英国の最近のブログ記事


一枚の写真とか音楽のフレーズとかが普段は頭の奥にある記憶を一瞬にして呼び起こすことがあると思う。ほろ苦かったり悔しかったり馬鹿みたいに楽しんだ思い出だったり。ロンドンに来てからそういうかけらが幾つか増えた。

ロンドンには色々な人種の人が住んでいる。ヨーロッパ、中東、アフリカ、南米そしてアジア等、とにかくごった煮シチュー状態だ。色々な人種はいるけれども、やはり白人は白人、有色人種は有色人種、マイノリティーはマイノリティーで集まることがよくある。

アジアの中では日本人はもちろん多いがイギリスと同じコモンウェルスのシンガポール、マレーシアや香港からの留学生も多い。今まであまり知り合う機会のなかったそうした日本以外のアジア諸国からの留学生とロンドンで友達になった。外国語である英語で話しても同じアジアだからやはり理解しやすい事が多くて楽だ。


そうすると仕事、食べ物、生活様式、テレビドラマ、はたまた芸能界までよく日本の事を質問される。香港ではなにせ日本で放映されているテレビドラマがたった数日で海賊版テープとして流通するくらいだから役者の名前とかも詳しい。(名前等は漢字で書くとお互いすぐわかる)日本に興味をもってもらえるのはこちらも妙に嬉しいので、つい一生懸命説明してしまう。(その為同居人の友達の台湾人などは、九州が日本で一番いい場所だ、とすりこまれている。)

話していると彼らの国の事もわかるし、日本と比較できるから面白い。例えばシンガポール出身のご夫婦と話していたら、シンガポールで産休がとれる期間は2,3ヵ月だという事がわかった。あれ、確か日本は1年だったような気がする、とつぶやいたら、1年?それは長くていいわね、と奥さんがため息をついた。その後イギリスを調べたら確か半年位だったので、それと比べても日本の産休は長いのだという事に気づいた。こういう制度は日本はどうせ遅れているのだろうと思い込んでいたからちょっと意外だった。


日本のアジア諸国への戦争責任とかになると歴史的背景をあまりに知らないのでできるだけ変な事を口走らないようにしているのだが、台湾出身の友達は、日本軍のお陰で台湾の医療制度は確立したんだ、日本に感謝する事はたくさんある、と祖母から聞いたと言っていた。そういう側面もあるんだと興味深かったが、もっと色々な角度から現代の歴史を勉強しておくべきだと思った。(大体日本史の授業って第一次世界大戦あたりで終わってしまいませんか?)

これらの友達の中にはまだこれからしばらくはロンドンに暮らす者もいれば、既に帰国した者、ヨーロッパの他の国に移る者、色々だ。こちらもそのうちには帰国するだろうし、そうなると今度いつ会えるかはわからない。でもきっと次に会う時は日本でのような気がする。来てくれたら本当に嬉しいと思う。きっと馬鹿みたいに張り切って日本の事を好きになってもらおうと接待してしまうだろうけど、彼らに会えた縁に感謝して日本に来た時は存分に楽しんでほしいし、日本の事気に入ってもらいたいと心から思う。
食べ物編

各国に根づいた食べ物があります。日本だったら、納豆、味噌汁、すし、天ぷら、イタリアならパスタ、ピザ、ラザニア等々。ではイギリス人がイギリスっぽい、と思うものはなんでしょう。クリームティやローストビーフやヨークシャープティングの他にも下記のようなものがあります。


Marmite(マーマイト)
イギリス人家庭ならば大抵は常備してあるといっても過言ではありません。トーストに塗って食べますが、ジャムとは違って全く甘くはありません。色は真っ黒、味はかなり濃くて塩味系。といっても100%植物系でビタミンBを豊富に含むそうです。どうもイギリスでは日本人にとっての納豆のような存在らしいのですが、外国人で嫌いな人は多数います。


Ribena(ジュース)
スーパー、リカーショップ等で必ず置いてある飲み物。実際飲んだ事はなくとも、イギリス生活中一度は目にしたことのあるという程ポピュラーな飲み物です。


Chocolate(チョコレート)
イギリスではチョコレートはポピュラーなおやつというだけではなく、しばしの食事の代わりにしている人もいるようです。確かにチョコレートバーを一つ食べるとかなりのカロリーは摂取できそうですが。。Twixはチョコレートバータイプで、下にビスケット、上にキャラメルをチョコレートでコーティングしてあります。Penguinもビスケットとチョコレートの組み合わせです。


Crisps(クリスプス)
イギリスでチョコレートと勢力を2分するのがポテトチップス。しかし、お菓子というだけでなく、十分副食ともなっています。イギリスではいわゆるポテトチップスをクリスプス、フライドポテトの事をチップスとよびます。


Tea(紅茶)
イギリスといえば、紅茶。紅茶の種類も沢山あります。最も庶民的な紅茶の一つが写真のPG。パックがピラミッド型をしていてスペースがある分、よく蒸れておいしくなるのだそうです。その他には丸型、四角型のティーバックがあります。イギリスの紅茶はミルクをたっぷり入れて飲むのが主流。

観光地編

ロンドンに観光にきて目にするものは色々ありますが、以下はビックベンからトラファルガースクエアまでのスナップ集です。


Big Ben(ビックベン)
1859年に作られた時計台の高さは95m。南側に連なるゴシック建築の建物が国会議事堂。夜は美しくライトアップされます。


HorseGuards(ホースガーズ)
ホースガーズとは近衛騎兵連隊の司令部。写真は入口の両側に馬にのった衛兵の警備中の図。警備といっても身じろぎ一つしないで前方を直視しています。バッキンガム宮殿と同じく衛兵交代の儀式がここでも行われています。


