ポルトガル&スペインの最近のブログ記事

本帰国が段々迫ってきたので残りの日々を後悔ないように使いたい。今回はその第一段ともいうべき旅行だ。今年のイースターは4月の終わり、イギリスはバンクホリディが重なるので長期休暇がとりやすい時期だ。そのかわり早くから予約しておかないと旅もままならない時期でもある。ポルトガルはよかったいいと言う人が多いのでずーと気になっていた国。そのお隣のスペインは、最近スペイン語に興味があることと、スペイン料理も大好きなので、今回の2カ国周遊の旅を計画した。



この旅の為というか、興味が先だったのか、実はここ数ヶ月スペイン語を習ってみた。なにせ言葉が全く通じないのは心配だし、ちょっとでも話せれば現地でもっと楽しくなるとは思うのだが、クラスではほとんど落ちこぼれ状態なので、一体どのくらい実用できるのか心配だ。スペイン語の母音の発音は日本語のアイウエオと全く一緒なので、ローマ字読みさえすれば大体読むことはできる。しかしだからといってリスニングとなると全く別の問題なのだ。英語のように抑揚がないスペイン語は、話しているネイティブにとってはそんな事ないのかもしれないが、非常に早口に聞こえる。さて一体どうなることか。ドキドキ。。
前日は一日忙しかった。しばらく留守にするのでその前にやっておかないといけない連絡やら、先の手配、洗濯、掃除などで丸一日かかってしまった。まあ、とにかく準備が整い、荷物を整理して翌朝の空港までの交通手段を考えた。往路はヒースローからの出発なので、初めてパディントン駅から直通15分というヒースローエクスプレスを試すことにして、一応駅とバス停で時間を調べてみると、パディントン駅までの移動が問題だと気づいた。出発日が丁度イギリスの祭日にあたるので、地下鉄は始発が遅いし、バスも一本逃したら危ない、ということで急遽一番近いキャブ屋に出向き翌朝6時50分に予約した。はたしてきちんとくるのだろうか、といぶかしく思いながら。

ところが、出発当日本当に時間どおりにベルがけたたましく鳴った。あわてて荷物をもって戸締りを確認して、台所の排水パイプが詰まってしまったので大家さんに手紙を書いて残し、思ったより寒くはなかったがジャケットを着てタクシーに乗り込んだ。早朝だし休日だし道路はがらがら、思ったより早くパディントン駅に到着。駅にはぼちぼち大きな旅行かばんを持っている人がいる。さてまずはヒースローエクスプレスのチケットを買おうと窓口にいくと、どこの航空会社を使うのかと聞かれ、BAだと答えたらなんと、「後ろのBAカウンターでチェックインすれば、ヒースローまでの通常12ポンドの片道チケットは無料になる」と言うではないか!ほほほー、ラッキー。さっそく駅のカウンターでチェックインして荷物も預けてすっきりして電車に乗り込む。こういうサービスがあるなら最初から教えておいてくれればいいのに。これが、イースター期間中の特別のサービスだったのか、年中行っているサービスなのかはわからないが、まあでも今回はラッキーだったからいいとする。

このヒースローエクスプレスは非常に快適だった。比較的新しい交通手段なので車両は綺麗だし、直通15分で到着するので便利この上ない。そのかわり値段がちと高いが、ガトウィック空港からビクトリア駅までの30分も10ポンド20ペンスかかることを思えば価値は十分あるだろう。しかもヒースローのカウンターでのチェックインの列に並ばずに済んだのでこれまた楽チン。空港のレストランでイングリッシュブレックファストを食べて、予定より5分遅れでBA機はマドリッドへ飛び立った。

マドリッドに到着すると結構蒸し暑い。この日はすぐにリスボンまで乗り継ぎなので、コネクションの表示にしたがって進んだのだが、パスポートコントロールが目の前に出てきた。あれれ?コネクションだけなら入国手続きなしではないのか?間違えると大変なので来た道を戻るが、他には道がない。通路にもほとんど人がいないのだが、一人空港関係者っぽい男性が煙草をふかしていたので、聞いてみることにした。「英語話しますか?」と英語で聞くと、「いいえ、話しません。」とスペイン語で答えられてしまった。さっそくの難関に一瞬ひるんだのだが、他に方法がないのと、今後もぶちあたる問題でもあったので、超つたないスペイン語で「私達はリスボン行きの飛行機に乗りたい。パスポートコントロールは通らないといけないのか?」と聞いてみた。スペイン語を一緒にスペイン語を習っているクラスメートや、我慢強い先生以外の赤の他人に対して、思いもかけずに話しかけないといけない状況だったので、こちらは相当必死の形相をしていたのだろう、その男性は大丈夫、君はちゃんとスペイン語を話しているよ、といった慈愛に満ちた顔で私を見てくれた。パスポートコントロールは通らないといけない、その先はインフォメーションで聞けばわかるから、という内容のことを答えてくれたのだと思う。とにかく御礼を言って、その頃には長蛇の列になっていたパスポートコントロールの最後尾に並ぶ。ああ、やれやれ。先が思いやられる。

結局一度入国手続きをして到着ロビーにでて、それから再び出国ロビーに向かって通常のチェックインをした。つまり手続き上では入国手続きをしたので、スペインに滞在しているようになっているわけだ。さっきの一件でかなり動揺していたし、とりあえずスペインの土地にはついたのでビールを飲もうとお店に入った。ビールが一杯150円くらいの安さ、しかもイギリスと違って冷えているビール、これはおいしかった。リスボン行きの飛行機は1時間ほどのフライトなのだが、おつまみのハム類がおいしくてびっくりした。


リスボンの空港でロビーに出る前にたまたま今日泊まる街まで直通のバスがでているのを知った。1時間に一本だが、電車だと駅まで移動しないといけないので手間を考えれば楽だ。しかし問題は荷物がすぐにでてくるかだった。次のバスは午後4時だが、10分前でも荷物がでてこない。ああ、やっぱり駄目か、と思った瞬間なじみの荷物が見えてきて、それを取るなり走り出す。これまたラッキーにもバスが遅れてくれたので、無事エストリル行きのバスに飛び乗ることができた。はあ、はあ、と息を整えるうちに約30分で街に到着。チェックインすると丁度たくさんのドイツ人ツアー客がロビーにあふれていた。ホテルの部屋は海沿いで、ホテルには室内、屋外プールもあるのだが、こちらはちょっとしょぼい。(写真左:なかなかモダンなポルトガルの郵便局。右:ホテルの部屋。下:昼間のカジノ外観。)


