった。隣に座っていたお兄ちゃんは相当のアーセナルファンらしく、応援の歌や声援をつばをとばしながらどす太い声で張り上げている。ちょっと下町なまりがあるので、隣で声をからしている割に何と言っているのかよく聞き取れなかったが、途中途中クリアーに聞こえてくるのは、パスをミスすれば「F**K OFF!」、相手にカットされても「F**K!!」なので、この試合中で1年分の4文字言葉を聞いたような気分だった。そんなワーキングクラスどっぷりの感じのお兄ちゃんだが、途中席を立つときはきちんと「Excuse me, please.」「Ta.(=Thankyouの意味)」と言いながらにこっとしていい感じだった。 (写真右:中央に、交代に備えてウォームアップするSuker選手)

賭けもしたものだから、試合ではPetitが60倍(150ポンド相当)をしょって走っていたし(←不謹慎きわまりない?)、アーセナルのホームゲームはここ最近負けがなかったので、当然勝つだろうと思っていたが、最初のゴールはリバプールの22番カマラというギニアの選手にゴールを許してしまった。後半になってアーセナルはさえないMFのPetitが交代、FWのBergkampも、ファン待望のSukerと交代して、彼は逆転の望みをつなぐ素晴らしいコーナーキックや、Henryにもおしいヘディングがあったが、結局最初の一点が決勝点になってしまい、アーセナルは1-0で破れた。。確かにリバプールのディフェンス陣は素晴らしかったし、キーパーもよく止めていたし、アーセナルより動きが良かった。しかし、この一敗は、前出のプレミアリーグ三位獲得に向けて手痛い一敗となってしまった。

前回はサッカーを生で見るという事に感動し、今回は贔屓のチームとしてアーセナルを応援する側にたって、負けを経験した。サッカーを知らなければただの試合結果なのに、はまり込んで選手の顔や調子がわかってくると、監督の試合後の苦渋のコメントが胸に痛くつきささる。あと数ヶ月でリーグが終了するまで、残り試合13試合、どこまでがんばってくれるのだろう。ここからはにわかファンなりに一喜一憂していきたいと思う。がんばれ!アーセナル!(←と言うわけで、ミーハーな私は、外見からもアーセナルファンと一目で分かるように、アーセナルの愛称Gunnersのマークが透けてはいっている、まっ黄色のレインジャケット(下の写真)をご購入。これを着て今後も応援するぞ。)
日本の最西端で海に沈む美しい夕日を見たことがある。そしてある日、イングランドの西の果てはどうだろうとふと思った。イングランド最西端は「Land's End(地の果て)」と呼ばれている。ガイドブックにも荒れ果てた海、といった形容詞が並ぶので、日本の最西端の景勝地とは全く違うようだ。いつもこうやって端ばかりを追いかけて旅行しているわけではないのだが、なんとなくいつかはイギリスの最西端、ヨーロッパ大陸の最西端も制覇しよう、ということになった。

しかしながら、ロンドンからイングランド最西端に行くには、電車の西の終着駅まで約6時間、そこからバスで約50分、と果てしなく遠い。少し気がそがれたので地図を開いて周辺を調べてみると、セントアイブスという港町、ダートムーア国立公園、エクセターなどちょっと寄ってもいいなと思うような街や海がでてきた。しかもこの辺りはスコーンにかかせないクロテッドクリームの名産地でもある。帰り道にどこかのティールームでおいしいクリームティーでお茶の時間、というのもいいだろう。そうして色々寄るには車の方が便利だという結論に達したのでさっそく近くのレンタカー屋に車の予約に行く。今までフィアットプント、日産マーチ、ポロなどを借りてきたが、今回今まで以上に長い距離を走行しなくてはならないというのに、なんとスズキのアルトだった。(涙)

 

上記はイギリス南西部の地図である。ロンドンからブリストルまで高速道路M4、ブリストルからエクセターまではM5が通っている。エクセターからはA30という一般道路をひたすら西に向かった。緑色は国立公園の場所である。



朝午前9時30分に出発、一気にランズエンドを目指すべくM4にのってひたすら飛ばす。イギリスの高速道路は大体三車線あって、トラックや遅い車は一番左、追い越し車線は一番右だ。平均速度は一番左から時速100km、120km、140kmといったところだろうか、とにかく全体的にスピードが速い。どのドライバーも自分が走りやすい速度で走るものだから、前の車が遅いと思うと車間距離がたいしてなくてもすぐに右に車線変更して追い越そうとする。そのおかげでこちらは急に割り込まれてブレーキを踏むことも度々なのだが、むこうは悪びれもせず遅い車を追い越すとさっさと元の車線に戻っていく。

ブリストルでM5に乗り換えて南に向かう。順調に車は進み、お昼過ぎにエクセターに到着。今日はとにかく先に進まないといけないので時間の無駄はできない。途中の道沿いにあったショッピングセンターのようなところに寄って一休み兼昼食をとる。ここは州でいうとDevon州、クリームなど乳製品の名産地なのでさっそくクリームティーを頼む。(注:イギリスではスコーン、イチゴジャム、クロテッドクリーム、紅茶のセットの事をクリームティーという)ここのスコーンは1個がかなり大きくて一つだけでもお腹が一杯になりそうだ。クロテッドクリームもたっぷりついていてすでに幸せ気分満点。スコーンにイチゴジャム、クリームをつけてかぶりつく。ちょっと口の中がもさもさしてくるので紅茶を飲むとさっぱりする。この組み合わせは本当においしい。そうしていつのまにか二つ目のスコーンにもしっかり手がのびていた。

この先ランズエンドまでは一般道路A30だが、これも車線二車線になっただけでほとんど高速道路とかわらないくらいで皆飛ばしている。イギリスの高速道路は無料なので、高速道路が終わっても料金所がない。そのまま走っているとそこが一般道路とは思えないのだ。高速と違うところは、途中でラウンダバウト(信号のかわりに丸い円になっていて基本的に待たずに自分の行きたい方向に進める)がちょくちょくでてくる事くらいだ。


鉄道の最西端ペンザンスに到着したのが午後4時頃、ロンドンを出発してから丁度333マイル(532キロ)だった。 ここでようやく海が目の前に見えてきた。ここまでお昼の休憩を除けばほとんど運転し続け、しかも高速での運転だったが、天気は曇りですでに日暮れが迫っていたのでもう一息がんばらないといけない。ランズエンドまであと16キロだ。


ランズエンドまでは対向車もあまりいない寂しい一本道をひたすら進む。周りにも家がある訳でもなく、牧草地が広がっているわけでもなく、たまにぽつんとでてくるパブが「First and Last House」と看板をだしているので目的地に近づいているのがわかる。


そうして午後4時30分、ロンドンをでてから7時間後、ランズエンドに到着した。1台につき三ポンドと書いた駐車場の入り口には誰も人気がなく、さびれてつぶれてしまったような駐車場に10台ちかい車が停まっていた。まずは海に向かって歩く。確かに、荒涼とした海だった。空はイギリス特有の低く垂れた雲が何重にもなって夕日を隠してしまっていたし、吹いてくる風は冷たい。崖のまわりをかもめが何匹も飛んでいるが、その鳥達も気が荒いように感じる。崖の周りは道といえば道の小道がぐるぐるとつながっている。きっと時間があれば散歩するのもいいだろうが、散歩というよりは登山にちかいでこぼこ道で、こんなところで足を滑らせて崖に落ちてしまっても誰も気がつかないだろう。


シーズンにはもっと人が来るのだろうが、既に冬時間のイギリスは夕暮れも早いし、観光客らしい人はほとんどいない。それでも奥に一軒パブがあったのでそこで一杯だけシングルモルトを頼んで乾杯した。目の前の海はどんどん暗くなっていった。

すっかり真っ暗になった道を戻り、今日の宿をとったセントアイブスに向かう。セントアイブスは綺麗なビーチのある港町らしいのだが、到着した頃にはまわりは真っ暗、雨も降ってきたし、とにかく一日運転ばかりだったので疲れをとるべく宿でゆっくりすることにした。

宿に着くといきなりご主人が「犬は大丈夫か」と聞いてきた。好きだ、と答えると同時に羊を小さくしたような馬鹿でかい真っ黒の犬がぬっとでてきた。あそこまで大きい犬は見た事がない。毛むくじゃらで顔がよく見えないが、これは犬というより獣だ。連れが気がついたのだが、確かに宿中獣の匂いが充満してしまっている。これは犬嫌いにはつらいだろうなあ。

ここの宿は浜辺の上に位置しているので部屋はオーシャンビューなのだが、夜で街の明かりしか見えない。明日の天気に期待しよう。夕食も宿でとることにした。かなり広々した食堂に行くと、今度は床にのべーとヒマラヤンのような猫が寝そべっている。人なつこい猫だ。ここのご主人は動物好きに違いない。食堂の窓はかなり大きくてそこからも海が見れるようになっている。この夜はたまたま街で花火があがっていて、夕食を食べながら花火も見れるという絶好の機会に恵まれた。ご主人が作る夕食もきちんとしていて思った以上においしかった。