Downing Street No.10(首相官邸)
ホースガーズから少し南下すると黒い鉄柵で閉ざされている道がDowningSt.でここの10番地が首相官邸です。(写真右手こげ茶の建物)


Trafalgar Square(トラファルガー広場)
クリスマスにはツリーが飾られ、年末にはカウントダウンが行われる広場。交通の要所でもあり、ほとんどの深夜バスはここから発着しています。

コインランドリー編

いまでも街のどこかには絶対あるもの、それがコインランドリーです。今でも洗濯機のない家庭が多いようで、平日の午前中などは結構おばさん達で混んでいます。大抵昼間は常駐の人がいるので時間のない人は洗濯物を預けておくと有料で洗っておいてくれます。


イギリスの洗濯機は日本のように上から出し入れするのではなく横から出し入れします。洗濯機の種類によっては洗い終わった後そのまま乾燥機としても使えるものもあります。このため洗い式の方が洗濯物はいたまず水量も少なくてすむそうです。しかし一番の難点は一度洗濯が始まると終わるまで洗濯物を追加できない事です。ここのランドリーは小さい洗濯機が一回2ポンド40ペンス、(約450円)大きい洗濯機が一回3ポンド(約600円)。


柔軟剤はありませんが洗剤はミニパッケージで売られています。


これまたひっそりとたたずんでいる強力脱水機。洗濯機の脱水は効き目が弱いのでこれがおいてあります。これを使うとかなり強烈に脱水されます。ここのは一回20ペンス。(約40円)


最後に乾燥機です。この乾燥機も強烈で「ポリエステル等はいれないように」と注意書きがしてあります。ここのは最低20ペンス(約40円)からで約5分。
1999年12月31日

午前10時世界で最初に年明けするトンガの島からのニュース映像を見る。浜辺で太鼓のリズムに合わせてのシンプルな踊りだ。この島からレポートしていたSKYニュースのレポーターはこの後世界でも最も遅い年明けのハワイに移動。といっても距離はたいしてないのだろうが、日付変更線をまたぐのでおそらく大変な時差だったのだろう。


これから後、毎時間世界各国の年明けの模様がテレビで流れた。ニュージーランド、オーストラリア、と次々に盛大な花火があがる。特にシドニーの花火は橋全体を使い一度に大きな打ち上げ花火があがり美しかった。それを見たアナウンサーは「今までのところシドニーが一番素晴らしい花火ですね」と、世界一の花火をあげると意気込むイギリス人らしく余裕のコメント。(写真:トラファルガースクエアのクリスマスツリー)

日本の年明けはイギリスの午後3時。予想通り、増上寺で鐘をつく場面がながれる。花火はなし、ただ多くの人の笑顔と鐘の音だけが響き渡り「仏教徒の年越しの仕方」と紹介される。なかなか荘厳な雰囲気が伝わってきて良かった。とりあえず買っておいた日本酒で一足先に日本時間で新年を祝った。

イギリスの年越しも近づいた夕方になると、テレビ各局、テムズ川、ミレニアムドーム、ロンドンアイ(国会議事堂近くの新しくできた巨大観覧車)からのレポートが相次ぐ。心配な天気は、小雨が降るかもしれないとの予報だが、そこまで寒くはならなさそうだ。

晩御飯に天ざるを食べた。蕎麦をすすりながら見るテレビには段々とロンドンの街、特にテムズ川沿いに人が集まりだしているのがわかる。これは早めに家を出たほうがよさそうだと思い、折りたたみ傘、コーラのペットボトル2本、地図、ウィスキーをいれたフラスコをリュックに詰めて小銭とお札だけをポケットにつっこみ午後9時過ぎにテムズ川に向けて出発した。

最寄駅のカムデンタウン駅周辺は結構人が多かった。ここは元々マーケットが近くにあるから古着目当てやレコード目当てのパンクっぽいにいちゃんから地図片手の観光客、ヨーロッパからきてるカップルなどが多くて週末は乗車規制が行われる駅なのだが、10月から始まった2台あるうちの1台のエスカレーター工事は進んでいるのだか頓挫してしまっているのか3ヶ月たっても閉鎖されたままだ。(←そのせいで目がまわりそうな階段をおりないといけない。いいかげんに直せ!)ホームにいくとすごい人だ。小さな子供連れの家族も多いし、パーティ帰りか顔中ラメを散らした人、HappyNewYearと書かれた山高帽をかぶる人、そして9割の乗客は片手に酒瓶、ポケットにビールをつめている。

最初に来た地下鉄はレスタースクエアを通るチャリングクロス経由だったが、これがとてつもなく満員で驚いた。朝でも見たことがないほど人が乗っている。しかし次に来たシティを通るバンク経由はまだ空いていた。ということは、SOHO付近に集まる人が多いということなのか?もしくはロンドンアイ目当てが多いのかもしれない。


案外時間をくってしまって、ロンドンブリッジ駅に着いたのが午後10時過ぎ。テムズ川沿いに花火があがるのでまずはロンドンブリッジという橋に向う。もちろんながらすごい人だ。橋のテムズ川を臨むサイドはすでに2重3重ばかりか6重,7重の人出で近寄れない。どうにか場所を確保しようと橋を渡ることにしたのだが、とにかく橋中人だらけで歩けば一分もかからない反対側につくまで、押し合いへし合い、酔っ払いの「F**KIN!」の声を聞きながら40分ちかくかかって一息ついた。既に午後11時近く。花火まで残り1時間ちょっと、しかし場所がない。(写真:ロンドンブリッジの人の洪水)