散歩がてらエストリルの街を散策する。ここはカジノが有名なのだが、街自体は大きくないし、丁度イースターの時期だからか開いている店やレストランも少ない。街全体がとても静かな印象だ。結局これといったレストランも見つからずホテルで夕食をとることにした。ツアー客で満杯のレストランはボーイさんが3人しかいなくてなかなか番がまわってこない。しかもメニューもセットの中から選択するしかなくてチョイスは少ない初めてのポルトガル料理だった。

夕食後カジノでさっそくルーレットで運試し。一時はあたりまくってどんぴしゃもあったりしたが、台についているメンバーが交代するとさっぱりになってしまい、結局2500円ほどの負け。色々あった一日でした。

ポルトガルでの同居人の夢は、日本列島、グレートブリテン島に続き、ユーラシア大陸最西端を制覇すること。リスボンから西のロカ岬がそれである。この日は晴れ時々曇りの天候だったが、思いの他寒い。ホテルで朝食を食べた後、宿泊したエストリルから電車で5分のカスカイスという街に移動。ロカ岬にはここからバスがでている。観光案内所で地図をもらいバスの時刻を調べ、それまで街を散策する。エストリルに比べるとカスカイスという街は大きいし、たくさんレストランやお店もあり、いかにも歩いて散策するには向いている街だ。海沿いなので風がかなり強くて、持参した洋服では寒くてしょうがないという同居人がスポーツ用品店でウインドブレーカーを購入。せっかくアーセナルのまっ黄色のブレーカー(フットボール観戦記を参照)があったのに、どうして持ってこなかったんだ。後悔、後悔。(写真:カスカイスの路地)


午前10時35分のバスにのる。観光客が10人前後、あとは現地の人が買い物袋をさげている。ロカ岬には午前11時頃到着。ここもやはり風が相当強い。太陽がでたり隠れたりの天気で結構寒い。岬にはレストラン兼土産ものやが一軒あるだけで、大型観光バスがあるわけでもなく静かなものだ。旅行2日目にしていきなり夢がかなえられた同居人はすこぶる御機嫌がよろしい。写真をとったりしてから寒い体をコーヒーで温める。ヨーロッパ大陸のコーヒーはカプチーノ系の小さいものが多いが、ポルトガルのコーヒーはその中でも特においしいと思った。土産物にはポートワインがたくさん並んでいた。(写真:ロカ岬の碑)

帰りのバスは12時30分なのでそれまで私は寒さをしのぐべく室内に逃げていたが、嬉しさ満杯の同居人は一人で灯台まで散歩に行ってしまった。午後1時すぎにカスカイスの街に到着。午前中のうちに目をつけておいたレストランに向かう途中、ふと見かけた洋服屋さんにはいかにも海沿いリゾートに似合いそうな洋服が多くて、御機嫌の良い同居人に勧められて麻のロングスカートを購入して、こちらもすこぶる上機嫌状態になる。


左:カスカイスののどかな浜辺 右:いかにも海岸沿い、貝の土産物が多い 

左:ロカ岬 右:ロカ岬から下の海を見る図(←結構怖い)


ガイドブックにのっていたレストランは仔豚の丸焼きが有名というので、同居人はそれを、私はアサリのにんにく風味酒蒸しを注文する。待っている間地元の人が丸焼きだけをテイクアウトしていた。やっぱりここのはおいしいのかしらね、と話しているうちにでてきたこの仔豚は、思いのほか柔らかくて塩味のきいたグレービーソースとつけて食べるとうまうま!全く満足満足。

そうこうしていたらお店のオーナーの初老の男性が「日本人か?」とポルトガル語っぽい英語で尋ねてきたので、そうだと答えると、これこれ、ここにのっているんだ、と私達がもってきたガイドと同じものをとりだしてきた。そうそう、これでしょ、とこちらも同じガイドブックをだすと大笑いしてくれた。このオーナーはとても親切で、食後の甘いリキュールをサービスしてくれた上に、仔豚を焼く釜の中も見せてくれた。釜の上部はまあるくて木材を燃やして使用するのだそうだ。(写真の仔豚はちょっとグロテスクだけど。)本当に見ず知らずの観光客に親切にしてくれたオーナーに感謝、感謝。


気分良く店をでて散歩がてら地獄の口と呼ばれる海沿いの名所(写真左)をめざして歩く。その途中動物園もある市民公園でおトイレを探したりして道草をくった。地獄の口は自然にできた洞穴で、この日はたくさんの人出で観光客も多かった。ここに着く頃には歩き疲れてへとへとになってしまい、一旦タクシーでホテルに戻る。

ホテルでお風呂につかってさっぱりしてから、夕食はまたしてもカスカイスの街に向かう。レストランに向かう途中から、どこかでポルトガル名物の鰯を焼いているにおいがしてきた。うーん、これまた食欲をそそる香り。その晩入ったレストランでは魚介類のリゾットを堪能した。小さいレストランだったが観光客2割、地元8割でかなりにぎわっていた。中年のボーイさんも素朴だけどきびきびと動いていて、あちこちのテーブルにお料理を運んでいた。どのお魚料理もおいしそうだった。

エストリルに戻り2度目のカジノ。再びルーレットにかけるが、昨夜ほど運はなくて負けがこんできて、結局2万円ほど負けた。うーーーん、くやしいなあ。でもこれ以上やっても被害が大きくなるだけのようだったので、これできりあげる。ホテルに戻って熟睡。
この日は晴れ。今日はリスボンへの移動なのだが、昨日のカスカイスでの食事や、広過ぎず寂しすぎない街を思い出すとちょっと後ろ髪引かれる思いがする。朝食後チェックアウトしてリスボン行きの電車を待つべく駅に向かった。電車から見える家並みは、屋根に瓦が使用されているからか、どことなく日本の海岸部の街を思い起こさせる。30分ほどでリスボンに到着。タクシーでホテルに向かうがタクシー代はかなり安くて300円ほど。途中かなりの坂道が続いて、長崎の街と似ている印象を受ける。ホテルにはお昼前に到着してしまい、まだ部屋の用意ができていなかったので、荷物だけ預かってもらって時間をつぶしにカフェにはいる。


外国にくるといつも飲んでいるし簡単だからとついブラックコーヒーを注文してしまうのだが、お隣のおじいちゃんが新聞を読みながら飲んでいたコップにはいった暖かいコーヒー牛乳がおいしそうだったので、ウェイターさんに「あれと同じものがほしい」と言ったら「ああ、コヒーインミルクね。」と言われた。なあんだ、結構そのまま直訳すればよかったんだ(英語なら、の話しだが)。同居人はブラックコーヒーのビカを注文。(写真:カスカイスの広場のカフェ)