朝起きるとまだ曇り空で細かい霧雨が降っていた。それでも部屋から見る浜辺は美しく、犬を散歩させている人がいる風景がとても似合っていた。朝食前に浜辺まで散歩することにした。かなり急な坂道をひたすら下ると5分ほどで浜辺にでた。白っぽい砂浜は大きすぎず小さすぎず、白と緑が交互にペイントされた更衣室がずらーと並んでいる。ビーチにあるカフェも同系色でペイントされていて、小奇麗な浜辺だ。太陽が見えそうになるが雲が何重にもなっているのでなかなか陽がささない。


朝食はコンチネンタルとなっていたのでコーヒーだけ飲むつもりで食堂にいくと、メニューにはフルブレックファスト(ベーコン、目玉焼き、トマト焼きなどのイングリッシュブレックファスト)やポーチドエッグトーストなども希望すれば用意される事になっていた。ロンドンのホテルでコンチネンタルといえば、こうしたクックドブレックファストはつかないでコーンフレーク、トーストなどだけが普通なのでちょっと驚いた。昨日と同じくご主人がオーダーをとってから作ってくれたがとてもおいしかった。(写真:食堂から見た風景)


本当ならば芸術家が好みギャラリーが多いというセントアイブスの街も散策したかったのだが、今日は全行程の半分ほど戻るつもりなので、朝食後早速出発する。A30を同じように飛ばすが、雨が降ったりやんだりで雲も低く垂れこめていて連れとちょっと心配する。なぜなら、エクセター近くでゴルフをする予定にしているのだ。A30を途中で右に折れてダートムーア国立公園を通り抜けてエクセターに向かう。ダートムーアはエクセターからプリマスにかけて広がる荒野だ。道は一車線道路になり、風景は今までと全く変わった。たまにB&Bがでてくるが人気はなく、かといって牧歌的な開けた風景でもない。すこし箱根を思い出させる山道で、途中黄色に紅葉した木々の壁が左右に連なり、紅葉のトンネルをくぐっているようで素晴らしかった。

お昼頃ゴルフ場に到着。一人15ポンド(約3000円弱)を払ってプレイする。が、なによりショックだったのは、この日霧雨が降っていたので、芝がたっぷり水分を含んでおりトローリー(ゴルフバックを移動させる手押し車)が使用不可だった事だ。ということは、自分で自分のゴルフバックを担いで18ホール周らないといけないのだ。イギリスのゴルフは18ホールをスルーでのプレイがほとんどなので、途中日本のように休憩がない。スルーでのプレイには随分慣れたが、重いゴルフバックを少なくとも三時間以上担ぐのは初めてなので不安になる。

このゴルフ場はアップダウンがそこそこあって、そこを担いでまわるのは正直きつかった。しかも霧雨がやまないので、9ホールを過ぎる頃にはバックも泥だらけ、かぶっていた帽子のつばからは水滴がしたたる位になってなかなかつらいゴルフだった。しかし、終わりも見えてきた16ホールでは大分陽がさすようになってきて、ふと目をあげるとそこには大きな虹がでていた。しかも180度くっきり綺麗に目の前に光っているのだ。こんなところで虹を端から端まで全て見られるとは思わなかったので、嬉しかった。これはがんばったご褒美だったのかもしれない。

来た道をダートムーアに戻る。宿を決めていなかったので、道すがら宿探しをする。宿は色々あったが、その中の一軒、ツタがからまっていい感じの洋館を見つけたので、今晩はそこに泊る事にした。部屋はピンクと白が基調の、すこし女性っぽい部屋だったが、広々している。夕食はイギリス料理とフランス料理を足して2で割ったような料理で、ソースはかなり考えてつくられていて田舎にしては非常にきちんとしていた。ここには若いカップルから老夫婦まで合計10組近いお客がいて、8時を過ぎると食堂はかなり賑やかだった。



ここでもコンチネンタルといってクックドブレックファストが用意された。地域によって言い方が違うようだ。さて、朝食後まずはダートムーアをドライブすることにした。道路は一車線道路で、少し進むとあっという間に山の頂上にでたり、低い土地に戻ったりでめまぐるしく風景がかわる。羊や牛がのんびり草を食べている風景もあれば、岩と赤茶けた植物以外何もない閑散とした風景が表れたり飽きる事がない。

途中途中で駐車できるスペースがあるので停めてみると、すぐ横に牛の軍団がこちらをジーと見ていたり、馬がこちらには目もくれず食事を続けていたり、サファリパーク牧場版といった感じだ。道路にも羊がでてきてどっかと座って車が横を通ってもびくとも動かない。随分下のほうには教会らしい建物や家が数軒見える。と、思ったら5分もしないうちにその村についてしまった。コッツウオルズは村がそれぞれこじんまりとまとまっていたが、ここの村も静かにダートムーアの中にたたずんでいる。名前もないような川が流れているが、水はとても透明でさらさらと流れている。村を通る道は狭い箇所もあるのでこの時ばかりはスズキアルトで良かったと思う。

2時間ほどダートムーア内を縦横無尽に走り回ったが、その景色は全く飽きることがなかった。お気に入りのテープと小回りのいい車があったら、ここをドライブするのは本当に楽しい。秋で紅葉の黄色や、冬が近いにも関わらず青々している牧草を見られたのは幸せだった。

そうして次には高速道路M5に戻り、ブリストル方面に向かい、途中で高速を降りてチェダーの村に向かった。ここに寄るのはおいしいスコーンが食べられるティールームがあるとある人のHPで発見したからだ。(漢さんに感謝)チェダーはチェダーチーズ発祥の地で、イギリス一の鍾乳洞もある。

チェダーに到着してまずは鍾乳洞にはいった。崖がそそりたつ道路の一角にその入り口はある。解説つきで30分ほどのツアーに参加した。鍾乳洞の中はひんやりと暗いが、アビスやコケなどの植物が太陽は全くあたらないのに上から下方面に生きていて驚く。自然にできた割れ目や底を走る川を見ると、自然の驚異を感じずにはいられない。去年には川が氾濫してとてつもない水量が逆流したそうだ。たまに解説のお兄さんがライトで割れ目を照らしては「あそこにコウモリがいます」と言う。コウモリはロンドン動物園で見た事があるが、気持ちのいい動物ではなかったのでおののく。

鍾乳洞を後にして噂のティールームに向かうが、なんと冬の間は観光客が少ないのでお休みしていた。しかし、チーズやクリーム、ジャムを売る店の方は開いていたので、持ちかえり用のスコーンセットを購入して良しとする。ちょっと話したお店のご主人はとても優しそうな人だった。ここで買ったスコーンは翌日家でオーブンですこし暖めて食した。十分おいしかったが、きっとティールームで頂いた方が雰囲気もよかっただろうと思う。

散歩しながら駐車場に向かう。確かに観光客が冬の間はめっきり減るとみえて閉めているお店がちらほら見受けられる。チーズを作っているところが見られる一角もお休みだったし、お茶処も人気がすくない。よく日本では100円ショップがあるが、それのイギリス版一ポンドショップという店は開いていたがお客さんはほとんどいなかった。

2時頃チェダーを後にして一路ロンドンに向かう。途中以前は造船で栄えたが今はさびれてしまったという雰囲気のブリストルの街を通過してM4にのる。またしても時速120kmでの長旅だ。さすがにアルトも疲れてきたのか、がっちりハンドルを握っていないとふらふらしてしまうし、しかも高速なので気が抜けず手に汗をかいてしまった。帰りの高速は順調で、ロンドン市内にはいってからも目だった混雑はなく、午後5時頃無事に到着。三日間の合計走行距離は700マイル(約1120キロ)をゆうに越していた。移動ばかりだったが、思った以上にとても楽しい旅だった。

1月に初めてキャットショーに出陳してみました。このとき生後5ヶ月ちょっと、キツンクラスにエントリーしました。

ジャッジを待つSOL(29番)
SOL「ここはどこ??」


初めてショーでジャッジされるSOL。とってもびびっててよくみると尻尾で急所を隠してます。


まだ尻尾が立つ余裕がありません。
ジャッジ「はい、どんなお顔してますか~」
SOL「んぎゃぎゃぎゃ」


ちょっと、はやくたすけてよ~~~


こちらは一緒にでた親戚筋のお友達。ショー慣れしてます。


この結果、一人のジャッジにベストキツンをもらいました。飼い主もブリーダーさんも驚きましたとさ。その受賞リボンがこれ↓

新聞報道によると、アメリカのオール・プロ・スポーツ・キャンプス社が、娯楽施設のアイデアをディズニー社が盗用したとして損害賠償を求めていた事件で、8月11日、フロリダ州地裁の陪審は、ディズニー社に対し、2億4000万ドル(約260億円)の支払を命ずる評決を下したとのことである。評決によれば、ディズニー社は、オール・プロ・スポーツ社が1987年に持ちかけてきた、大リーグのキャンプ施設やホテルなどを組み合わせた複合娯楽施設の企画を採用しなかったが、その後、97年にディズニー社によりフロリダ州に開設された「ワイド・ワールド・オブ・スポ-ツ」が88箇所の点でオール・プロ・スポーツ社の案に酷似していたものとされている。

アメリカらしい規模のでかい裁判の話だが、オール・プロ・スポーツ社のアイデアはいったいどういう法的根拠で保護されたのだろうか。本件の詳細は不明であるうえ、私自身、アメリカの法律は詳しくないので、はっきりしたことは言えないが、きっとフロリダ州のトレード・シークレット法のようなもので保護されたのだと思う。トレード・シークレット、直訳すれば企業秘密であるが、簡単に言えば、価値のある秘密は法律上保護されるべきというものである。