やっと反対側につくと、すでに警官が橋への進入を閉鎖していた。ということは、一度でてしまうと今までの苦労が水の泡だ。初詣の明治神宮を思い起こさせる橋での押し合いでかなりむっと機嫌が悪くなっていた私をなだめる為に同居人が一生懸命場所探しをしてくれた。ついに見つけた場所はロンドンブリッジの真下の一角でここなら雨が降っても大丈夫だし、先にはタワーブリッジがくっきり見える。人も1列目がぐるっとできていただけなので、すかさず2列目を占拠する。ここで覚悟を決めて12時まで待つことにした。

10分前にもなると我々の後ろにも人がびっしり詰まって動きがとれない。丁度前にいる家族がシャンパンをあけてそれぞれ持参のプラスティックカップに注ぎ分けている。おお、そうだ、うちもウィスキーがあるのだ、とこちらもフラスコを取り出してそれぞれに注いでいると、シャンパン片手の娘さんがこちらに気づいて「乾杯!」と笑顔を見せた。


花火はそれはとてつもない音で始まった。と同時に誰かが紙ふぶきを散らしてあちこちで歓声があがった。テムズ川にかかる橋9箇所で同時に同じ花火があがっているので、私がいたところからはロンドンブリッジとタワーブリッジの2箇所が同時に見れた。花火の美しさはもちろんだが、間近で聞くだけあって音はド迫力。相当の火薬量だったのだろう、しばらくすると花火の煙が大気を覆いだして、タワーブリッジが霞みだしてしまった。あっという間の15分間、待った甲斐は十分にあった年明けだった。

さて、外出している間はテレビでBBCを録画したままにしておいた。理由は2つあって、一つは99年最後のビックな宝くじの当選発表があったからだが、これはすっかりはずれてしまった。うーん、一攫千金は消えたかぁ。。もう一つは今回のロンドンの花火の目玉というのが、9つの橋をつないでリレーし、新幹線以上の速度で走る花火というものだったのだが、見えない場合を考えて録画しておいたのだ。ところが、帰宅してビデオで何度見なおしてみても、それらしき花火なんてあがってない。アナウンサーも「早すぎて確認できなかった」などどコメントしている。翌日になってニュースを見るとその目玉花火に関しては「物議をかもしている」という。つまりもしかすると本当にあったのかもしれないのだが、誰もそれを見ていないし、担当者も失敗とは認めていないようなのだ。しかしあれだけ宣伝していたのだから、誰も見れなかったという時点で十分失敗だと思うのだが。。


2000年1月1日

ロンドンは曇り空。街中静かなものだ。日本から送られた佃煮で一杯飲みながら、油ののったサーモンの刺身に舌鼓をうつ。クリスマスから何かにつけては食べつづけているので、食後はプリムローズヒルまで散歩することにした。プリムローズヒルはリージェントパークの北側に位置し、ロンドンの街がちょっと見下ろせるくらいの高台の丘だ。公園は冬だというのに相変わらず綺麗な緑色の芝生が広がっているが、あちこちに黄色の袋が置いてある。よくよく見ると公園の管理会社が掃除していて黄色の袋はそのゴミ袋だった。おそらく昨晩この丘から花火を眺めていた人が多かったのだろう。丘にあがるにつれ、そのゴミは相当なもので、空の酒瓶、クラッカーの残骸、空き缶、たばこの吸殻、食べ物の包み、いたるところに散らかっているのを管理の人達が一つ一つ拾って捨てていた。確かに昨晩花火を見てから駅までの帰路でも道はゴミだらけだった。2000年を祝うというのは誰でも楽しめるイベントだったし、それを肴にお酒を飲んだり大騒ぎするのはいいとしても、終わってみればゴミだらけ、というのはイギリスの最大の悪癖の一つだと思う。普段から街がゴミ箱みたいなロンドンだが、それを片付ける人が黙々と仕事をしていたのが印象的だった。
99年8月11日、北ヨーロッパから南アジアまで皆既日食が観察された。完全に月が太陽と重なって見える場所では光が遮断される為、温度が低くなり昼間でも闇につつまれる。これは18ヵ月おきに世界のどこかの地域では見られる現象ではあるが、時間が短いか人の住んでいない地域でおこる事が多い。しかし、今回の日食では3時間にも渡ってイギリス、ヨーロッパ大陸、インドという大都市にまたがって見えるとはめずらしい。前回イギリスで観察されたのが1920年代、ヨーロッパだと1961年の事だから実に38年ぶりの事だ。午前9時30分(GMTグリニッジ標準時)にノーバスコーシャの南300kmで太陽と月が重なり始め、それからイギリス南西部、ヨーロッパ、トルコ、イラン、パキスタンで観察され、午後0時36分(GMT)インドで幕を閉じた。
一番気になるのは天気であるが、イギリスで完全な日食が見える(100%)コーンウォール地方はあいにくの小雨混じりの曇り、ロンドン(95%)は午前10時頃まで晴れ渡ってたが、日食の時間はこれまたあいにくの曇り空となってしまった。

天気にも左右されません、と英国航空ではこの日の為にコンコルドでのツアーを企画。雲の上から確実に観察しようという訳である。ツアーに参加した客はまずシャンパンで乾杯したあと、飛行機の小さな窓から観察。しかし狭い機内で全員が窓にへばりついている姿は滑稽でもあった。