歌麿などの浮世絵があるというグルベキアン美術館に向かうが、あいにく改装中で閉まっていた。すぐ裏に近代美術センターがあるのだがこちらもお休み。しかしこの一帯は小さな公園風になっていて、緑が濃い木々の中に池があったりで、散歩するには丁度よかった。リスボンの空港は市内から近いので、空を飛ぶ飛行機はかなり大きく見えた。(写真:美術館の庭)

その後地下鉄でホテルに向かう。初めてのリスボンの地下鉄だが、駅によってはホームが薄暗く、しかも長ーいホームの割には車両が2両編成なので待っていた場所から電車までが遠くなってしまって、乗車するのに走らないといけなかった。ロンドンや東京と違って車両内には広告らしい広告はほとんどなかった。

一旦ホテルに戻って貴重品をセイフティボックスにいれたりちょっと休憩。TVニュースで、この日F1イギリスグランプリが行われたのだが、数日間の豪雨で駐車場の地面はぐちょぐちょで、スタックする車や仕方なくたくさんの荷物をかかえて歩く人達が映しだされて、早朝から大混乱だったようだ。実はこのグランプリも本場で見たがっていた同居人は行かなくてよかった、とちょっと嬉しそうにほっとした表情だった。(←他人の不幸を喜ぶ嫌な奴。)

再び地下鉄で中心部に向かい、ガイドブックでお勧めのポルトガル料理のレストランにはいって昼食をとる。創業70数年のシーフードが有名なレストランで、メニューはポルトガル語しかないのだが、ウェイターさんがきちんと英語で一つ一つ説明してくれて丁寧な対応だった。同居人によると、ワインリストには種類がたくさんあったそうでどれもそんなに値段が高くなかったそうだ。お勧めのワインの一つダンワイン(同じ名前だと作家の壇一雄が愛したワインだそうだ)を頼んだのだが、これが美味。ポルトガルワインには、赤ワインはリッチで深い色合い、しかも安いという素晴らしいものがたくさんあることを実感。調子にのって食後酒、デザートにコーヒーも頂いて2人で4500円ほど。これはお徳だ。


お昼でお腹一杯、しかも少々酔っ払いながら市電にのって市西部の発見のモニュメント(写真左)、世界文化遺産のひとつのベレンの塔(写真右)を見に行く。この日は本当に良いお天気で、しかも昼間からワイン一本開けているので、歩いているとすぐに疲れる。しかし青い空にテージョ川をわたる風は気持ち良かった。家族連れやカップル、観光客などかなりの人出だった。

しばらくすると疲れが勝ってしまって、市電で帰路に着くことにしたのだが、この市電が超満員。しかも途中で故障で停まってしまってなかなか動き出さない。そのうちいらだった乗客の一人が非常用のボタンを押して降車してしまい数人がそれに続く。途中運転手がドアを閉じにきたが、運転手がいなくなるとまた誰かが開けるの繰り返しで、こちらも我慢できずに降車してタクシーでホテルに戻る。ホテルの部屋に着くとまっさきにベットへ直行、結局そのまま晩まで寝てしまった。夜になって起きたのだが、もう着替えて外出する気にもなれず、そのまま体力回復に努める。同居人もテレビを見たり本を読んだり、途中でカフェで味付けパンを買ってきて夕食替わりに食べて、たった一夜のリスボンの夜はふけてしまった。
リスボンで泊まったホテルが空港に近い市北部で、ホテルの目の前が広場でタクシーが常時いるのは便利だった。午前5時にモーニングコールで起床。チェックアウトしてタクシーに乗ったのが50分頃、午前6時には空港に到着してしまった。タクシー代も500円ほど。あっという間だ。

搭乗手続きを済ませてからコーヒーとフランスパンのサンドイッチで朝食。結局昨晩は寝つづけてしまったので、名物の鰯が食べられなかったのが心残り。空港に朝っぱらから鰯を焼く屋台があるわけもなく、これは次回の夢となってしまった。時間まで残ったお金を使うべくお店をぶらぶらすることにし、同居人は昨日のダンワインが非常に気に入ったというので一本お買い上げ。午前7時45分出発の飛行機でマドリッドに向かう。おそらく2国間に協定があるのか、出国する時も、マドリッドに到着してもさっぱり入管手続きがない。パスポートにポルトガル入国のスタンプは一度も押印されることがなかった。


一時間時差がある為、現地時間の午前9時50分頃マドリッドに到着。ポルトガルではたった3日の滞在だったし、言葉も知らないから挨拶ぐらいを覚えて後は英語で済んだのだが、さてスペインではどうなることやらと、飛行機の中からあわててスペイン語会話集に目を通す。今日は電車でスペイン南部のコスタデルソル(太陽海岸)の街マラガに宿泊するので、駅の切符売り場は混雑しているというガイドブックに従って、空港にあるレンフェ(スペイン国鉄)切符売り場で切符を予約することにする。レンフェ売り場は到着出口すぐ横にあって、確かに誰もお客さんがいなかった。事前にインターネットで時刻を調べてあったので、「12時15分マドリッド発マラガ行きの一等片道切符を2枚下さい。」と、10分前から頭の中で繰り返してきた文章を売り場のお兄さんに一語一語はっきり言う。この旅行の前にクラスメートのイギリス人に「スペイン人はスペイン語を話す外国人には一生懸命耳を傾けてくれるから。特に東洋人がスペイン語を話すとなったら絶対だよ!」と言われていたのだが、これは本当だった。まあこちらが必死の顔をしているのも理由の一つだろうが、これから先、どのスペイン人もこちらのむちゃくちゃの言葉を真剣に聞いてくれた。(写真:マラガまでの特急電車Talgo)


空港からアトーチャ駅まではタクシーで向かう。高速は結構混んでいて反対車線は渋滞していた。電車の時間までは一時間ほど余裕があるし、切符も無事購入できたのでそれまではお茶でも、と駅にはいってびっくりした。そこは巨大な温室さながらで、中にはどでかい熱帯植物がところせましと並んでいるではないか。そのスケール、緑の濃さ、駅と温室が一体となったシャレた格好良さに度肝を抜かれてしまった。(写真:これ本当に駅です。)