アイデアをどう保護していくか、という問題は知的財産ビジネスに関係している者にとって頭の痛い問題である。特許庁なんかに登録することなく、創作したという事実だけで権利を取得することができる著作権法で保護するのが一番便利じゃないか、とお考えの人もいるかもしれない。ところが、まず、著作権というのは、「表現を保護するものであって、アイデアそのものを保護するものではない」という根本的な原理みたいなものがある。例えば、新しいゲームのルールや料理の作り方を考えついてルールブックやレシピを書いた場合、そのゲームのルールや料理の作り方自体はアイデアであって著作権法で保護されることはないが、ルールブックやレシピの表現は著作権法で保護されるということである(参考:ゲートボール規則集事件 東京地裁昭和59年2月10日判決)。だから、アイデアそのものの保護は著作権法の対象とするところではない。

では、特許権はどうか。この点、誤解をおそれずに言えば、特許権は確かに新しいアイデアを保護しようというものである。けれども、特許権によるアイデア保護にはいくつかの大きな問題点がある。最大の問題点は、特許権を得るためには、そのアイデアを世間に公開しなければならず、しかも、一定期間(日本の場合、特許を出願した日から20年間)が経過したら、特許権はきれてしまい、原則として誰でも使ってOKということになってしまうことだ。これでは門外不出の秘伝といったものはなくなってしまう。だから、門外不出の秘伝を守ろうとする人は、特許出願をすることをいやがる。その良い例がコカ・コーラである。仮に、コカ・コーラの創設者がコカ・コーラの製法を特許出願していたら、今ごろは誰でもコカ・コーラと同じ味の清涼飲料水を製造・販売することができたはずである(それにコカ・コーラという名前はつけれないにしても…)。ところが、彼は特許出願などせず、コカ・コーラの製法をひたすら問題不出の秘伝として、会社内でも特別な人間しか知り得ないようにすることによって、今までその秘密は守られてきているのである。イギリスにも、PIMM'S(ピムズ)という何故か夏にしか飲まないちょっと甘めのカクテルがある。これはPIMM'Sというお酒(アルコール度数25%)をレモネードで3,4倍にわって、レモンやオレンジを切ったものを加えるという簡単なカクテルで、イギリスの短い夏の風物詩として(屋外でのパーティーなんかのときによく飲むらしい)、かなり人気の高いものだが、PIMM'Sのオリジナル・レシピは、1840年代の初登場以来、秘密としても厳重に管理され、たった6人しか知らないとラベルに書いてあるので、特許出願なんかは当然していないのであろう。

また、最近はビジネスモデル特許などというものもアメリカでは盛んに認められているが、自分のアイデアが特許庁の審査をクリアして特許として認められるかは不確定な要素が大きい。今回のケースの複合娯楽施設のアイデアといったものは、少なくとも日本では特許権の対象となることは難しいのでなかろうか。

このように著作権でも特許権でも保護が不充分というときに重要となってくるのが、アイデアをそのままトレード・シークレットや営業秘密としてずっと保護していこうという考え方である。その法的方法の一つとして考えられるのが、秘密保持契約というものを当事者間で締結していくやり方である。よく、いくつかの会社が共同研究なんかをやるときに研究者が秘密保持に関する誓約書なんかにサインさせられるのも、この秘密保持契約の一種である。しかし、常に秘密保持契約書を締結していくことは難しい。今回のディズニーのケースでも、オール・プロ・スポーツ社が自分の企画をディズニー社にプレゼンする際に、秘密保持の誓約書なんかを一筆ディズニー社からとっておけば、そもそも今回のような事件は起きなかったであろうが、なかなか実際のビジネスでそのようなことを毎回行っていくことは難しい。

そこで、法律で一般的にトレードシークレット・営業秘密そのものを保護していこうという方法が必要となってくる。日本でも、従前は民法の不法行為という枠内で営業秘密を保護していたが、これだけでは不十分であるとして、1990年に不正競争防止法を改正して、明文で営業秘密の盗用や不正利用等を規制していくことにした。その際、法律上保護を受け得る営業秘密として認められるための要件として、(1)秘密として管理されていること(秘密管理性)、(2)事業活動に有用な技術上、営業上の情報であること(有用性)、(3)公然と知られていないこと(非公知性)が必要であると規定されている。この法律に違反して、他人の営業秘密を不正利用した場合には、差止めの対象となったり、損害賠償の対象となってしまう。そして、法律の保護は、特許権とは異なり、そのアイデアが営業秘密として管理され、世間に開示されない限り、原則としてずっと続いていくのである。

では、イギリスではどうなっているのだろう。日本と違って、営業秘密を直接保護する明文の法律はない(制定しようとする動きはずいぶん前からあるようだが…)。その代わり、伝統的に判例法により長いこと(1849年のプリンス・アルバート事件以来と言われている)保護されてきている。判例によって形成されてきた理屈を簡単に説明すると、ある情報が営業秘密と言える性質のものであって、秘密保持義務のある営業秘密として相手に伝えられた、あるいはその情報を秘密保持義務のある営業秘密であるとわかるような状況で受け取ったにも関わらず、その営業秘密を勝手に利用して損害を与えた場合には、"breach of confidentiality"として、差止請求や損害賠償の対象となるというものである。

イギリスでの"breach of confidentiality"に関する面白いケースとして、オアシス事件(Oasis case: Creation Records Ltd. v. News Group Newspapers Ltd. 1997 E.M.L.R 444)というものがある。これは、日本でも有名なロックバンドのOasisアルバムジャケットの撮影を極秘にホテルのプールサイドでやっていたところ(一緒に白いロールスロイスも配置していた)、これを別のカメラマンが勝手に盗み撮りして、その写真がタブロイド紙に掲載されたケースである。タブロイド紙を訴えたオアシス側の理屈としては、まず著作権があった。アルバム・ジャケットの撮影セット(のアレンジメント)自体が創作的なものであるから著作権法で保護されるというのが彼らの理屈だった。ところが、英国の著作権法では文学や音楽、彫刻やコラージュといった美術著作物など法律上列挙されているものにあてはまらないと著作物として認められないことになっており、アレンジされた撮影セット自体はそのいずれにも該当しない以上著作権法で保護していくことはできないと裁判所は判断した。そこで、オアシス側が主張したもう一つの理屈が"breach of confidentiality"(秘密保持義務違反)であった。当然、タブロイド紙側は盗み撮りカメラマンはオアシス側と秘密保持義務契約を締結したわけでもなく、撮影現場が営業秘密となっていることなんか知らされても無かったと反論した。しかし、裁判官は、警戒体制のしかれていた撮影現場の状況からして、オアシスのメンバーを含む撮影セットは営業秘密と保護されるものであって、カメラマンもそのことを認識すべきであったとして、カメラマンは"breach of confidentiality"(秘密義務違反)を行ったものとして、オアシス側の主張を認めた。このオアシス・ケースなんかは、特許法や著作権法では保護しようがなかったケースで、営業秘密として法的に保護していく方法の有用性がとてもわかり易い事例であろう。

このように、自分のアイデアを営業秘密として法的に保護していくことはとても効果的なことである。その際に必要なことは、まずそのアイデアや情報が営業秘密として保護されるくらいある程度価値があることである。あまりにくだらないことではだめだろう(例えば、隣の奥さんは、ネットにはまって月に数十万円使っているといった情報。ちなみに、イギリスの判例法では、こういったものは"tittle tattle"(くだらぬおしゃべり)として秘密保持義務の対象としない)。ただ、ビジネスのアイデアは一見くだらないと思われるものが、大当たりしたりするので、この用件はそんなにハードルの高いものとすべきではないだろう。難しいのは、アイデアを他人に伝えたり、プレゼンしたりする際に、その相手に営業秘密であることを認識させることである。きちんとしたビジネスの場であれば、秘密保持契約を締結しなくても、配布資料なんかにマル秘マークなんかを押していくことくらいは可能であろう。でも、友達どうしなんかではこれも難しくなる。そんなときは、せめて、人気のないところで「これは秘密だからね」と言ってアイデアを伝え、指きりげんまんくらいはなんとかしておきたいところである。(14/08/2000)

C pulpo 2000
先日、オンライン音楽交換サイトのナップスター(Napstar)に対し、著作権つきの音楽ファイルのナップスターのサイトへの掲載の差止めを命ずる仮処分命令がアメリカ連邦地裁から下されたことは、日本でも大きく報道されたようなのでご存知の方は多いと思う。

ナップスターのソフトを利用することによって、ユーザーはナップスター設置のインターネットサーバーを経由して、自分のハードディスクの一部を公開して自分が保存しているMP3ファイルを他のユーザーと共有したり、他のユーザーがナップスターを使って公開しているMP3ファイルを自由にダウンロードすることができた。つまり、友人同士でCDの貸し借りをしていたことを全世界規模で、しかも無料でできるようにしたのである。果たして、このサービスは開始以来爆発的な人気になり、あっという間に全世界で約2000万の人々がナップスターを利用するようになった。