さて、下記に用いた映像は当日のスカイニュースの映像である。


午前11時9分のコーンウォール地方の映像。画像ではわからないが、だんだんと暗くなってきたところ。天気はあいにくの雨。このイベントを見る為に先週末からコーンウォールに向かう道路は渋滞が続いていた。右下にみえるのがその時の太陽の図。


地上からは雲が遮って見られないが、この画像は雲の上からとっているらしい。太陽のほとんどが月の影にかくれてきた。皆既日食がおこる午前11時11分(BST英国サマータイム)のほんの数分前。

そして午前11時11分、皆既日食になりコーンウォール地方は完全な闇につつまれた。真っ暗な映像の中で家庭のあちこちから写真のフラッシュだけがひかっていた






完全に重なった後、真上から光がこぼれたようになってまた段々とずれだした映像。時速2400kmで動いているのでとにかくあっという間の出来事。


そしてロンドンの映像。丁度曇り空だったのと95%の部分日食だった為、暗くはなったがただ単に雲があついかな、といった感じ。下の映像は丁度テレビの画面がロンドンの風景から太陽の映像にかわるところを撮った為、ちょっと面白い映像になった。左下に見える黒い影は外に集まっていた人達の影。


最後は同時刻近所を撮った写真。左手上の2つの突起は屋上にでて空を見ている人の影。いかにもイギリスらしい曇り空の天気だった。数分すると公園の方から人がぞろぞろ歩いてきたので、皆公園で観察していたのかもしれない。

ちなみに、日本で次に見る事のできる皆既日食は2009年7月22日である。


おしまい。
ロンドンは住むのになかなかお金がかかる街だ。ここ数年の好景気で不動産は値があがっているし、食料品もものによっては東京より高いし、映画のセルビデオは安くてもミュージックCDは高い。そんなロンドンで住む場所を探すのは頭の痛い問題だ。中心部に近い場所は概して家賃が高いし、離れると交通費が高くなる。イギリスでは持ち家率が高いのでイギリス人は若い頃からフラットを借りずに買う事も多いが、経済的にきついと部屋を他人に貸してシェアしたりするようだ。

では日本人留学生はどうしているかというと、大学の寮、ホームスティ、誰かとフラットシェア、もしくは個人で部屋を借りるという選択肢の中から決めているようだ。


大学寮の場合
大学の寮は場所も大学から近く大抵交通の便のいい所にあるが、台所やシャワーはシェアという場合が多い。しかも夫婦用の部屋となるとぐっと少ないようだ。空き部屋さえあれば、学生でなくとも借りられる事もある。長所は色々な国籍の学生と一緒に生活する事になるのでお国柄がわかって楽しい事とかかる費用が安くできる事。大学の寮に入りたい場合、本人が入学する大学に直接尋ねるのが一番。ただし、夏休みや冬休みには一般観光客や大学生でなくとも寮を使える場合があるのでこれも大学に直接確認してみるといい。


ホームスティ
ホームスティはとにかく当たりはずれが大きい。とても親切な家主に当たる場合もあれば、学生をスティさせるのに部屋に机がないという事もありえる。しかし一番の長所はイギリス人家庭の普通の生活が体験できる事。日本人の場合大学に紹介してもらうかエージェントを通すか口コミで探しているようだ。


フラットシェア
部屋は各自であって台所、浴室、光熱費はシェアするというフラットシェアも一般的だが相手との関係が一番重要で難しい問題になってくる。大学の掲示板にある張り紙かもしくは新聞、雑誌の募集欄で探す。いい物件は動きが早いのですぐに連絡をとって部屋を見せてもらう約束をする事。どういう広告がでているかというと、

①NW2, ②quiet large double room in spaciaous house,
share 2 professional females, cable TV,
③£300pcm excl, deposit, available now
①NW1、W5、SE2等は郵便番号で数字が大きくなるほど中心から離れる。この場合のアルファベットはそれぞれ北西、西、南東などの略で中心地からどちらの方角かがわかる。
②どういう部屋かの説明。この場合「広々した家の静かで大きなダブルルーム、家は他に2人のお勤めの女性とシェア、ケーブルテレビも見れます」。
③家賃はpcmとなっていれば月に幾らか、pwだと週に幾らか。exclとついていると光熱費は請求書がきた時点での別払い。inclだと光熱費も家賃に含まれる。大体部屋に入居が決まると一ヶ月分の敷金が必要。

情報が多い媒体の例

イヴニングスタンダード(夕刊紙)
TimeOut(週間雑誌)
Loot(情報誌)
ニュースダイジェスト(日系情報誌)
ジャパンセンターの掲示板(日系食料品、書籍店)


不動産をめぐる場合
個人で部屋を借りる場合丁度いい物件にあたるかどうかこれまた微妙なところだ。しかも水道、ガス、電気、電話の諸手続きを全て自分でしないといけないので面倒でもある。フラットシェアでもそうだが、住む街の雰囲気や買い物の便利さ、銀行、郵便局の近さ等も考慮しないといけない。まずは住みたい街を決めて、その駅近くの不動産屋をまわるのが早道。不動産屋では自分の予算(特に最高で週または月に幾らまでだせるのか)、探している部屋のタイプ(寝室が一つならワンベットルームなど)、最寄りの駅の希望等を伝える事。部屋のタイプは家具付きと家具無しがある。大家さんによってインベントリーチェック(入居前の部屋の保全状態チェック)が厳しいところもあれば、やかましくないところもある。身元保証や前の大家さんからの推薦状などが必要な場合もある。