4時間15分の電車の旅だからどうせなら一等車両にしよう、と言った同居人は正しかった。一列三席のシートは広々として快適で、しかも飛行機と同じような食前の飲み物から食事、食後酒に加え、新聞サービスに映画の上映までがついていた。食事(写真)は思いのほかおいしく、丁度お昼を食べていなかったこともあってぺろりと平らげてしまった。同居人も覚えたスペイン語で赤ワインを頼んでコミュニケート成功。日本だったら駅弁を買ってしまうから知らなかったが、新幹線でもこういった食事を用意してくれるのだそうだ。映画はインディージョーンズもどきのコメディーアクションものが流れていたが、字幕なしのスペイン語吹替オンリーだったので、リスニングの授業のつもりで聞いてみたり、無駄な努力と知りながら単語調をめくってみたりした。

大体時間どおりの午後4時30分にマラガ駅到着。気温21度。はっきり言って今までの中で一番暑い。マラガの街は思っていたより大きくて大都会だった。広い通りに車がたくさん走っているし、目抜き通りには休日を楽しむ人々がウィンドーショッピングを楽しんでいる。ホテルはその目抜き通りのすぐ近くで、場所も知らずに適当に選んだわりには大当たりだった。チェックインの第一声はスペイン語で話してみたが、フロントマンがこちらの予想していない質問をしてくるとさっぱりわからなくなってしまい、途中から英語に切り替えてもらってようやく通じた。うう、やはり道は険しい。


とりあえず荷物をおいてから来た道を引き返すように観光案内所を目指して駅の方面に歩く。観光案内所は宝くじ売り場よりも小さい小屋で、お姉さんがぽつんと座っていた。そこでマラガの地図と明日予定しているミハス行きのバスのことなどを尋ねるが、バスの時刻は駅横のバスセンターに行かないとわからないと言われ、再び駅に向かっててくてく歩く。スペイン南部はバスでの移動も電車と同じくらい発達しているようで、このバスセンターは思ったより大きいターミナルだった。我々の目指すミハス行きは一日4本しかでていないので、朝9時45分に乗るしかないことを確認してから再びホテルに戻り近所を散策することにした。


ホテル近くの目抜き通りはブティックや雑貨屋が多いのだが、レストランがあまり、というかほとんどない。スペインの街は一本裏道に入ると一気に雰囲気が変わってしまうので、観光客にはどこまでが安全なのかはかるのが難しい。夕食をとりたいようなレストランも見つからず、結局一旦ホテルに戻ってゆっくりすることにする。この数日分の洗濯物をホテルで洗濯してもらう為にランドリー袋にいれたり、自分でも小物を洗濯したり、お風呂にはいったりしている間に、同居人は一人でガイドブックにのっているすぐ近くのはずのレストランを探しにいってくれた。


スペインの食事の時間帯は日本と全くずれる。朝食はコーヒーとトーストなどで軽く、午前11時頃にちょっとつまみ、昼食はシエスタの時間帯午後2時から4時頃、夕食は午後8時以降だ。そんな訳でこの日も午後9時頃にレストラン、というか路上にテーブルと椅子を並べているだけの店なのだが、そこに潜入。席に座るなり愛想はあまりないが異常にきびきびしたウェイターさんが「飲み物は?」と聞きながらメニューを持ってきた。スペインでは最初の飲み物はメニューを見て決めるというより、座ってすぐに注文すべきのようだ。ここは魚介類専門店で、10数品のおつまみが写真で飾ってある(写真。店内はキッチンと立ち飲みのスペースしかなくてテーブルは全て道にでている。)ので非常に注文しやすかった。ホタルイカのような小さいイカのフライ、アサリの酒蒸し、ハム、えびのガーリックオイル焼き、ビール、サングリアとほとんど居酒屋のノリ。生ハムをもっと燻製させたようなスペインのハムは塩味、油分がなんともいえずにマッチしていて大変美味。これだけでも十分お酒がすすんでしまう一品で、この先ほとんどどの食事でもこのハムを注文するほど、大ファンになってしまった。もうすっかり大満足してほろ良いで散歩するが、昼間あれだけ暑くても夜になると一気に気温がさがって肌寒いくらいで、そうそうにホテルに戻って気分良く就寝。
この日天気は快晴、午前8時に起床してホテルでクロワッサンとコーヒーで朝食をとるが、コーヒーはあきらかにポルトガルの方がおいしかったのでちょっとがっかり。今日はスペイン南部にいくつかある「白い村」と呼ばれる、ほとんどの家々が真っ白の土地を目指す予定だ。こういう村はたいていアクセスが悪いので、反対にそれが幸いして変な観光化からも逃れて白壁の家が残っているらしい。マラガから一番近くてまだ交通の便がよいのがミハスという、白い村の代表的存在の土地だ。それでもマラガからバスで1時間、しかもバスは一日4便しかない。

午前9時40分のバスにのるべく、マラガのバスセンターに向かう。昨日下見してあったのであまりうろたえることなく往路のチケットを買ってバスが到着するのを待つ。天気はこの上なくよくて、待っている間もじりじりと焼けてくるのがわかるくらいだ。ミハス行きのバスはいわゆる市内バスと同じ位の大きさのバスで、最初の乗客は我々を含めて3人。がらがらの車内で一番前の席を陣取って高速道路からのマラガの風景をぼーと見ていた。


(写真:展望台から見たミハス)
20分ほどするとトレモリノスというコスタデルソルの中でも大型リゾート地に到着したのだが、ここでいきなり運転手がスペイン語でたった3人の我々乗客に対して何かを説明しだした。これが何を話しているのだか全くわからない!しかも運転手は英語を話さない。どうやらここで一度降車してしばらく待っていろ、と言っているようだ。もう一人の乗客もなんだか納得したように降車したので、よく訳がわからないまま降りることにする。私の勝手なスペイン語の解釈だと、一回りしてガソリンでも給油して戻ってくる、と言ったように思ったのだが、これは全くはずれだったようで、5分もすると別のミハス行きのバスがやってきて、一緒に降車したもうひとりのスペイン人がこれに乗れ、というジェスチャーをしながら乗りこんでいったので、あわてて後に続く。結局最初の切符を見せたら問題なく乗れたが、言葉がわからないってこわい。非常にあせった数分だった(汗、汗)。このバスはこの後トレモリノスの街のあちこちに停車して、たくさんの観光客を乗せることになり、バスは東京の朝の出勤時並のすし詰め状態、あちこちから観光客が話すスペイン語以外の英語、フランス語、ポルトガル語が飛び交っていた。そんな中日本人は我々2人だけの圧倒的少数派だった。