これに怒ったのが権利者側であるレコード業界。1999年12月、RIAA(全米レコード業協会)は、ナップスターで交換されているファイルの多くは海賊版である以上(すなわちユーザーは著作権者の許諾無く違法に音楽ファイルを交換している)、ナップスターはユーザーによる著作権侵害行為を助長し侵害行為に寄与しているものであるとして、著作権侵害を理由にナップスターを訴えた。(ちなみに、ヘビメタバンドのメタリカも、今年4月に、ナップスターなどを同様に訴えている。)

権利者側であるRIAAに有利な裁判であるが結論までは時間がかかるだろうという予想をくつがえし、7月26日、米連邦地裁のPetel判事は、ナップスターに対し、「著作権付きのすべての楽曲、ならびに原告が権利を保有している全ての音楽作品について、これを複製したり、あるいは複製を助けたりする行為を中止するように」と命じた。ナップスターは控訴する模様であるが、ナップスターのインターネットを利用した新しいビジネスそのものが崩壊の危機に追い込まれたことは事実であろう。

著作権者と新しいテクノロジーの闘いは、ナップスターの事件に限らない。ナップスター・ケースの直前には、同じくRIAAがRioというMP3再生装置を販売したDiamond社を訴えたケースが記憶に新しい(この事件は最終的には和解で終了)。古いところでは、ベータマックス事件(Sony Corp. of America v. Univesal City Studios, Inc)が思い起こされる。これは、いまはなき(?)ビデオデッキであるベータマックスを製造・販売していたソニーを、映画会社のユニバーサルやディズニーが著作権侵害を理由に訴えたものである。すなわち、ベータマックスを購入した消費者はテレビで放送される映画を勝手に録画をしており、これは著作権侵害行為であり、そのような著作権侵害行為を助長する機械であるベータマックスを製造・販売しているソニーも法的な責任があるというのが映画会社の主張するところだった。

アメリカの著作権法では、一般的に著作物の公平な使用を認める、いわゆるフェア・ユース条項(107条)はあるものの、日本の著作権法30条のように、私的目的での個人の録音や録画は著作権侵害にならないとする明文の規定はなかったため、そのような私的録画行為がフェア・ユースに該当するか否かがベータマックス事件における最大の争点となった。結果は、最高裁で5対4の僅差でかろうじてソニー側の勝訴、つまり著作権侵害には該当しないとの判断がなされた(第一審はソニーの勝訴、第二審は映画会社の勝訴だった)。ビデオデッキは、視聴者がテレビ放映された映画を都合の良いときに見られるようにするため、すなわちタイムシフト(time shifting)目的で利用されることが多く、著作権者に与える害は少ないというのが最高裁の最大の理屈だった。(ちなみに、イギリスには、私的複製を認める日本の著作権法30条に該当する規定がないばかりか、一般的に著作物の公平使用(フェア・ユース)を認める米国著作権法107条のような規定もない。したがって、ダブルカセットデッキを利用して著作権のある音楽を無許諾でダビングする消費者の行為自体は理論的には著作権侵害となる可能性が高い。)

このようなタイプの紛争はアメリカに限られない。イギリスでも、ダブルカセットデッキの製造・販売が問題になったケースがある(CBS Songs Ltd v Amstrad Consumer Electronics plc: 1987 All ER 151)。無許諾のテープのダビングを助長するダブルカセットデッキの製造・販売は著作権侵害であるとして、レコード会社がデッキの製造会社を訴えたケースである。このケースにおいて、裁判所は、必ずしも違法目的でダブルカセットが利用されるわけではないこと、デッキの製造会社はデッキの販売後はその利用方法をコントロールできるわけではないこと、デッキの製造会社が無断複製は著作権侵害になることを広告で消費者に警告していたこと等を理由に、ダブルカセットデッキの製造・販売行為自体は著作権侵害行為に該当しないと判断した。

音楽や映画の権利者と新しいテクノロジーとの闘いは裁判の場に限られない。膨大な音楽や映画ソフトの著作権を有する権利者側は、それを盾に、新しいテクノロジーに様々な制約を求める。新しいテクノロジーに十分に著作権保護機能が付されるようになるまで、ソフトの提供を行わないことはよくあることである。そのためにすばらしい技術でありながら、普及しなかったテクノロジーは少なくない。また、DVDやテレビゲームのように、世界各地で使用コードを変えたりして流通をコントロールしていこうとする。

このように音楽や映画の権利者が新しいテクノロジーの登場に対して訴えを起こしたりする理由は、新テクノロジーによって自分たちの売上が減ってしまうことを恐れるからである。自宅での音楽や映画の私的なコピーが簡単に良質にしかも安価でできるようになれば、正規のレコードやビデオの売上が減少すると考えることは自然なことである。自らが音楽や映画の製作に対して行った投資がもたらす利益を、著作権を通して防衛していこうという行為なのであろう。しかし、もちろん、新しいテクノロジーの登場は権利者側に害悪をもたらすとは限らない。例えば、ビデオデッキの登場により、映画会社は新しい市場を創設することに成功し、セルビデオやレンタルビデオがもたらす利益は映画会社にとっていまや欠かせないものとなっている。大切なのは、著作権者側と新しいテクノロジーの開発者・利用者側がお互いの利益を尊重し、相互に譲歩し、新しいテクノロジーを有効に利用していくことであろう。その際、大切なのはスピードである。もめているうちに、その技術が時代遅れになってしまうのではお話にならない。(00/7/30)

C pulpo 2000
イギリスは今ユーロ2000で盛り上がりまくっている。ユーロ2000とは、簡単に言えば、サッカーのヨーロッパ大会みたいなもので日本ではサッカーファンを除けばそれほど知られていないものであるが、こちらではワールドカップ並の盛り上がりを見せている。レベルも高く、ブラジルとアルゼンチンを加えてたらワールドカップになると言われている程で、実際、この前のワールドカップ3位のクロアチアが予選で敗れ、イングランドもやっとこさ予選を突破したくらいだ。

さて、今日、6月12日、大会3日目はいよいよイングランドの登場。ポルトガルとの予選第1戦である。この2年間、イングランドへの恨みは多々あれど、今日ばかりはイングランド頑張れの気持ちで盛り上がり何となく落ち着かない時間を過ごしている。ただ、イングランド戦でなくとも、愛しいアーセナルの選手が各国の代表として出場しているので飽きることなく応援することができる。例えば、優勝候補のフランスには、アンリ、プティ、ヴィエラが、同じく優勝候補で開催国のオランダにはベルカンプとオーバーマースといったふうに、あっちこっちでアーセナルの選手が主力として大活躍している。そう考えるとアーセナルはなんと国際的なチームだったのだろう。そして、これはアーセナルに限ったことではなく、同じロンドンのチームであるチェルシーなどはレギュラーのほとんどをイングランド人以外が占め、傭兵軍団と呼ばれているくらいだ。

ところで、こんなにイングランドのプロチームが国際的になった背景には一つの判決が大きな影響を与えている。1996年に欧州司法裁判所が下したいわゆるボスマン判決(ASBL v Bosman C415/93)がそれである。この事件では、ベルギーのプロチームからフランスのプロチームに移籍しようとしたボスマンという選手が、高額な移籍金の支払能力等の問題で結局移籍できなくなったことに怒り、裁判を起こしたケースで、欧州司法裁判所は、選手の移籍に関する移籍金の支払制度やチーム毎の外国人枠が、EU内における「人の自由移動」「労働者の自由移動の権利」を保障したローマ条約48条(現39条)に違反するとして、EU加盟国の選手に関しては、かかる移籍金制度と外国人枠を撤廃することを命じた。この結果、少なくとも、EU加盟国出身の選手は何人でも同一チームに所属することができるようになり、イングランドのチームも一気に国際化したのである(ただし、EU加盟国以外の選手に関しては依然として外国人の人数枠がある)。そして、ダサいダサいと言われたアーセナルにも多くのEUの選手が加入し、今では本当に美しいプレーを展開するようになったのである。

それにしても気になることが一つある。イングランドのチームにはEU加盟各国から数多くの選手がやってきて(自国に比べ飯がまずいにも拘わらず)大活躍しているのに、イングランドの選手はほとんど海外のチームに出ていっていないことである。プレミアリーグで十分にお金を稼げるというのも理由の一つであろうが、島国イングランド人特有の閉鎖性がここにも現れているような気がする。やはり他の国で選手が揉まれることも自国のナショナルチームが強くなる要因の一つなのではなかろうか(良い例がフランスやオランダである)。さて、今日のポルトガル戦どうなることでしょうか?