日系の不動産屋の例
ジャパンレッティング/177 High St., Acton W3 9DJ(phone)0181-993-6100 (fax)0171-993-8100
KyoService/17 Lower Merton Rise, Adelaide Rd., NW3 3RA (phone)0171-722-2721(fax)0171-483-2146
ロンドンー東京プロパティーサービス/Hampstead Green Hill 122c Finchley Rd. London NW3 5HT (phone)0171-431-3550(fax)0171-431-1997


私の場合
さて、今私はフラットを借りて生活している。探した時期が丁度円安の時期だった事、イギリスの不動産の値段が上がる一方だった事、7月の移動のシーズンだった事が重なってここが見つかるまでは大変だった。渡英前に予算と大体の場所の目星をつけておいてこちらに来てから実際に自分で足を運んだ。最初見当をつけていた街ははずれだった。駅におりてからまわりをぐるぐる歩いてみたのだが、どうしても好きになれそうな雰囲気ではないのだ。街の雰囲気だけは行ってみないとわからないものだと思い早速却下。

今のフラットが見つかる前、ロンドン中心部に格安の物件で広さも十分の部屋を見つけたが、中を見学してみるとどうしても酔っ払った感覚におちいるのだ。あれれ、何かがおかしいぞ。ふと思いたってペンをとりだしてテーブルに置いてみるとからからと音をたてて床に落ちた。そう、床が傾いているのである。それでも安かったからなんとか自分を納得させられるかその後何度も試してみたが、最終的に窓枠がずれて隙間がある事を発見。ロンドンの冬は寒いので隙間があったら暖房も効かないし致命的だ。結局傾いた部屋は借りなかった。

その後、気を取りなおして予算的にはきついけど好きな街の不動産屋をいくつも訪ねた。この街ではここが最後と疲れはてて入った不動産屋で紹介されたのが今のフラットだ。大家さんは一階で設計事務所を持つ建築家で、彼が設計したこの部屋は天窓も多くて明るいし、床も傾いてないし(?)、窓もきちんと閉まるし、という事で即決!


台所横の窓は東南に面しているので昼間は非常に明るい。台所の必要なものもほとんど備え付けでガスレンジの代わりの電熱が4つとオーブンも元々ついている。住んでみるとデットスペースに収納ができるようになっていて、そこにスーツケースも収納できるしさすが建築家と感心することしばし。

イギリスはその家に電話がひいてあればあとはBT(英国のNTT)と契約して使えるようになるのだが、昔は電話番号もそのまま変わらなかったらしい。つまり3号部屋の電話番号が123-4567だったら、そこに誰が住んでいようと番号は変らなかったらしい。このフラットにも電話線はもともとひいてあって電話番号はこれ、と渡されたけれども引っ越等で請求書を踏み倒す人が多かったのか、最近のBTは新たに契約するのにうるさくなったようだ。(当たり前?)不動産屋の話しだとすぐに開通すると言っていたのに、結局新たに書類だしたりエンジニアに来てもらう約束したりで本開通まで一週間位はかかった。


鏡のまわりは暖炉をイメージしたような造りのようだが、もしかするとこの重さで床のバランスをとっているのだろうか?椅子、ダイニングテーブル、本棚、キャビネット等全てこの部屋に元々ついている家具。統一感がありそうでなさそうなのもまあしょうがないか。98年冬はガスボイラーがよく止まってくれて暖房は効かないしお湯が使えなかったりで非常に寒い思いをしたし、(大家さんいわく、上から下の住人の部屋全て同じボイラーを使っているのに、うちのボイラーだけがいつも駄々をこねるらしい。)その後はねずみとの戦いで悪夢の日々もあったけれども、このフラットと縁があったのは幸運だったと思っている。


Harry Potter (ハリーポッター)

アメリカの作家Nancy Stoufferは1984年に彼女が出版した作品が剽窃されたとして、世界的にベストセラーとなった「ハリーポッター」シリーズの原作者JKRowlingとアメリカでの出版元であるScholastic Incを訴えた。類似点は、Rowlingの作品の主人公の名前がHarry Potter、Stoufferの作品ではLarry Potter、Rowlingの作品の登場人物名がLily Potter、Stoufferの作品ではLilly Potter、またRowlingの作品中魔法使いが人間の事をMuggleと呼ぶことに対し、Stoufferの作品では孤児の面倒を見るlittel peopleをMuggleと呼ぶ、などの点である。また"Muggle"という言葉は自分で創り出したものだとしてStoufferは商標を有すると主張している。これにさかのぼり、Scholastic, JKRowlingとハリーポッターの映画版権を所有するTime Warnerは11月にニューヨークで、Stouffeの商標と著作権を侵害していないとする判決を求めて、提訴をおこし裁判外の和解交渉を続けていたが決裂に終わっている。(3/17/00)

British beef 2 (イギリス産牛肉2)

ドイツ上院議会は、英国産牛肉の禁輸措置を廃止すると決定した。英国産牛肉は、狂牛病などを人体に起こす恐れがあるとされ1996年から禁輸措置がとられていたが、今回の決定により4月初旬から店頭に並ぶことになる。EUでの取り決めにもかかわらず、フランスではいまだに禁輸措置がとられている。禁輸措置がとられる前のドイツでの英国産牛肉の消費量は、全体の2%以下にすぎず、今回の決定は経済的状況を鑑みたというより、EU法に反して罰金などが課されるのを避けた政治的決断という側面も否定できない。(3/17/00)

Closing Time(パブの閉店時間延長)