午前11時過ぎにようやく終点ミハスに到着。観光客もあちこちにちらばっていった。我々はまずバス停目の前の観光案内所に寄ってミハスの地図を入手。礼拝堂は閉まっているけど眺めはとてもいいよ、と案内所の人に言われた展望台目指して歩き始めた。レストランや土産物屋が並ぶメインストリートをちょっとはずれると、そこは喧騒もなく本当に真っ白の家と青い空が広がるだけでそれは綺麗だったが、30分ほどかけて山登りをした先にあった展望台も本当に景色がよくて素晴らしかった。ここに登るのは楽ではないので、わざわざ登る観光客も少ないようだった。(下:たくさんの花を飾っていたお家。)


帰り道は下りなので楽々降りてきて、運動の後のビールで生き返りながら昼食にパエリアを食べる。味はまあ観光客相手の可もなく不可もない味。帰りのバスの時間までぶらぶら土産物屋を覗いたのだが、これがなかなかセンスのいいアクセサリー店だのタイル屋などがあって楽しかった。ちょっとお店の御主人とも話したのだが、日本人の観光客も多いので日本語を習いたいのだが、ミハスにはもちろんそういう学校がないのでどうしようもない、と言っていた。日本のテレビ番組も好きだ、と言うので「ポケモン?」と聞いたらそうそう!と喜びながら毎日見てると言っていた。たしかホテルでつけたテレビではドラエモンも放映していたし、(スペイン語の吹き替えだったので、当たり前だがのび太くんがスペイン語をぺらぺら話しているのは不思議な感じだった。)さすが日本が誇るアニメの威力!

帰りのバスではすっかり気分よくお昼寝してマラガに戻ったのが午後3時頃。そのままタクシーでピカソの生家に向かったがあいにくシエスタの時間だったので閉まっていた。そこで5時まで時間をつぶすべく高台にそびえる城砦を目指すことにした。この日はとにかく歩け歩け大作戦の一日で、この城砦までは延々となだらかな坂道、しかし引き返す訳にもいかないのでとぼとぼ歩き続けた。ヒブラルファロ城は思ったより高台にあって、登ってしまうとマラガの街が綺麗に見渡せて爽快だった。まあるい闘牛場も、港の様子も、遠くに見える山の連なりも、天気が良かった事もあって見飽きなかった。高い場所に登るのが好きな同居人は、ミハスに続いてマラガでも高台にこれたのでずーとうきうきしている。

(左:マラガの港。右:真中にある丸い建物がマラガの闘牛場。)



再び来た道を戻ってピカソの生家(写真)に立ち寄る。フィルムの上映や、ピカソの絵画や陶器が飾ってあったが思ったよりこじんまりしていた。ぼちぼち散歩しながら6時頃にホテルに戻る。今日はかなり汗をかいたからシャワーでも浴びて、と部屋に戻ると朝だしておいたはずの洗濯用の袋がそのまま残っている。があーーーん。ここで今までの汚れ物が綺麗になるはずだったのに。これはかなりショックだった。翌日はもうマラガを発ってしまうのでまた数日洗濯の機会がないのだ。ああ、ショック。(涙)


失望を隠せないままお風呂に入ってさっぱりした後夕食に出かける。先ほど帰ってくるときに間違えて曲がってしまったホテルの裏道によさそうなレストランがあったので、そこに入ってみる。午後8時過ぎだったのだが、我々がお客さん第1号。すごく早口で話すオーナーらしき人は英語メニューはないからと一生懸命スペイン語で説明してくれるのだが、もちろん全部は理解できないので困った。しかしそのお店は炭火焼きがメインのようだったので、同居人はショーケースに並べられたお魚の中から指差してこれと選んだ魚の炭火焼、私は子牛肉のローストを選択した。前菜にスペインの名物でもあるにんにくスープとサラダを頼んだのだが、このサラダは3人前はありそうな量だった。赤ワインもスペイン産、でてくるお料理もどれも美味しくて、お勘定を頼んだ頃にはお店はかなりの賑わいだった。最後に食後酒を御馳走までしてもらって、本当に大満足の夕食だった。(写真左:とっても柔らかい子牛肉!魚も新鮮なのがわかる素材を生かした味だった。写真右:レストランの外観)

マラガは今晩が最後、ということで、ほろ酔い気分のままシェリー酒を飲ませてくれるバーに向かう。何十種類もの樽には全部種類の違うシェリー酒がはいっていて直接樽から注いでくれる。注文するとカウンターにチョークで値段を書きこんで最後に清算するようになっている。立ち飲みなのだが地元の人で随分混んでいた。ここでシェリー酒を2種類飲んだ。この時点で随分2人とも御機嫌だったのだが、なぜかホテルに戻る前にホテルのすぐ横にあったバーにも立ち寄ってしまった。ここでは2人とも大ファンになったスペインの生ハムと赤ワインを飲む。以前この店に日本人が来てあまりのおいしさに感激してハムを5皿も食べたらしい。上には上がいるもんだと関心しているうちにバーの閉店時間になってしまった。約3時間の夕食&飲み会ですっかり酔っぱらった2人は倒れ込むように寝入ったのでありました。
ちょっと前日のアルコール過多をひきずりながら午前8時起床。朝食後チェックアウトしてマラガ駅のロッカーに荷物を預ける。昨日はかなり歩いたし色々動きまわったので、今日はゆっくり一日を過ごすことにして、昨日もバスで通ったトレモリノスのビーチでのんびりすることにする。この日は昨日に比べると雲が多くてたまに晴れ間がでるくらいで気温も高くなかった。


マラガから地下鉄で20分のトレモリノスは確かに大型リゾート地という感じだった。駅からビーチまでの道には土産物屋やレストランが建ち並び観光客も多い。しかし、今日は天気があまりよくないのでビーチにはまばらにしか人がいない。一応いつでも水着になれるように下に着ていたのだが、脱ぐなんてとんでもないほどの気温だった。もうすこし暖かくてもいいのになあ、と思いながら借りたサンベットで2人とも持参した本を読みふける。


お昼はビーチ沿いのレストラン。さすがビーチ沿いだけあってお値段、特にビールの値段が普通の3倍ほどしたが、それでも日本のビーチで飲みよりはかなり安い。えびは茹でて岩塩だけのシンプルな味付けだがおいしかった。お昼を食べてからマラガ行きの電車に乗った午後3時頃まで、ずーと読書にひたる。結局水着には一度もならなかった。

午後4時30分の電車でセビージャに向かう。ここでもまた2人とも本にはまるが、最後に飽きてきたので持参したウノで決戦するが、私のぼろ負けで終了、セビージャに到着した。セビージャの駅もまたマドリッドのアトーチャ駅に負けないくらい大型で近代的な駅だ。マラガから乗った電車は2両編成だったが、その電車がより小さく見えた。