(今回は知的財産権とは関係のない話でしたが、一応、ヨーロッパの法律とは関係がある話しということでご容赦下さい。)

追伸 たった今、イングランドは2点を先取したにも拘わらず、結局2対3で逆転負けしてしましました。ちなみにイングランドの2点のうち、1点はスペインのレアル・マドリッドで活躍するマクマナマンによるもの。果たしてイングランドは今日の敗戦から何を学ぶのか?次は6月17日の宿敵ドイツ戦。もう勝つしかない!(00/6/12)

C pulpo 2000
皆さんの多くはブランド品のいわゆる並行輸入品を安く買ったことがあるのではないでしょうか。買ったことがないとしても、偽物でない限り、ブランド品の並行輸入が法律上違法なものとは思ってはいないのでしょう。並行輸入とは、外国で適法に製造・販売された商品(いわゆる「真正商品」)を、日本における商標権者等の許諾を得ず(正規代理店を通さずに)、日本に輸入し一般に販売することを言います。有名ブランドの化粧品やバッグ、スポーツシューズ等を並行輸入して販売する場合、法律的に最も問題になるのがかかる行為が日本における商標権を侵害しないかという点です。すなわち、商標権等の知的財産権は国ごとに成立するものですから、海外で適法に購入した商品であっても、日本で輸入・販売することは別途日本の商標権等を侵害するのではないかという問題です。この点、日本では、昭和40年代の前半頃までは商標権を侵害すると考えられていましたが、現在の日本では、ブランド品の並行輸入はそれが本物であって、かつ品質等に差異がない限り、原則的にはブランド会社の日本における商標権を侵害しないものと考えられています。※1

このように並行輸入が商標権を侵害しないと考えられているのは、商標権の本質論に基づいています。すなわち、そもそも商標権の本質というものは、商標(例えばNIKE)によって誰の責任で商品が製造・販売されているのかを消費者等に明らかにすることを保証しようとしているものです。これを商標の出所表示機能と言います。ところで、並行輸入の場合、たとえ海外からの並行輸入品であっても本物である限り正確にその商品の出所を商標は正しく示していますので、少なくとも商標の出所表示機能は害されていません。だから、商標権は実質的には侵害されていないというのが日本の裁判所の理屈です。これに対して、並行輸入業者は、自ら宣伝等の努力をせず、ブランド商品を安く海外から仕入れて日本で販売することによって、そのブランドが有する高級イメージにただ乗り(フリーライド)しているとして商標権に基づき並行輸入をもっと規制すべきとする意見もありますが、国際化、ボーダレス化の時代だから並行輸入は促進させるべきで、商標権によって並行輸入を防止することは原則として認めるべきでないという意見の方が圧倒的な状況です。

米国でも、品質等に実質的な差異のない限り、商標権に基づいて並行輸入を禁止することは困難であるとされており、ヨーロッパの多くの国においてもかつては同じような見解でした。ところが、EU内の結束が近時強くなる中、状況は一変してきています。ヨーロッパの中でEUという共同体に加盟している国においては、共同体内における商品とサービスは自由に流通されるべきという大原則があり、共同体内のある国でいったん権利者の承諾に基づいて市場に置かれた商品については、当該商標権は使い尽くされ(これを「権利の消尽(exhaustion of rights)」)といいます)、それ以降、共同体内の他の国で輸入・販売する行為について商標権者はもはや文句を言うことはできないと従来から考えられてきており、この点は現在でも変わりはありません。このようにEU内で権利が消尽してしまうという考え方を「域内消尽(community exhaustion)」と言います。

では、EU外から並行輸入される場合はどうなのでしょうか。EU(正確にはEEA:欧州経済圏)の圏外からのEU内に輸入される商品についても、EU内の各国間で輸入される商品と同じように、商標権は消尽してしまっており、並行輸入は許されるべきなのでしょうか。このような考え方を国際消尽論と言い、ドイツなどでは1990年代の前半頃までこのような考え方が判例上採られていました。つまり、日本や米国と同様に世界各国からの並行輸入を原則的に認めるという考え方が採られていました。ところが、1998年、ヨーロッパ裁判所は、商標権が国際的に消尽するという考え方をEU加盟国が採用することは許されないという判決を下しました(シルエット判決)。すなわち、商標権は国際的に消尽せず、EU外からの並行輸入に対して商標権者は文句を言うことができるという理屈を採用したのです。このECJの判決は、並行輸入に対する個人的な見解は別としても、日本や米国での一般的な見解からすれば、驚くべき結論であって衝撃的ですらあります。このような判決も最近のEUの要塞(fortress)化の一つのあらわれであると指摘する人もいます。

ところで、この要塞がどれだけ強固なものとなるかという点においては、EUの異端児たる英国の対応が大きなポイントとなるのではないでしょうか。いまだに、EUの統一通貨であるユーロへの参加を決定していない英国の今後の対応は予測しづらいものがあります。ところで、上記のECJのシルエット判決後間もない昨年5月、英国の高等裁判所で商標権と並行輸入の関係につき、注目すべき判決がなされました(Davidoff事件 1999年5月19日)。フランスのDavidoff社が、”Cool Water”,”Davidoff Cool Water”との商標が付された自社商品をEEA圏外からイギリスへ並行輸入した業者を訴えたケースですが、前述のシルエット判決の直後ですから、原告は自信満々でした。ところが、高等裁判所(High Court)Laddie裁判官は、「シルエット判決は、加盟国が国際消尽論を採用するのを禁じたに過ぎない。すなわち、商標権が国際消尽することにより、EU圏外からの輸入に対して商標権に基づく文句が全く言えなくなるという理屈をとってはならないと述べたにすぎないのであって、個別の事案における様々な具体的事情に基づき、商標権者が黙示にEU圏外からの輸入を承諾したとみなすことは妨げられない。」というわかったようなわからないような理屈を示して、結局、本件においても、はっきり並行輸入を禁止しているということが明確でないので、並行輸入は許されるべきという判断を示しました。

この判決は、シルエット判決の帰結としてEU外からの並行輸入は商標権を原則的に侵害し、許されないものとなると考えていた多くの専門家達を驚かせました。この考え方がECJでも維持されるかは疑問のあるところですが、EUの常識に対する英国の独自性を発揮した判断であることは間違いありません(このようなことは裁判上過去にもありました)。これでは、EU要塞の水もれの心配も大きいのではないでしょうか。(4/20/00)

※1 但し、当該ブランド品について特許権や意匠権が認められているような例外的な場合で、商品上海外での販売に限られていることが明らかになっているような場合には、並行輸入が特許権や意匠権を侵害することになります。また、映画のビデオカセットを海外から並行輸入して日本で販売することも、例外的に日本における著作権を侵害する行為と裁判上判断されています)
さる3月30日、インターネットのHPにおけるリンク行為につき、注目すべきというか、驚くべきというか、とにかくいわゆるリンク行為のついて重大な判決が大阪地裁でなされました。きっと日本のマスコミが大きく取り上げたと思われますが、ちょっとこのページでも取り上げてみたいと思います。

問題の判決は、付け外しが可能な画像処理ソフト「FLマスク」を開発した横浜市の会社員(本件の被告)が、FLマスクを配布する自身のHPと、このFLマスクを用いて男女のあやしいところを隠すアダルト画像を掲載する2つの他人のHPとの間でリンクを張った行為が、猥褻図画(わいせつとが)公然陳列罪の幇助(ほうじょ)罪(要するに他人の犯罪が行われるのを手助けした罪)に該当するものとして、被告に懲役1年(執行猶予3年)の有罪判決を言い渡したものです。この事件は、「リンク行為自体が犯罪に問われた」ものとして世間の注目を集め、この判決の理屈からすれば、他人が撮った写真や他人の文章を勝手に掲載し、著作権侵害(一応立派な犯罪行為)をしているHPにリンクを張る行為自体が犯罪になり得る、という批判までも受けています。私自身としては、そこまでこの判決の射程は及ばないのではないかと思いますが、最近の警察、検察庁、そして裁判所の対応はどうもインターネットに厳しい気がするので、例えば、ほとんど人気のない誰も知らないようなサイトで著作権を侵害するような行為がなされており、そのサイトについて非常に人気の高いサイトがリンクを張ったような場合、もしかしたら違法と判断されるのかもしれません。

また、この判決でもう一つ注目される点としては、判決が被告の幇助行為(犯罪手助け行為)を認定するに際して、被告がアダルト画像を掲載するHPの製作者に対して、Eメールで自身のサイトにリンクする点についての許可を求め、許諾がもらえたお礼に自身が開発したFLマスクのシェアウェア代金を免除する登録コードの進呈する旨をさらにEメールで伝えた点を重視したことです。つまり、いわゆるネチケットに従った行為があだになったわけです。

ところで、著作権侵害行為や猥褻画像の掲載や無断での他人の著作物を掲載するようなことをしていない適法なサイト(このHPのように…)に対し、無断でリンクを張る行為は違法なのでしょうか。この点に関する日本の裁判所の判断はまだありませんが、一般的には、リンクを張った者が自ら当該ホームページを作成したかのごとくふるまったり、ホーム・ページの表現につき誤解を与えるような形でフレーム処理したような場合でなければ、著作権法上の違法な行為には該当しないと考えられています。