イギリスとウェールズのパブが来夏より24時間営業可能になる。現在パブの営業時間は午後11時まで決められているが、法律が変わるとそれぞれのパブは閉店時間を各店で決められ、24時間営業も可能となる。これにより酒類販売をしているスーパーマーケットでも24時間酒類を売ることができるようになる。スコットランドではスコットランド議会に判断がゆだねられている。(00/3/14)

Blairs expecting a baby(ブレア首相夫人ご懐妊)

首相夫人の座にある女性が妊娠するというのは150年以上もの間で初めてだ。46歳のブレア首相と45歳のチェリー夫人の間にはすでに15歳、14歳の息子と11歳の娘がいるが、数ヶ月前のBBCとのインタビューでブレア首相は、「元々子供は5人欲しかった。大家族は素晴らしいと思うから。」と答えていた。ブレア首相としてはクリスマス後までニュースをふせておきたかった意向だったがど、こかでリークされてしまったようだ。保守党党首のヘイグ氏も「非常におめでたいことだ。」と祝福を送った。第4子の誕生は来年5月の予定。(99/11/19)

Notting Hill Carnival(ノッティングヒルカーニバル)

99年8月29日(日)と休日である30日(月)の2日間に渡りヨーロッパでも最大規模のノッティングヒルカーニバルが開催された。両日とも好天に恵まれ、更に今年は映画「ノッティングヒルの恋人」のヒットもありBBCによると200万人以上の人出が予想されている。30日には色とりどりの派手な衣装を着て行進するパレードが行われた。このカーニバルは1964年、人種差別や偏見にさらされていたアフロカリビアンの一致団結を目的に始まり今年で35回目を迎えた。このイベントは今では若者が暴力にはしらないようにと「the Non-Violence Project」も推進している。(99/8/30)

Pets' passport(ペットのパスポート)

現在ペットの検疫期間は6ヵ月であるが、このイギリスの検疫システムが大幅に変更されることとなった。狂犬病に対するワクチンを接種後血液検査でそれが証明されれば、その情報を盛り込んだマイクロチップをペットの皮膚下に埋め込み、これがペットのパスポートとなるのである。これにより盲導犬などがイギリス、オーストラリア、ニュージーランド間を所有者と一緒にフライトできる可能性がでてきた。来年から西ヨーロッパまでを含む地域で試験期間を設け、2001年4月からの実施をめざしている。(99/8/3)

British beef(イギリス産牛肉)

狂牛病に感染した牛肉から人間へこの病気の変種が伝染する可能性が発表されてから、英国産の牛肉は禁輸措置をとられていた。それから3年経った99年8月1日、ようやくそのEU諸国に対する禁輸措置が解除される事になり、農場主はBBQをふるまいそれを祝った。しかし、EUでの取り決めだったにも関わらず、8月3日ドイツが少なくとも秋までは安全面の問題から禁輸措置を延長する事を発表した。これを受けてイギリス農業相は、信頼回復が難しい事を認めた上で、ドイツは取り決めを守るべきだと主張した。フランス農業相も英国産牛肉がすぐに消費者に広く受け入れられるとは思わない、と否定的な発言をした。骨付きの牛肉は安全面から英国国内でさえ未だに禁止されたままである。(99/8/3)

Boots(ブーツ日本上陸)

ブーツは1849年の創業以来150年の歳月を経て、現在は英国で売り上げ第一位の小売業に成長しているドラッグストアである。英国のブーツはハイストリート沿いならば必ずといっていいほど店舗を構えており、ブーツ・オリジナルの製品をはじめ、他社ブランドの医薬品、化粧品、およびその関連製品の開発・製造の他、サンドイッチ等の販売、写真の現像も行っている。そのブーツ日本第一号店が三菱商事との合弁により東京原宿にオープンした。英国にはない白地にブーツのロゴをあしらった紙バックが日本用に用意され、英国よりも高級イメージを押しだしている。不景気の日本への進出という事になるが、バブル期に比べ安価で良い場所を店舗用に確保できたと積極的である。第2号店が吉祥寺に第3号店が銀座に出店予定。(99/7/31)

London Gay Festival(ゲイフェスティバル)

7月3日土曜日、色とりどりのコスチュームで着飾った人々がゲイとレズビアンの平等と権利を求めてロンドン中心部をパレードした。前日の金曜日には、9週間前にくぎ爆弾で破壊されたゲイパブが改装し再オープンした。今回のパレードの途中でも、この爆弾で亡くなった人達への黙祷が捧げられた。パレードは首相官邸前も通り、参加者はより一層の権利を求めて声たからかに叫んだ。このフェスティバルは週末を通して行われ、ブロンディやボーイゾーンのコンサートも行われる為、約10万人の人出が予想される。(99/7/4)
 
Royal Wedding(皇室結婚式)

99年6月19日土曜日エリザベスⅡ世が週末を過ごすウィンザー城で、3男エドワード王子(35)と婚約者ソフィー・リースジョーンズさん(34)が結婚式を挙げた。ウィンザーで皇室の結婚式があったのは前世紀以来の事。非常にシンプルなドレスにエリザベス女王のコレクションの一つであるダイヤモンドのティアラ、真珠と黒真珠で十字架にかたどられたネックレスはエドワード王子のデザインでソフィーさんへのプレゼントだという。誓いの言葉の中でソフィーさんが、ダイアナ妃は拒否した「obey」という単語を使うという事で話題になった。インタビューでソフィーさんは「私は今後夫婦として2人で決定をしなくてはならない場面がきたら、エドワード王子の意思を尊重するし信頼している。そういう意味でobeyという言葉を使う事に決めた。」と語った。エドワード王子は海軍を辞めた後、皇室関連のテレビ制作に携わっており、ソフィーさんもPR会社を経営していることから、今後もそれぞれの仕事を続けていくという。(99/6/20)
 