今回の旅行のホテルはほとんどインターネットで予約したのだが、セビージャは大都市でホテルの種類も多く、3泊する予定でもあったので、2つ星の安めのホテルを予約していた。しかし一番不安だったのも事実で、困ったことにこの不安が的中、ホテルに着くと思ったよりオンボロ、部屋にはテレビもなくてロビーにあるだけ、バスタブはなんとも奇妙にも肩までつかれない小ささだし、一番ショックだったのはセーフティボックスが部屋にもなく受付でも預かってくれないことだった。これはこの旅行中このホテルだけだったのだが、スペイン、特にマドリッドは日本人のパスポート狙いの強盗が多いとか、実際ホテルの部屋でカメラやビデオを盗られた、という話しをたくさん聞いてきたので、非常に困ってしまったが、いまさらホテルを変えるわけにもいかないのでとりあえず貴重品持参で街にでるしかない状況になってしまった。

唯一救いだったのは、受付のお兄さんが非常に優しい人で、英語とスペイン語ちゃんぽんでコミュニケーションしながら、今晩のフラメンコと翌日の一日グラナダツアーの予約をしてくれた。そのお兄さんにもらったセビージャの地図を片手に夕食をとるべく街にくりだした。

ホテルからレストランが多いと教わった場所まで歩いて20分くらいだったろうか、イギリス系のスーパーやデパートがあったりする道を歩いていたのだが同居人が「いかにもスリが多そうな道。」とつぶやいた。そうしてはたしてはたして、その数分後私がしょっていた貴重品がつまったリュックに異変を感じた。ふっと後ろを振り返るとすぐ後ろに密着して小柄な男性が私のリュックに張り付いている。ぎょっとして目が合ってスリだと気づいた。その男性は2人組だったのだが、そのままさっと私達を過ごしていった。私があまりに目をむきだして急に後ろを振り向いたものだから、同居人は私が痴漢にあったと思ったらしい。私のリュックというのが紐が面倒くさいくらいに開けにくく、しかも深さがあるタイプだったので、スリも紐を解こうとしていたところを私に気づかれ、幸い何も被害はなかった。おそらく今までの数日間でなんとなく会話も通じたり親切な人が多かったりで、最初の緊張感もゆるんでいたのだと思う。しかし、人の所有物を盗もうとする明らかな悪意のある人間を目の当たりにしてしまったので、それがショックでならなかった。その後はもう気分も朦朧、力が抜けてしまってとりあえず落ち着こうとはいったタパスバーでもなんだか何を飲んでいるのか食べているのかわからないような有様になってしまった。

やはりセーフティボックスがないのはあまりに危険だ、という結論に達し、そのまま近くの4つ星ホテルに予約が取れるか尋ね、3泊目を変更することができて少し気分も落ち着いてきた。雨が降り出してきたので、そのままタクシーでフラメンコを鑑賞しに行く。予定外にホテル探しをしたものだから時間ぎりぎりになってしまって席は最後部だったが、信じられないくらいにリズミカルにテンポをとるカスタネットの音や、めちゃくちゃ色っぽい背の高いボディにメリハリのあるフラメンコダンサーに目が釘付けになっているうちに、昼間ののんびりしたビーチでの休息からスリ騒ぎになってしまって無用の気疲れをするはめになったセビージャの1日目の夜はふけていった。

この日は午前6時起床。今日は一日グラナダ観光の予定だ。グラナダのアルハンブラ宮殿はスペイン随一ともいわれる観光地なのだが、何分交通の便があまり良くないのと、アルハンブラ宮殿は事前に入場券を購入しておかないと何時間も待つ羽目になる可能性がある、と言われていたので、その日の気分で予定を決める2人にはなかなかタイミングが合わずにどうしようかと迷っていた。しかし泊まったホテル前から出発するグラナダ行きのツアーがあったので、それなら入場券を買っておく手間も省けるし、説明も聞けるしと即決した。


午前6時45分、あたりはまだまだ薄暗い中、定員20人くらいの小型バスが我々をピックアップしてくれた。8割方はスペイン語が母国語の観光客、残り2割が英語圏の観光客だった。ひたすら高速道路をグラナダに向けて走っている間はぐっすり寝入ることもできたし、なにせツアーに参加しているというのは、自分でチケットや道路の確認したりする必要がないから楽だった。アルハンブラ宮殿に到着したのは午前10時30分頃、入り口近くでイタリア語、スペイン語、英語などとガイドのグループが分かれていて、我々は英語グループに紛れ込んだ。このアルハンブラ宮殿ツアーは午後1時30分頃まで続いたのだが、気温が低かったこと、石造建築の宮殿がまた寒さを増していて、ぶるぶる震えながらの見学となってしまった。夏の暑い時のツアーだったら、おそらくひんやりして気持ちよかったのだろうが。グラナダはイスラム支配が長い土地なので、アルハンブラ宮殿の建築もイスラム建築の影響を強く受けていて、その細かい細かい文様は見ていると気が遠くなるくらい手の込んだ装飾だった。


各言語グループに分かれていたそれぞれが一旦集合してからバスでグラナダの街に向かい、ガイドのお姉さんにお勧めのレストランなどを教えてもらってから各自昼食休憩になった。この時点でもう午後3時近く、私はお腹がすくとあっという間に機嫌が悪くなる特徴があるので、ここですでにかなり無口になっているわ、レストランまで一人で足早に歩いていくわ、同居人にたいして同意もとらずレストランに入ってしまうわ、同居人ははらはらだったようだ。まあ結果的にアンダルシア料理をだすこのレストランは大正解で、裏道に面していて小さい店内ながら、味は非常によろしくて、すっかり私の御機嫌はすぐに直っていった。とにかく寒かったのでニンニクのスープと魚介のホワイトスープを前菜に、私はアンコウのグリル、同居人は牛テイルの煮込みを食した。ニンニクスープはマラガのレストランで食べたものより濃厚で、具の一つである半熟の卵とスープに浸っているパンとの相性も非常に良くて、冷えた体を十分温めてくれた。食後はツアーの集合時間までは辺りを散策する。同居人は土産物屋で木と厚いゴムでできたパチンコを買っていたが、一体いつ使うつもりなんだろう?