ところが、この点について、英国でこれまたびっくりするような判決がなされています。1996年のシェトランド・タイムズ事件がそれです。原告である新聞社シェトランド・タイムズは自らの記事を掲載したインターネット・サイトを持っていましたが、被告がシェトランド・タイムズのヘッドラインで構成されるサイトをネット上に作り、そのヘッドラインをクリックすると、リンクしてあるシェトランド・タイムズのサイトの記事が読めるようになっていました(その際、シェトランド・タイムズのサイトにおいて広告が掲載されているHPを経由せずにダイレクトに記事の内容だけが読めるようにリンクしてあったことが、シェトランド・タイムズを怒らせた点でした)。裁判所は、かかる行為は著作権者に無断で自らの有線番組サービスに使用することに該当するとして、サービスの差し止めを命じました。インタラクティヴな点に特徴があるインターネットでありながら、それを有線番組サービスと認定した点などからこの判決には批判も強かったのですが、和解で解決したため、上級審の判断はなされませんでした。いずれにしろ、この判決は日本と内容を異にする英国の著作権法の条項に基づくものであって、日本にはそのままあてはまりませんが、国によっては適法なサイトへの無断のリンク行為自体が著作権侵害に該当するとの判断がなされている事実には注意すべきでしょう。しかも、旧英国領だった国ではイギリスの著作権法に類似した内容の著作権法を規定していますので、その影響はイギリスのみにとどまりません。なお、米国でも、トータルニュース事件のように、勝手に著名なメディアのサイトにリンクしその記事を読めるようにして、広告料を稼いでいたサイトが訴えられたりしています(事件は和解で解決しました)。

結局のところ、リンクの際には、「ロンドン物語」のように、あやしげでない健全なサイトとの間で、事前に了承を得て、リンクを張っていくことが一番安全だし、ネチケットにも合致するのでしょう。(00/4/19)

PS という訳で、当HPでは健全な相互リンク大募集中です!
前回にアバに関する問題を出しておきながら、放置すること3ヶ月以上、いくら読んでいる人がほとんどいないからといってもちょっとひどすぎますなあ。とにかく年内に、新しいミレニアムが到来しない内に、その回答は書かねばと思い、今回はちょいとあせっております。

いやいや、とにかく「MAMMA MIA!」は面白いミュージカルです。すげえくだらなくて、とても単純で、中身も大してないのですが、とっても幸せにしてくれるミュージカルだと思います。でも、そんなミュージカルを見ても、純粋に感動して幸せになるのではなく、自分の儲け話しを考える輩の存在は洋の東西を問わず否定できません。このアバ・ブームに便乗して、アバのロゴの入ったTシャツが勝手に作られる可能性はここロンドンでも十分にあります。

では、これは法律違反行為なのでしょうか?最近のアバのCDなんかを見ると、アバのロゴの隣に小さくマルアール(円の中にRのマーク)のマークが入っていますが、これは「Registered Trademark(登録商標)」の頭文字で原則的にはマルアールが付いているロゴ(ここではアバのロゴ)等が商標登録されていることを意味します。従って、衣服類に関してもアバのロゴが商標登録されている可能性は高いと考えられます。とすれば、アバのロゴを勝手に入れたTシャツは当然違法商品になるはずです…。いやいや、ここイギリスでは話しはそう簡単ではないのです。

最近の有名なケースで「Elvis Presley Trade Marks」(1997 RPC 543)という事件があります。事件の名前からも想像できるように、かの有名なエルビス・プレスリーの名前に関するケースです。このケースでは、ある会社が遺族から委託されてプレスリーのサインを商標登録していたところ、無断でマグカップとかにプレスリーの名前をプリントして販売する者が現れたので、商標権者は当然このような使用にクレームを申し立てました。しかし、ラディー(Laddie)裁判官は、「プレスリーはとても有名な歌手で、一般の人々は、プレスリーの名前が入った記念品を買う場合、その有名な歌手の名前が付いているから買うだけであって、その歌手と関係のある業者の商品だと考えて買っているのではない。そうである以上、プレスリーの名前は、当該商品の出所を他の商品の出所と区別する商標として機能していないと言わざるを得ない」として、商標権侵害を認めませんでした。

つまり、裁判所には、商標というものは、例えば、アディダスのマークがついていれば、アディダス社もしくはその関連会社が製造した商品で、品質も良く、他のマークのついている商品とは出所が違うと消費者らが判断できるためのものであるという考えが根底にあります(このような商標の機能を、出所識別機能及び品質保証機能と言います)。ところが、プレスリーのような有名人の名前そのもののような場合には、消費者は、プレスリーが好きだから買うのであって、プレスリーの名前が付いている商品そのものを信頼して買っているわけではありません。そこで裁判所は、プレスリーの名前は、先ほど説明したアディダスのように、出所を識別したり、商品の品質を保証するという商標本来の働きをしていないと裁判所は判断したのです。

このような裁判所の考え方に従うならば、アバが有名であればあるほど、アバの商標を登録しても、あまり意味がなくなってくるという皮肉な結果になってしまいます。つまり、MAMMA MIA!のお陰で、アバのブームが再燃すればするほど、少なくとも商標権に基づく無断Tシャツの取り締まりは難しくなるという、なんだか納得できないようなことになってしまいます。

それでは、商標権ではなく、前回説明したパッシングオフ(日本では不正競争防止法)によって取り締まることはできないのでしょうか。話が長くなってきたので、これは次回ということで、皆さん良いお年を。(99/12/31)

偽物のシャネルのバッグ、ナイキの偽物シューズetc、ある商品が売れれば必ずといっていいほど、その偽物がすぐさま出回る。たまに、ニュースで警察が大量の偽物商品を押収している様子が報道されているが、それでも偽物はなくならない。こういった偽物商品が法律に違反することは明らかなことで、場合によっては、刑法上の犯罪行為にもあたる。なぜか。法律的な理由は幾つか考えられるが、一番重要な点は無断でCHNELやNIKEといった登録商標を使用している点である(商標法上の商標権の侵害。これに対して、タイタニックの海賊版ビデオの場合は、タイタニックという映画の著作権を侵害している点が主たる理由となる)。

こういった典型的な偽物商品とは別にいわゆる「パクリ商品」というものも結構世に出回っている。例えば、数年前に「たまごっち」がブームになったときに、「たまごっち」そのものではなく、BANDAIの商標も使っていないけれども、よく似た商品が大量に出回ったことは記憶に新しい。いわゆる便乗商法というやつである。こういった商品はまさに「たまごっち」の評判や名声に「ただ乗り(Free Ride)」して、簡単に儲けようとしているのであるが、これが法的に違法かといえば、ことはそう単純ではない。違法な場合もあれば、違法とならない場合もあるという国会答弁みたいな答えにならざるを得ない。技術・産業そして文化についても、多かれ少なかれ他人の成果をある程度利用する形で発展してきた。「学ぶ」という言葉が「真似ぶ(まねぶ)」という言葉に由来しているように、全ての「ただ乗り」を禁止してしまっては技術・産業の効率的な発展というのは非常に難しくなる。しかし、全ての「ただ乗り」を許してしまったら、誰も多大のお金や時間をかけて新しい発明に取り組もうとはしなくなるだろう(インセンティヴの喪失)。

では、「ただ乗り」はどこまで許され、どこから禁止すべきなのだろうか。このライン引きは非常に難しい問題で、国ごとにこのラインの位置は異なってくる。背景としてのそれぞれの文化の違いも影響しているのであろう。フランスなどは「ただ乗り」にかなり厳しい国と言えよう。例えば、「Mars」事件というものがある。「Mars」という非常にヨーロッパで売れていたチョコレートバーに対抗すべく「Metra」という商品をライバルメーカーが新たに売り出した。商品の名前もパッケージの外観も異なっており、少なくとも消費者が「Metra」を見て「Mars」と勘違いしたり、関連商品と考えたりするような可能性は認められなかったにも拘わらず、裁判所は、商品ラインナップも全く同じ(通常の大きさの1個入り、ミニチョコ1個入り、3個入り)で、それぞれのサイズのチョコレートバーの重さも同じであった点を重視して、「Metra」は「Mars」のマーケティング手法や名声を不正に利用している(寄生的競争行為:Parastic Competition)と判断し、「Metra」の販売を禁止した。(また、5年くらい前にイヴ・サンローランのシャンパーニュ(Champgne)という名称の香水の販売がフランスで差し止められたが、これも同じように「寄生的競争行為」という理屈にもとづくものであった。)

では、イギリスはどうであろうか。紳士の国(?)イギリスが「ただ乗り」行為なんか許すはずがない、フランスよりも厳しいはずだ、と考えられる方もいるかもしれない、しかし、答えは否である。イギリスでは、商標法とは別に、判例によりパッシング・オフ(Passing Off:詐称防止)という概念が19世紀以来認められている。パッシングオフの典型的な例として、1896年に「Camel-hair Belting」事件というのがある。らくだの毛を使ったベルトが「Camel-hair Belting」という商品名(商品の内容そのものの名前ではあるが…)で大ヒットしていたのを、競争業者が同じ商品名でらくだの毛を使ったベルトを売り出したところ、消費者がだまされる可能性がある以上「パッシング・オフ」行為に該当するとして、裁判所は競争業者の販売を差し止める命令を出した。

しかし、パッシング・オフが認められるためには、「だまされる可能性」の有無が重要なポイントとなると言われている。(この点、全術のフランスの「Mars」事件において、消費者が勘違いする可能性が認められなかったにも拘わらず、裁判所により違法な行為と判断されたことと対照的である。)例えば、最近のイギリスの事件でRoho事件というものがある。これは、非常にヒットした健康クッションの形状をそっくり真似したクッションを競争業者が販売したケースであるが、裁判所は、商品名が大きく異なっており、高価な商品で消費者も慎重に選択する以上、二つの商品を勘違いすることはないとして、パッシング・オフの成立を認めなかった。この判決の中で、ジャコブ裁判官は次のように述べる。「イギリスではコピー行為そのものは違法行為にあたらない。今日他人の商品をコピーした者は、明日は発明者になり得るのである。だまされる可能性がない以上、彼の行為を禁止することはできない。」