Nail Bomb(爆弾事件)

99年4月17日土曜日ロンドン南部ブリクストンでくぎ爆弾(くぎが爆発時に飛び散り殺傷するもの)が爆発した。週末の、しかもロンドン中心部に近い場所でのこの事件では39人が負傷し、その後の新聞紙の一面には、くぎが頭蓋骨にささって残ったままの少年のレントゲン写真が掲載された。そして翌週4月24日土曜日の夕方今度はロンドン東部ブリックレーンで同種のくぎ爆弾が爆発し、6人が負傷した。極右グループでネオナチとも関係があるとみられるCombat18や、White Wolvesが犯行声明をだしているが確認されてはいない。17日の事件の舞台となったブリクストンは多数の黒人が住居を構えている地域であり、24日のブリックレーンはバングラデェッシュのコミュニティーである事から、人種差別を唱える者の犯行という可能性も残されている。そして3週目の30日金曜日午後6時30分頃、中心部の繁華街ソーホーのパブで3度目のくぎ爆弾が爆発し、ついに死者2人、重傷者を含む80人近くの負傷者がでた。爆弾が仕掛けられたパブは、界隈にいくつかあるゲイ用のパブの1つだった為、今回の爆弾は民族的な狙いというよりは、ゲイコミュニティー自体がターゲットとなったようである。(99/4/30)
 
 
Kosovo Crisis(コソボ危機)

99年3月下旬ついにNATO軍によるユーゴスラビアに対する空爆が開始された。この問題が起こっているのは、ユーゴスラビアのコソボ自治州をめぐってであるが、この問題の根元を知るには、歴史を溯る必要がある。

コソボ自治州は9割を占める多数派のイスラム教徒アルバニア人と、少数派のキリスト教徒セルビア人によって構成されており、それぞれがコソボの真の居住者だと主張している。その鍵となる事件は1389年コソボまで広がっていたセルビア王国とオスマントルコ軍との戦いに溯る。

歴史家の一致した見方では、この戦いではアルバニア人、ボスニア人はセルビア人と共に戦った。しかし1459年までにはコソボを含め全てのセルビア王国はトルコの支配下となり、徐々にセルビア人はボスニア等に向かって北上をはじめ、人口比率のバランスは段々とアルバニア人多数派にかたむき始める。

1878年よりセルビアは完全な独立国家と認められるが、コソボはまだトルコの支配下にあった。1912年セルビアと他のバルカン独立国家はトルコの支配を排除すべく動き出した。この時コソボのセルビア人はセルビア軍の到着を喜んで受け入れたが、アルバニア人にとっては大量殺戮と弾圧でしかなかった。しかし1915年セルビア軍を退却させる事でアルバニア人はその報復を行う。

オスマントルコ衰退後ヨーロッパ列強諸国による領土争奪戦は続き、1941年コソボの殆どはイタリア支配のアルバニア大国に組み込まれるが、その他の地方はドイツとブルガリアに支配され、それまでにコソボの人口比率を覆そうと送り込まれた多くのセルビア人はその地を去る。

1945年チトー大統領のもと、複数の共和国から構成される「ユーゴースラビア社会主義連邦人民共和国」(旧ユーゴ)が設立された。共和国とは、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、マケドニア、スロベニアの各共和国である。そしてコソボはアルバニアからセルビアの領地へと組み込まれた。

1974年に旧ユーゴ6つの共和国とほとんど同じだけの自治がコソボに認められたが、1980年代になって自治権の拡大を求めるアルバニア人のデモなどが繰り返され、セルビアでは反アルバニア人感情が強まった。

旧ユーゴでは、1980年にチトーが死去した後も、集団指導体制で連邦を維持したが、1990年にソ連が崩壊しそれまでの共産主義という、ばらばらだった民族主義を超えて一つにまとめる役割をしていた目標が崩れてしまうと、旧ユーゴ自体も国家存続の危機に直面した。1991年クロアチアが独立を宣言、同じ6月、スロベニアも独立を宣言、同年9月には、マケドニア共和国が独立を宣言するに至る。1992年3月、ボスニア・ヘルツェゴビナも独立を図るが、ここでは領内のセルビア人が自分らの居住区を自治区にしようとセルビア軍の軍事介入等も加わり、後3年間の紛争へと続く。

ミロソビッチはセルビアの大統領となってすぐ後の1989年、コソボの自治権を剥奪する。アルバニア人の不満は一気に高まるが、彼らは非暴力による独立を目指すことになる。1992年セルビア共和国とモンテネグロ共和国が「ユーゴースラビア連邦共和国」を設立した(新ユーゴ)。ボスニア・ヘルツェゴビナの戦争は1995年に停戦し、領土内にセルビア人自治区である「セルビア人共和国」と、セルビア人以外のボスニアの人々(クロアチア人とイスラム教徒)の地域である「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の2つが、国家内国家として作られる、という結果となった。

コソボの非暴力による独立運動は国際社会から容認されないままである事に対して、過去数年間その平和主義によってではなく、ボスニアのように力で認知させるべきと武装ゲリラ「コソボ解放軍」(the Kosovo Liberation Army)が台頭し始める。セルビア側は、民族浄化と称して、コソボのイスラム教徒を殺戮したり、村を襲撃し家を焼き、抵抗する人々を殺した。結局、ボスニア戦争の敵味方が、戦いの場をコソボに移して戦争を続ける、という展開となった。