グラナダを午後4時30分に出発してセビージャに向かう。またしても安心してぐーぐー寝ていたら、突然空が真っ暗になって豪雨が降り出した。しかし夏の一降りにも似ていた雨はさっとやんで、すばらしくも美しい180度の虹を2箇所に創り出してくれた。ホテルに戻ったのは午後8時頃。シャワーをあびてから歩いてガイドブックに載っていたイタリアンレストラン目指して歩く。昨日のトラウマも大分治ってきたが、辺りに注意しながら早足で歩く。レストランは非常にしゃれていてお客さんで込み合っていたが、パスタとピザは残念ながらたいしたことはなく、渡英以来アルデンテのパスタを食べたことがないと嘆く同居人は、スペインでも同じだったか、とがっくり肩をおとしていた。おいしいならまだしも、そんなことのないトマトソースを買ったばかりのシャツにとばしてしまったりで、余計ため息が深い同居人だった。レストラン近くのセビージャのカテドラルは夜のライトアップも中々で、しばらくそれを見学してからタクシーでホテルに戻り午後11時頃就寝。
セーフティボックスなしのこのホテルは今日チャックアウトだ。天気は久しぶりにとても良い。午前8時30分頃起床してホテルの隣のバーでコーヒーとボッカディーリョ(フランスパンのサンドイッチ)を同居人と分けて朝食をとる。お仕事に出勤途中のビジネスマンが数人立ち飲みでコーヒーを飲んでいたが、東京のようにせわしい様子もなく、皆さんゆったりと朝のひとときを過ごしている。次のホテルはチェックインが午後1時なので、マラガのホテルで忘れられてしまい、このホテルもランドリーサービスがなかった為にほったらかされていた洗濯物の山を、午前中のうちに片付けるべく近くの洗濯屋に向かう。ロンドンでもコインランドリ-生活なのに、旅行にきてもコインランドリーするはめになるとは(涙)。ホテルから歩いて3分ほどのドライクリーニング兼コインランドリーが2機ある店に行って久しぶりに日本式の上から洗濯物をいれる洗濯機を使った。(イギリスはドラム式で横部から洗濯物を出し入れする。)店主が乾燥機にいれてくれるというので出来上がるまで一旦ホテルの部屋に戻ってのんびりする。ホテルのすぐ裏が小学校だったので、校庭ではしゃぐ子供達の笑い声がビルの谷間越しに聞こえてきてなんだか懐かしい感じがした。

約1時間で懸案だった洗濯物は綺麗になったので部屋の荷物を片付けて、いざ2つ星から4つ星ホテルへと移動する。まだ部屋の用意ができていなかったので、その間に明日のマドリッドへの移動のための切符を買うためにゼビージャの駅に向かった。当日用の切符売り場は7,8人並んでいたがそれ以外は番号札をとって待つようになっており、札をとると192番がでてきたが実際の窓口はなんとまだ90番台ではないか!めまいがしそうだったが、前もって買っておいたほうが安心なので仕方なく待つことにした。ひたすら待つこと1時間くらい、順番がきたのでセビージャーマドリッド間を2時間半でつなぐAVEという特急列車の予約をする。マドリッドからマラガまでのTALGOは一等席と二等席の2つに分かれていてその一等席に乗車して快適だったので、AVEの特等席(AVEは3つのクラスに分かれている)はどんなだろうと興味があったのだが、特等席は既に売りきれており、一等席を二枚予約した。AVEの謎は、始発などよりも午前10時と12時発の電車のほうが料金が安いことだ。もちろん時間の制約のないわれわれはこの午前10時発を予約した。


ホテルにもどって部屋にはいる。バスタブも広いし、テレビも色々のチャンネルが映るし、しっかりしたセーフティボックスもあるし、でようやく安心、安心。身軽になって近くの大衆レストランで昼食。その後世界で3番目に大きい(一説には世界一とも言われる)教会であるカテドラルを見学する。天井が高くてパイプオルガンが綺麗に響きそうな内部には観光客がたくさんいて熱心に写真などを撮っている。アメリカ大陸発見者のコロンブスの墓もここにある。カテドラルの鐘楼はヒラルダの塔と呼ばれ上部までは歩いて登れる。ここでも高い所好きの同居人はさっそく上部をめざして意気揚揚と歩いていった。階段ではなくなだらかな坂が続くのだが上まではいい運動になる。しかし上から見るセビージャの街並みは十分意義がある。四方から見る風景(写真)がそれぞれちがって楽しかった。


その後オペラのカルメンの舞台に設定され、現在はセビージャ大学法学部となっている元タバコ工場を通りぬけてアカデミックな空気を吸い、マリアルイサ公園の中のスペイン広場に行く(写真:スペイン広場の建物)。半円形のスペイン広場の池でボートに乗ってしばらく遊んでいたが、カチューシャ代わりにしていたサングラスを不覚にも池に落としてしまった。(涙、涙)一瞬手の反応が遅くて拾いきれないうちに、にごった池の奥底に沈んでいったサングラス、その一部始終を見ていた近くのドイツ人の少女が口に手を当てて一緒に驚いてくれたが、あーーーあ、ショック。。


気をとりなおしてグアダルキビル川沿いを散歩しながらてくてくとホテルに戻る。(写真:川沿いにある黄金の塔。建造時には金色のタイルで覆われていたらしい。)今日は天気も良くて汗もかいたので一度さっぱりしてから近くのショッピングストリートをいったりきたりして無くしてしまったサングラスの代わりを探す。今年は4月末から5月にかけてが、スペイン3大祭りの一つであるセビージャの春祭りの開催期間だったこともあり、丁度その直前の金曜日だったこの日は、祭り用の買い物客でごった返していた。フラメンコの本場であるセビージャの春祭りは仮設のフラメンコ小屋がでて明け方まで大騒ぎするらしい。その為大人と子供用のフラメンコ用の衣装を売っている店はかなりにぎわっていた。


午後9時頃夕食の為、予定していたレストランに出向いたのだが、金曜日だったからか空いているのは予約席ばかりでウエィターさんの感じもあまり良くなくてさっさと店を後にしてしまった。といってもガイドブックも持たずに来てしまったので歩いて探したが上手くいいレストランに出会えず、急遽タパスバーめぐりにしようと決定。最初にはいったバーでソーセージとなすのトマト煮にビールで少しお腹を満たしてから二軒目を探し始めた。店によってはカウンターの中にハムのどでかい塊をそのままいくつも吊り下げていて、そういう店が魅力的に見えてひかれていた私達はふと、昨夜まで泊まっていたホテルの隣、今日の朝食をとったバーを思い出した。そこは確かにハムをいくつも吊り下げていたし、ハム類がその店のおすすめであったようなので、すかさずその店に移動した。この選択は正しかったと思う。絶対にガイドブックには載りそうにない小さなバーなのだが現地の人でにぎわっていたのが味を保証している。もちろん英語のメニューはないし、スペイン語しか話さないウェイターさんにこんなのが食べたい、といって選んだメニューは小さな貝(アサリの半分ほど)のガーリック酒蒸し、生ハム、チョリソー、どれも酒のつまみにはもってこいのメニューばかり。この店の存在をしっただけでも、あの二つ星ホテルに泊まった甲斐があるってもんだ。赤ワインもビールもごくごく飲んで、バーめぐりするはずがすっかりここだけで満足しきってしまい、いい気分でホテルに戻ったのは夜中近く。ああ、今日はいい一日だったなあ、と食が充実すると気持ちもより満足する二人だった。