この「だまされる可能性」が認められない限り、パッシング・オフとして規制されないという裁判所の考え方を拠り所として、イギリスのスーパーマーケットは、古くから「Lookalike goods(模倣商品)」というものを数多く販売してきた。例えば、左の写真を見て欲しい。左はネスカフェのインスタントコーヒー、右は大手スーパーマーケットのインスタントコーヒー、ネスカフェの商品が物真似されていることは明らかである。しかし、「NESCAFE」のブランド名は使われてなく、「だまされる可能性」をネスカフェが裁判所で証明することは難しい。


3,4年ほど前にイギリスで「コーラ戦争」というものがマスコミを賑わせた。ページ冒頭の写真の右はコカコーラの缶コーラ、左は大手スーパーの缶コーラ(上のインスタントコーヒーのケースと同じスーパーである)。さすがに、この行為をコカ・コーラ社は見逃すことはできず、ついに裁判所に訴えるところまでいった。残念ながら(?)、このコーラ戦争、両者が和解してスーパーも缶のデザインを変更したため(下の写真参照)、裁判所がこの事件をどのように判断するかという点は明らかにならなかったが、コカコーラ社にとってスーパーの違法性を証明することが簡単なケースでなかったことは確かである。


最近、この問題の大手スーパーに行って、模倣商品を探したが、明らかに模倣していいるという商品は見当たらなかった。せいぜい「MARMITE」の缶の形が同じような商品を見つけたくらい(写真参照)だったが、このくらいはかわいいものであって、「模倣商品(lookalike goods)」といって目くじらをたてる程でもないような気がする。聞くところによると、こういった傾向は、最近スーパー数社が自主的な協定を作成し、lookalike goodsの製造・販売を自粛することにしたことが原因らしい。しかし、この協定の参加することを拒否した大手スーパーもあったとのこと。また、ロンドンの街を歩くと、ブランド商品のパクリ商品(よく言えばパロディ商品)をよく目にする。こういう商品を見ていると、「紳士の国イギリス」ってどこにあるの?という感じがしてくる(だからといって、「フーリガンの国」というわけでもないだろうが…)。

さて、イギリスが、少なくともフランスよりは「ただ乗り」行為に寛大な国であることはおわかりいただけたかと思うが、日本と比べて、どっちが寛大な国なのであろうか。ここで問題。今、ロンドンでは、「MAMMA MIA」というアバの歌を題材にしたミュージカルが大流行で、オペラ座の怪人よりも良い席の入手は難しいようだが、もし、私がこのアバ・ブーム復活に便乗して、アバのロゴが入ったTシャツを販売したら、違法なのであろうか。日本とイギリスで結論は異なるのであろうか。次回(いつのことだか…?)はこの問題(Common Field of Activity)を考えてみたい。(99/9/7)

イギリスの郵便は、一般の郵便、葉書などがロイヤルメイルによって、2kg以上の小包や国際エクスプレス便などはパーセルフォースという別会社経由で届けられる。くせものはこのパーセルフォースだ。本当にサービスが悪いというか、全くうまく機能していない会社としか思えない。今まで何度怒ったり泣いたことか。

①荷物が消えた?

それは渡英まもない夏のある日。不在票がパーセルフォースから届いていたので、週末に荷物を取りに行った。不在票を渡すと係員が荷物を探しにいったが、なんと荷物はいまだに車に乗ったままなので、今は受け取れないと言う。数日後なら大丈夫だからと言われて一旦退散。この頃は渡英まもなかったので、そんなものかと思っただけだった。

再び数日後に出向くと、今度は違う係員が荷物を探しに行って、戻ってくると「どうもこの不在票の荷物以外にもあなた宛ての荷物があるようだ。だけど今それが見つからないから、また今度取りに来るか電話してみて。」と言われる。この日は日本から送ってもらった本の荷物だけを受け取り、他の荷物って何がきたのかな、と考えながらうちに戻る。

数日して電話して他の荷物が見つかったのか確認しようとすると、それは既に署名もされて受け取られていると言うのだ!そうなると考えられるのはうちの階下に住む誰かが代わりに受け取っておいてくれたとしか考えられないので、階下の3部屋宛てにメモを残した。結局誰も荷物は受け取ってない、というので、再びパーセルフォースに電話する。

けれども相手は「とにかく署名もあって受け取りは済んでいる!」としか繰り返さないので、こちらはこちらで話した係員の名前を書き留めるべきだったと思いながらも、かなりかちんとくる。しかし、よくよく署名の名前を読んでもらうとそれは先日本を受け取った時の自分の署名だという事が判明。その荷物は確かに受け取った、だけどそれ以外に私宛ての荷物があると言われたのだ、と何度説明してもそんな荷物はないと向こうも譲らない。

結局、こちらも待っている荷物もなかったし、その後日本の誰からも荷物が返送されたとも何とも言われなかったので、やはり第2の荷物がある、という事自体が間違えだったらしい。パーセルフォース、いいかげんにせーよ!(パーセルフォース編はまだつづく。。)

 
②クリスマスプレゼントはいずこ?

イギリスは、というかヨーロッパ各国そうだと思うが、11月頃からクリスマスショッピングの人達でごったがえす。ロンドンももちろんで、きらびやかな飾り付けをされたウィンドーを見ながら、今年一年お世話になった人や可愛い親戚の子供にプレゼントを選ぶというのは案外楽しみだったりする。
そのかわり遠隔地に住んでいて直接会えないとなればそれはやはり送らざるを得ないので、宅急便のないこの国では郵便局の混み方も尋常ではない。遅延を避ける為にやはり一番いいのは、ちょっとでも早め早めに送っておくことだろう。

そんな訳で99年日本向けクリスマスプレゼント達は早めに購入され、郵便局で売っているダンボールにそれぞれ荷分けされた。日本までは航空便で約7から10日間かかるから、まあ遅くなったとしても12月初旬にだせば十分クリスマス前には配達されるだろうとふんで、せっせとダンボールを抱えて郵便局にむかった。

郵便局のカウンターが空くまで列に並んで、いざ自分の番。ダンボールを計量機にのせて重さをはかり切手代を支払う訳だが、ここにきて一番大きかったダンボールが2kgを100グラムこえていた。郵便局からsmall packet扱いで送れるのは2kgまでなのだそうで、それを超えるとあのparcel force扱いになるのだそうだ。一瞬ドキリと心臓がうつのがわかる。

今思えば100グラムくらいのこと、荷物を空けて何かを取り出しても良かったのだが、せっかく綺麗にパッキングもしてあったし、仕方なくパーセルフォースで送ってもらう為に別の送付表に書きこむ。再びカウンターに戻り、控えをもらって、うまく届きますように、と祈りながら郵便局を後にした。控えは絶対なくせない

しばらくすると、日本からクリスマスプレゼントが届いたよー、と連絡がぼちぼちくるようになった。しかし、クリスマスになっても、パーセルフォース扱いで送った先からは連絡がない。パーセルフォースは本当に期待を裏切らないと、内心「ああ、やっぱり」という気持ちで一杯のままクリスマスを過ごした。確認するとやはり送付先には届いてないというので、クリスマスが終わって閑散としている郵便局へ出向いた。控えを見せて事情を話すと、紛失した荷物を調べてもらう為の書類を渡されたので記入する。「はい、それじゃあ、この書類をまわしておきますね。調べがついたら連絡しますから。」とやさしい郵便局のお姉さん。

この書類を出したのが年末の12月28日頃。ああ、あの緑と赤のクリスマスカラーでラッピングされたおもちゃたちは一体どこをさまよわされているのだろう。。

と、1月中旬になって、ひょこっと「プレゼントが届いた。」と連絡があった。せっかくのクリスマスプレゼントは時期を逃したものの、どうにか海を渡って配達されたのだ。しかし、まてよ、時期的に紛失したと書類を書いてから丁度いい時期に届いてるぞ。きっとパーセルフォース内で12月中はほっておかれていたに違いない。くそう、なんてこったい。

そして1月18日、パーセルフォースから一通の手紙を受け取った。内容は「荷物がなくなってすみません。今調査中ですが未だ発見されておりません。賠償金の支払いには控えの原本を送ってください。」といったことが書いてある。オイオイオイ。このすれ違い、荷物の保管、チェックシステムが全く機能していない、これこそパーセルフォース!

高い航空便の運賃を払ってこれだけ遅延したのだから賠償してほしいもんだ、と思いながらいや、やはりパーセルフォースとはこれ以上関わり合いたくない、と忘れようとしていたら、約1ヶ月後に再びパーセルフォースからの手紙。「荷物は無事配達されたと確認できました。

今後もパーセルフォースを宜しくお願いします。」

だって。もういや!