ここで再び紛争が起きれば、ヨーロッパ諸国に飛び火するともわからない。その為、欧米の軍事同盟であるNATOは、セルビアに圧力をかけ、コソボから撤退するよう迫り始めた。和平案を頑なに拒むミロソビッチに対し、セルビア側の軍事拠点を空爆する、というNATOからの警告は現実のものとなり、何十万という難民が命からがら国境を越えてはいるが、その受け入れ先はヨーロッパの中でも最貧国の幾つかの国であり、国際社会からの救援が必要な状況である。(99/4/4)

Stephan Lawrence2(スティーブンローレンス2)


スティーブンローレンスケースの調査結果が発表された。それによればロンドン警察を「組織的人種差別主義」で「根本的な間違え」を行ったと非難している。内務大臣Jack Strawは長らく待たれていたこの調査結果が出た事を歓迎し、法改革等を行う事を約束した。報告書では警察を「的確で専門的なサービスを人々に提供する為の組織が、肌の色、文化、民族の違いの為に、それを遂行できなかった集団的失敗」と位置づけている。これに対しロンドン警視庁長官Sir Paul Condonは、今後警察にアットランダムな人種差別に対するテスト、殺人事件調査に対するすばやい対応、警察を改革する為のプログラム等を取り入れる事を約束したが、自身の辞任に関しては再度否定した。報告を受けブレア首相は「この報告書の発表は、イギリスの歴史に新たな一歩を刻むだろう。」と延べ、「新たな法律が導入されるだろうが、それ以上に、人種問題に対して新たな時代を迎えるだろう。」と加えた。(99/3/7)
 
GM Foods(遺伝子組み替え食品)

Genetically Modified Foodsの略で「遺伝子組換え食品」の事。「安全性が保証されていない」というレポートもあるそうだが、イギリス政府は導入に非常に積極的である。しかし反対意見も根強く、その為、これに反対する運動の一環として、先日首相官邸前にGMの大豆が何袋もばらまかれるという事件も起こった。GM食品は安全です、とブレア首相が自分の子供達と一緒にGMを含む食事をしてアピールしていたが、日本でO157がはやった時に貝割れを率先して食べていた日本の閣僚を思い起こさせる。ポールマッカートニーの亡き妻リンダさんは有名なベジタリアンで、リンダ印のベジタリアン食品を発売しているが、ここにもGM大豆が使用されていた事が最近発覚し、「今後はGM食品は一切使わない」という声明をポールマッカートニーが発表したりと、消費者の注目度は高い。(99/2/26)

Stephan Lawrence  (スティーブンローレンス)

黒人の青年がバス停で人種差別の白人グループ6人に暴行を加えられ死亡した6年前の事件。事件後の数週間、警察が適切な捜査を怠った為、6人は証拠不十分で釈放されたままである。そんな事体に亡くなった青年の両親が人種差別を訴えつづけ、政府も警察の内部調査を行う等、世論の注目をあびる事件となった。最近警察署長が非があった事を認めて謝罪したが、辞任の意思はないとも表明した。黒人だからという理由で数十回も検問にあっている人、アジア人だからというだけで白人から差別を受けても報復が恐ろしくて事件にしないケース等、数あるそうで、今回のローレンスケースはそんな氷山の一角のようだ。イギリスに根強く残っている人種差別は今後どうなるか注目される。(99/2/26)

NHS(National Health Service) (ナショナルヘルスサービス)

NHSは国民医療制度の事で、イギリス国民は基本的に無料で医療サービスが受けられるが、深刻な財政不足からベッド数が足りない等の問題も多く、改善を要求されている。問題の一つは看護婦の数不足で、それを解消する足がかりとして公務員の新給与体制では、看護婦の初任給が12%大幅に引き上げられ、資格取得直後の看護婦の年俸は14,400ポンド(@200で約288万円)となった。これは過去10年間で実質最高の引き上げとなる。最近ではテレビで看護婦になるように呼びかけるCMが放映されている。(99/2/26)
 
Single currency(統一通貨)

1999年新通貨ユーロが登場した。通貨統合の参加国では2002年からユーロ通貨、紙幣の流通が始まる。既に参加国では既存の通貨とユーロとの交換比率も固定されており、今後数年間が移行期間となるが、現在のところイギリスはこの通貨統合には参加を表明していない。イギリスポンドへの愛着が強いのか、ただの様子見なのか、相対的に通貨統合には反対の国民が多いようで、経済界にも反対論が根強く残っている。そんな中、ブレア首相がユーロ参加に向けて積極的な声明をだしたが、参加する為には国民投票で結果がでなければならず、まだまだ政府の期待通りに進かは混沌としている状況だ。(99/2/26)

あびだよりについて

このブログには過去の思い出から現在の猫たちとの生活までが保存されています。London Storyは1998年から2000年までの在英時代の記憶のかけら、Catsにはブログを始める前の記憶のかけら、そして2004年から始めたあびだよりには現在一緒に暮らしている猫たちの様子をアップしてます。

以前使っていたブログツールがサービス終了したこともあり、MTに移行する以前に頂いたコメントが復活できなくなってしまいました。これまでコメント下さった方、申し訳ありません。ぺこり。

ゆっくりペースの更新ですが、たまに覗きに来て下さると管理人は喜びます。多分、猫たちも。

About Aby Family

3匹のアビシニアンファミリ

  • 2001年7月30日生まれ親父。2010年5月21日虹の橋。      
  • 2005年1月10日生まれ奥さん。
  • 2006年4月26日生まれ第3女子。


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