今日はマドリッドへの移動日。午前9時にチェックアウトしてサンタフスタ駅にタクシーで向かう。午前10時発のAVE(マドリッドーセビージャ間の特急電車)はデザインも流線型でなかなか格好良い。長ーいホームを歩いて一等席に落ち着く。電車が出発するとすぐに映画の上映が始まり、朝食がサーブされる。

スペインの首都マドリッドはここ最近日本人狙いの強盗が多いというので、何人もの人から気をつけてね、と出発前から言われていた。以下は読売ウエブに載っていたニュースの抜粋。

◆マドリード・パリで邦人パスポート盗難急増
 【パリ27日=池村俊郎】日本人の欧州ツアー客に人気のあるスペインのマドリードで最近、日本人のパスポートを狙った強盗や窃盗が急増している。パスポートを奪われるなどして、在スペインの大使館に紛失届を出した日本人は、昨年一年間だけで、六百七十人を数えている。その背景にあるのが、日本人のパスポートを密売するヤミ市場の存在。米国行きを希望するアジア系密入国者たちからの“需要”が、それを支えているという。同じく日本人に人気の高いフランス・パリでも日本人を狙った窃盗事件が急増しており、外務省では、ゴールデンウイークを前に、両国への観光客に注意を呼びかけている。(4月28日14:32)

という訳で、マドリッドでのホテルは事前からそれなりに良いところを予約しておいた。午後1時頃にホテルにチェックインし、セビージャでも怖い目にあっているので貴重品全てホテルに預けバックなども持たずに身軽な格好に整えた。その後、同居人にお願いされて、どきどきしながら夕食の店を予約するため電話をとり、どうにか無事にスペイン語も通じて予約完了。ふうー。(汗)

マドリッドでは闘牛を見るのが目的なので、明日のチケットを購入すべく闘牛場に向かった。地下鉄は一律料金だし路線も色分けされていて分かりやすいが、ロンドンの地下鉄と比べるとちょっと暗い感じがする。目指す闘牛場は地下鉄ベンタス駅を降りるとすぐ目の前。さっそくチケット売り場に並ぶが、まわりをホームレスらしきお兄ちゃんがうろうろしながらお金をもらおうとしている。無視して切符売り場のお姉さんと話し出したのだが、そのホームレスが後ろにぴったりくっついてきて「僕には職もなければお金もない。すごくお腹がすいている。ちょっとでいいからお金が欲しい。」と英語で念仏のように唱えている。まあこんなに人がまわりにいる中でひったくりはしないだろうとは思ったのだが、チケットのお金を払ったりするのにお財布をだしているのでお財布を持つ手に力がはいる。

どうにか無事にチケットを入手してお昼を食べに中心部に向かう。土曜日だからか、街中はあまり人も多くなく、店も閉まっているところが多かったが、ガイドブックお勧めのパエリヤ店に到着。午後2時過ぎだったのだが、予約で満席に近く結局1時間ほど待つはめになってしまった。我々の後も予約なしのたくさんの人達が待つことになって入り口ちかくは待つ人達でごったがえしていた。丁度4人がけテーブルが空いているのを我々の次に待っていた2人組のイタリア人女性が気づき、「もしよかったら4人でテーブルにつきませんか?」という彼女達の提案を受け、即席4人組でテーブルにつくことができた。サングリアを飲みながらマグロの中落ち赤ピーマンサラダにミックスパエリヤを食べた。パエリアは非常に美味で、1時間待ったのも大納得の遅い昼食となった。


朝から曇りがちのお天気だったが小雨がぱらつきだしたりしてきた。午後4時過ぎ店をでてプラド美術館に向かうが、大通りを軍服を着た人達が交通止めにしたりしながら何かを設営していた為道に迷ってしまう。結局この設営さわぎは翌日のマドリッドマラソンの為だった。近いはずだったのに遠回りした為ようやくプラド美術館に到着したのは午後5時頃。入場口には30人ほどの列ができており一応並んでみたがなかなか進まないので、プラド美術館は諦めて散歩がてら高級店が建ち並ぶセラーノ通り散策に変更する。やはり需要が多いのだろう、サングラスを扱う眼鏡店が非常に多くて、色々覗いて試してみたのだがこれと気に入るサングラスには出会えず。途中ではいったショッピングセンターの雑貨店がセンスのよい品物が非常に多くて、ここで布製パン入れやらティッシュカバーなど普段使いの小物を購入。やはり買い物って楽しい。うーん、充実。


午後7時30分頃ホテルに戻り一休み。寝れそうな長さのあるバスタブでゆっくりお湯につかる。午後9時に予約を入れたシーフード料理店に向かうが、この頃にはかなり本降りの雨になっていた。このシーフード料理店は日本語メニューもありツアー客のような日本人が数組食事中だった。えびのクリームスープにガスパッチョ(トマトの冷たいスープ)、メインにカニのバスク風焼き物とタコのぴりからをとった。バスクはスペインの北、フランス国境に近い地域なので、お料理もフランス風というかクリーミーでこってりした味付け。タコもぷりぷりしていてあまり辛くはなかったがシンプルな上品な味付けだった。今日は飲みすぎず、でもお腹は満腹になって就寝。

あびだよりについて

このブログには過去の思い出から現在の猫たちとの生活までが保存されています。London Storyは1998年から2000年までの在英時代の記憶のかけら、Catsにはブログを始める前の記憶のかけら、そして2004年から始めたあびだよりには現在一緒に暮らしている猫たちの様子をアップしてます。

以前使っていたブログツールがサービス終了したこともあり、MTに移行する以前に頂いたコメントが復活できなくなってしまいました。これまでコメント下さった方、申し訳ありません。ぺこり。

ゆっくりペースの更新ですが、たまに覗きに来て下さると管理人は喜びます。多分、猫たちも。

About Aby Family

3匹のアビシニアンファミリ

  • 2001年7月30日生まれ親父。2010年5月21日虹の橋。      
  • 2005年1月10日生まれ奥さん。
  • 2006年4月26日生まれ第3女子。


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