イギリスの英語学校では苦情の手紙を書き方、苦情の言い方を教えてくれます。なぜかといえば、イギリスで暮らしていると、日本ではありえないような理不尽で不合理なことに泣かされることがよくあるからです。。

Cable London編

ロンドンでは地域によってケーブルロンドンのテレビ、電話のサービスが受けられる。電話料金はBT(ブリティッシュテレコム)よりも若干安めに設定されているようだ。テレビの方もケーブルだけあって、画像は一定して綺麗なことが多い。電話番号は変更しないでいいこと、ネット代の電話料金も馬鹿にならないし、ケーブルのインターネットプロバイダーサービスにも興味があったので、今回BTからケーブルロンドンの電話に変更することにした。

水曜日

電話線の工事という事で水曜日の午後4時以降のアポを取った。で、その水曜日、待てども待てども家のベルは鳴らない。前日に電話で確認してあるだけに、日時に間違えはないはず。そうしてやっとベルが鳴ったのは午後8時近かった。まあ来ただけよかった、と工事に取り掛かってもらう。

しばらくドリルで壁に穴をあけたりしてソケットだけは取り付けられたが、時間が遅くて既にオフィスが閉まってしまったので、今日はまだ電話線開通には至らない、明日また誰かがくるから、と言われた。まだBTの回線が使えるので何も問題はないし、了解して翌日をむかえた。

木曜日

翌日、誰もこない。一日結局誰もこない。。

金曜日

金曜日の朝一番でケーブルロンドンに電話する。これこれしかじかで、と説明すると、後はオフィスの方で切り替えるだけだから大丈夫、これから20分程でBTラインは通じなくなるから、ソケットをケーブルロンドンの方に差し替えておくようにと言われる。昨日の一日は一体なんだったのだ。

はたして、数十分後、BTラインはその通り使えなくなった。さてと、ケーブルにソケットを差しこんでみるが、これまた何のトーンもしない。この時点でうちの電話は使い物にならなくなってしまったので、外の公衆電話を探す。ケーブルロンドンに電話をしてこれこれしかじかで、と説明するともう30分くらい待ってみて欲しい、という。

さっぱりつながる気配がない。いやあーーーな予感がした。

お昼過ぎ、3度目のケーブルロンドンへの電話。これこれしかじかと説明する(電話にでる人がいつも違うので説明せざるとえない)と、数分待たされたあげく、その間に公衆電話の度数はどんどん減っていき、結局違う部署に電話をまわされた。そこで再び現状を説明して質問にいくつか答える。結局エンジニアが電話線のチェックにいかないと駄目だと言われて、「おそらく今日の午後中にはエンジニアが行けるはずだけど、何時とは約束できない。ごめんなさいね。でも開通したかどうか自分でもチェックしつづけてみてね。」

ほとんどあきらめ状態。。大分こういうイギリス流仕打ちには慣れてきたけど、電話線が通じないのは本当に不便だし、陸の孤島にいる気分がしていやだ。何をしても気分が散漫になってしまうし、フックをあげては何も音がしないのを確認するのは寂しさをよりつのらせる。

駄目もとで午後5時過ぎ、再び公衆電話から電話してみる。かくかくしかじかなんだけど、何時頃できるかしら、と聞いてみたら「今日といったら今日のうちのいつか。数分後かもしれないし、もっと後かもしれないし。もしも明日の朝起きてまだ電話がつながってなかったら、その時は叫ぶなり、罵倒の言葉をいくらでも僕らに言ってくれていいよ。僕達はそれを聞くしかないもんね。」。。そうですか、はあ。思わずふん、と鼻で笑ってしまった。

想像どおり、何時になっても電話は開通せず、そのまま夜を過ごして翌朝になった

土曜日

午前9時からオフィスが開くので、すぐに公衆電話に向かう。一度目の電話で再びこれこれしかじかと説明する(怒っているのもあるし、何度も説明してるのでやたら流暢に早口に英語がでてくる)とカスタマーサービスに電話をまわすからと言われる。2,3分はたっぷり待たされてようやくつながったかと思ったら、音声サービスで「また後でかけなおしてください。」というメッセージが流れて電話は切れた。

こちらもぷちっときれる。

いいかげんにせーよ!

電話代2ポンドかえせえ!!


一人で電話ボックスを蹴り上げながら、再び電話。また待たされる。今度はどうにかカスタマーサービスにつながったので何度目になるかわからない説明を繰り返す。向こうは私の説明とコンピューターの記録で今までの経過がわかったようで、「少々お待ち下さい。」と、ここでまた2,3分待たされる。相手が電話口に戻ってきて「今日の午後1:30pmから3pmの間にエンジニアが伺います。」と言うので

「Are you sure??」

と何度も確認した。必ずエンジニアが行くからと言われ、もうこちらも疲れてしまって何も言葉がでない。おそらく向こうは昨日までの経過がわかった上で、先にエンジニアのアポをとっていたようだ。わかった、と言って電話をがちゃんと切った。ふかあーいため息がでた。

なるべく気をまぎらわせようと、日本のテレビ番組のビデオなんか見ながらゆっくりしたお昼を食べた。ビデオを見終わって、イギリスのテレビをちらちら見ながら時間は3時を過ぎた。何の音沙汰もない。ここはちょっとくらい遅れることもあろうと、色々気をまぎらわせてみるが、3時30分になった頃に一応再び公衆電話に向かった。カスタマーサービスに電話してまた新しく話す人に一から説明する。いつもどおり「少々お待ち下さい。」と言われて待たされる。このケーブルロンドンとの公衆電話での通話の為に新たに買ったBTの5ポンド(実質6ポンド分話せる)のテレホンカードが確実に、着実に減っていく。ようやく電話口の女性がエンジニアと連絡がとれたと言い、どうも交通渋滞にはまっているので後20分くらいで到着ようだと言われる。

結局家のベルが鳴ったのは4時丁度。これはかなり嬉しかった。勢い勇んでドアに迎えに行く。確かにケーブルロンドンのプレートを下げている男性2人は、一応シャツとネクタイはしているが、半そでの左腕にはかなり広範囲に刺青が見える。部屋まで来て、電話が不通なのを確認してかなり下町のなまりで「道具をとってくるから。」と外のケーブルをチェックにし行ってしまった。20分もしただろうか。刺青の男性が戻ってきて、

「ケーブルが切れてしまっていて、今日は直らない。」
(ガガーン・・・)


彼いわく、地中に埋まっているケーブルが切れてしまっているので、これからケーブルロンドンに連絡して、願わくば月曜日にケーブルを直すから、ということだった。彼のせいではないのだろうが、昨日のうちにこれが分かっていれば、今日土曜日にどうにかなったかもしれないのに。。「金曜日から電話が不通で、今日も明日も駄目。。とにかくすごく困ってるんだけど。。」と訴えるが、どうにもならない。ものすごく、がっかり。

日曜日

なるべく電話やネットのことを考えないように一日を過ごす。夜中いきなりテレビの画像がぶちっと切れる。これもまたケーブルロンドンのテレビだった。一体ケーブルロンドンはどんなサービスしているっていうんだ!

月曜日

朝もケーブルロンドンの画像は全く映らず。朝から出かけて、午後3時頃帰宅してテレビをチェックすると、こちらは元通りになっていたが、電話は相変わらず不通のまま。今日の修理の予定を確認してもらう為に、今朝は同居人に電話をかけてもらうことにしてあったので、まず仕事場にいる同居人に連絡をとる。そうしたら今日の午前中に修理は済むはず、外部のケーブルの修理だけだから家にはいなくてもよい、もし問題があったら同居人の仕事場に連絡する、ということを確認したというのだ。まったくいい加減だすぐにカスタマーサービスに連絡をとる。今回はあまり待つことなくつながって、午後5時30分から7時30分の間にエンジニアが来ると言う。しかも在宅して待機していて欲しいと言う。言ってることが違うじゃないかと思ったが、了解して家で待つことにした。

あんまりかりかりするのは気分衛生上もよくないので、音楽なんぞかけながらエンジニアがこない場合オフィスに再度電話をする為の時間を確認したりしていたら、午後5時頃にドアベルがなる。かけて降りていくと、はたしてエンジニアが二人いてこれから工事にとりかかるという。外でがんがんドリルを使う音が聞こえてくる。なるべく多大な期待はしないように、と気をまぎらわせながらご飯の支度をしてみる。午後6時頃再びエンジニアが戻ってきて、「直ったと思うから確認してみる。」と言うではないか。おお、こんな頼もしい言葉を聞くのは久しぶりだ。(涙)しばらく無用の長物だった部屋の電話が生きかえった!受話器をとると「プー」と音が聞こえる!嬉しいよー^o^

というわけで電話回線が再び戻ってきたので、さっそくこの記事を更新することにしたのでありました。

あびだよりについて

このブログには過去の思い出から現在の猫たちとの生活までが保存されています。London Storyは1998年から2000年までの在英時代の記憶のかけら、Catsにはブログを始める前の記憶のかけら、そして2004年から始めたあびだよりには現在一緒に暮らしている猫たちの様子をアップしてます。

以前使っていたブログツールがサービス終了したこともあり、MTに移行する以前に頂いたコメントが復活できなくなってしまいました。これまでコメント下さった方、申し訳ありません。ぺこり。

ゆっくりペースの更新ですが、たまに覗きに来て下さると管理人は喜びます。多分、猫たちも。

About Aby Family

3匹のアビシニアンファミリ

  • 2001年7月30日生まれ親父。2010年5月21日虹の橋。      
  • 2005年1月10日生まれ奥さん。
  • 2006年4月26日生まれ第3女子。


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